同じ夢をずっと30年間見続けるという悪夢 | 昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

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昭和42年生まれの元司法浪人生です。
日々の出来事や過去の来歴を隠すことなく赤裸々に語ります。

同じタイトルが続いたので、ここでタイトルを変える。




高校で男子校に入学して以来、女性と付き合うきっかけを完全に失ってしまった。


中学時代は学校で塾でそこそこの接点はあったと思う。


接点があっても積極的にはいかなかった。


それは前述したように、学校での同級生が同性で遊ぶ方が楽しいという雰囲気に包まれていたため、あえて積極的に女子と仲良くなろうという気にさせなかったのだ。


ただ、女子と仲良くならなくともそのときは気にならなかった。




あれから30年たつが、いまだに中学校時代の夢を見る。


自分も友達も中学校時代のままの状態で夢に出てくる。


その夢は毎日である。




高校時代はそういう夢を見るのがとても楽しみだった。


なぜなら現実世界では絶対にかかわることのできない女子が夢の中に出てくるのだ。


寝るのが楽しみで、起きている間はとても苦痛だった。




その時はとても楽しい夢だった。


だが、30年間続くとさすがにうんざりする。




夢によく出てくる同じクラスだった田口さんや豊島さんは、自分と同じ44歳である。


夢の中では自分と恥ずかしそうに喋っているが、そんな恥じらいはもうないだろう。




44歳といえば、夢の中にでてきた彼女らの母親の年齢である。


もう田口でも豊島でもなく、別の苗字を名乗って、それぞれの人生を着実に歩んでいるだろう。




自分だけ14歳のときで止まっている。




14歳が人生のピークだったとつくづく感じる。


その時は全く楽しいともつまらないとも思っていなかったその時期が人生のピークだったのだ。


毎日が楽しいというわけでもなかったが、後から振り返れば、それが楽しい毎日だったのだ。


青春というのは残酷で過ごしている間は青春と感じさせず、あとから気づくものらしい。




でも、自分の人生のピークがあのときで終わりなんてとても悲しい。


あの程度が自分の人生のピークだったのだ。


普通の中学生なら当然に過ごせた1年間が自分にとってのピークだったのだ。




ちなみに高校時代以降の夢は一切見ない。


見る夢はすべて中学3年生の時の夢である。


昨晩も体育館で馬跳びをしている女子を筋トレしながら見とれる夢だった。


馬跳びをしている女子は鉢巻きにブルマだった。


自分が中学生の時は体育の時はブルマだったが、今はもう違う。


時代錯誤も甚だしい。




そしてさっき昼寝をしたときに見た夢は、中学校の裏で同じクラスの女子と胸をドキドキさせながら喋っていた夢だった。


教室掃除のあと、同じクラスの女子と一緒に学校の裏のゴミ捨て場にゴミを捨てに行くのである。


ゴミを捨てに行く間、なぜか自分は積極的に話しかける。


現実ではこんなことは一度もなかったが、夢の中の自分は、半ばこれが夢であることがわかっていたのだろう。


夢から醒める前にせめて積極的に話しかけて幸せな気持ちを味わいたいのである。


話しかけた相手は、少し恥ずかしそうだけど、楽しそうに話を聞いてくれた。




夢の中は幸せである。


ただ、起きて現実を知ると、その夢は幸せな夢ではなく、むしろ悪夢である。




悪夢を見た人が現実に戻って、「ああ、夢でよかった」と感じるらしいが、自分は違う。


「ああ、夢が現実ならよかった」と思うのである。




ネットで山月記の李徴がよく話題に出る。


李徴は役人という身分まで手に入れたのに、詩人としての名声を手に入れるため、官職を手放し、放浪し、遁世し、人食い虎に変身してしまう。


李徴の気持ちがわからなくもないが、それでも彼は役人になる過程で、嫁や子どもも手に入れ、最後に名声を貪欲に手に入れようとしたため、失敗した。


自分は、嫁や子どももおらず、ましてや彼女や気軽に話せる友人もいない。




虎になる前から虎なのだ。