ここ数ヶ月前入退院をして自宅療養中
ますます哲学的に考えます
「人生という自分の世界の脚本があるがその通りにはいかない」
「人生には生まれる前に決めて来た大きなシーンがあるそれはどんな選択をしたとしてもゴールはかわらない」
ただし、新しい魂や単純な魂は脚本通りに進むのであろう
良く結婚はゴールではないスタートだというが
つまり結婚する事は決まっている
人生のターニングポイントという山場が決まってる
配役も大体決まってる
どの時期にどんな役でどんな間柄か
大失恋させてくれた相手なんかは上では大の仲良しの魂の友達に頼んでる
だから何かが違うと感じながらものめり込み大の信頼をおく
悪役も頼んでる
この場面でこんな役割してくれと頼む
上に帰ったらお礼に伺っているかもしれないね(笑)
ターニングポイントでの大きな選択
Aさんを選ぶかBさんを選ぶか
Cという土地に住むかDという仕事を続けるかE家族と同居するか、、、
選択しは何通りかあるあみだくじのように
それなのに過程は自分自身でも結果は上で脚本記入済み
漫画で言えばプロットという名の下書き済みなのである
つまりAさんとCとDは同時に選べるがBEは手放さなければならない
しかし無ではない
Bと友達になる事も可能だ
しかしAはヤキモチをやくかもしれない
年取ったEの為に同居する
その変わりDを離れなければならない
とまあこんな感じで何通りかの選択を繰り返し
その過程でプラマイゼロになるようにできている
人は幾つもの荷物は背負えないし何役もこなせない
永遠に我が人生の主役なのである