どうも最近悲観気味です。

原発事故からもう3年4ヶ月。

事故当時、放射能汚染を危険視した人達は、1年以内の移住がタイムリミットだと言っていました。指定された?範囲は東北・関東。関東もですよ。私も1年ちょっとの時点で移住をしています。当初は、事故から2~3年後には健康被害・死者が急増し西日本や海外への大移動が始まると予測していたのですが…。

事故発生からの経過を見ている限り、そうはならない気がしています。

放射能の人体への影響は確実に出ています。

チェルノブイリ事故におけるベラルーシでの事例を見ると明らかだったのですが、当時は今の日本と同じように「放射脳」と同等の言葉が生まれ… 安全性バイアスですね、とにかく低線量被曝など気にする方がおかしい、ストレスをためるほうがよっぽど危険、なんて言われてました。

そのまま被曝し続け、5年後には街から人がいなくなりました。

当時ソ連はリクビダートルと呼ばれる「決死隊」を動員し、周囲に放射性物質を拡散しないよう石棺を作りました。多大な犠牲を出しながら。

彼らは融けだした核燃料が地下水脈に接触することを何よりも恐れていました。飲料水のみならず、全ての水が汚染されてしまうからです。ですから、石棺は陸上だけでなく、原子炉の下側も覆っています。

日本はどうかというと、状況ははるかに酷い。

放射性物質は拡散しないことが大前提なのですけど。

もうとっくに事故は収束したと思っている他人が大半だと思いますけど、今でも毎時1000万のセシウムが放出されています。(やや古い情報なので正確な値ではないかも)

あくまでセシウムが、ですね。

他の核種は計算に入っていないので、どうなっているのかはもうさっぱり分かりません。

それらは今も風に乗って飛ばされたり、汚染水として海洋に垂れ流しになっていたり。

話題に登らないのが汚染瓦礫の焼却。

どこでどういう風に処理されているのか、複雑に入り組んでいて(そう仕組んだ)調べきれません。

焼却してガス化した放射性物質は粒子系が非常に小さいため、気道の奥まで入り込み人体に吸収されます。もしくは肺に沈着します。

もしかしたらPM2.5なんて呼ばれてるかもしれないですね。

そして、汚染食材の流通。

問題外です。政府は「内部被曝」を未だに認めていませんから、全てまかり通ります。

こんなところが楽観的な現状でしょうか?

ところがこんな状況にも関わらず、ほとんどの情報は統制され、東京では何事もなかったように生活が続いています。被曝量はチェルノブイリより(おそらく)かなり高く、健康被害の報告も急増しているのに。

今や心不全は流行する病、癌になるのは当たり前、人生楽しく過ごしましょう、でもお国のために必死で働いてね。

汚染地域に住む他人は言います、「運命だから仕方ない」「楽しく生きられればいい」

もう力が抜けてきました。

東京オリンピックが開催された後も(開催できれば。意地でもやるんでしょうけどね)、そのまま残り続けるのでしょう。周りのみんなが大丈夫だと言っているんですから。

もしかしたら何も感じず考えずに生きたほうが楽なのかもしれないですね。

今となっては放射能云々より他の理由で死ぬ(殺される)可能性も高いですし。

それでも私は生き抜こうと誓っています。

成すべきことを果たさなければ、満ち足りた死を迎えられませんので。

死を望むが故に生きる。ただそれだけです。

何もわかっていない

自分はいつも全て分かったようにいろいろ書いているけれども。
本当は何もわかっちゃいない。
ただ全てを見通しているように自分を騙すことで、「孤独な自分」から逃げようとしている。
優越感を得ようとしている。


他人と距離を置くのも、「自分は他人とは違うのだから仕方ない」と納得させようとしていたけれど、それは「孤独な自分」を正当化しようとしているだけ。
寂しいだけなのにね。


だから矛盾した行動ばかりしてる。


「本当の自分」を見て欲しいのに、「嫌われるのが怖い」「もう1人は嫌だ」という想いが強くて自分自身をねじ曲げてしまう。
「本当の自分」を隠して表面上優等生を気取っていても、何の救いにもならない。
余計辛くなるだけなのに。 そもそも「本当の自分」を知らないのにね。 知ってるつもりになっているだけ。


この秘められた想い「他人に認められたい」、それも心から、という強欲は…
もしかしたらいつまでも続いてしまうのだろうか?
大体、「認められたい」とは何?
全てを分かってくれて、しかも許容してくれる、そんな存在はいるのだろうか?


居たとしても、全ての成長が止まってしまう… いや、そんなことないか。


ありのままの自分とやらをひっくるめて認めてくれたら、極めて強い喜び。
それは確実に自分の力になる、と思う。
周りを見てみても、表面上は上手く行っているように見えるだけなのかもしれない。
そんな関係が増えても、心の成長には繋がらない。たぶん。
たくさんの人と付き合って寂しさを紛らわそうとする、それでは意味があまりない。
もちろん他人を知るという意味では有効かもしれないけれど…。
でもね、表面上の付き合いではダメなんだ。
無闇に深入りするのも恐ろしいことで、心を開いた分だけダメージも大きくなってしまうから。
それは何度も経験してる。
要はバランスが取れてないんだな、もしかしたら。
ただ、恐れすぎて近づけないでいる。これは何とかしなくては。


一番大事なことを忘れてた。
もしかしたら本当は「認めてくれている」のに、自己解釈で認められていないと思い込んでないだろうか?


すごく失礼なことをしているのかもしれない…。


さっきから「もしかしたら」「かもしれない」ばかり続けているな。
これに関しては少しは許してもらえるかな?


他人のこころが読めるわけではないから、どうしても可能性の話になってしまう。
もう1つ。「人間」以外の存在を忘れていないだろうか?


愚痴を失礼しましたm(__)m

久々に?心が沈み込んだので書き記しておこうと思います。

ただ感じたことを。

なぜかはわからない、ただ酷い疲れを感じ、突然動く気力もなくなった。

心が乱されたから? 強い圧力を受けてダメージを負ったから?

とにかく身体の重さと共に、心が闇に包まれたようでした。


どうやら私の心の奥底では、愛情・暖かい心を感じたい、包まれたいと望む部分が確実にあったようです。

見返りを求めない純粋な暖かい想い。

子供の頃からずっと求めていた、唯一無二のもの。

もう必要ではない、乗り越えたと勝手に思っていたけれど、ただ奥の方にしまい込んでいただけだった。

記憶のある範囲内で、そんな純粋な思いに触れたことはありません。

いや、記憶から消えているだけかな?

それがどんなものなのか、心(魂?)に刻み込まれているのだから。

未だに小さな頃から蓄積されてきた心の傷は癒えていません。癒えたつもりになっていただけです。

分からないことだらけだけれど、なんの疑いもなく全てを愛せる、純粋な裏表のない気持ちで居られるところ、そんな所に居たことがあるような気がします。

でも小さな頃から刻まれた想いは、信じても必ず裏切られる、ありのままの自分をさらけ出してはならない、人を信用してはならない。

…人間が怖い。

以降、心の壁が完全に崩れたことはないし、どれだけ人を信用しようとしても警戒心を解くことが出来なくなっていました。程度は違えど今もなお、ですね。

でも、魂は今もなお純粋な想いを渇望しているし、次のステップに進むためには必ず乗り越えなくてはならない大きな壁があります。。


それは何か? どうやったら魂の願いを叶えることができるか?


私にとってはとても困難なことだけれど、自らの心の壁を取り払い、警戒心なく純粋に人と接すること。

それが壁になっています。

警戒心を持って距離を置きながら接していても、相手の警戒心が解けることはありません。

相手が自分に見せる姿とは、自分自身の鏡のようなものですから。


この世界は客観性を知るための世界だと何かで見たような気がします。

なんとなく、本当になんとなくですけどその通りだと思います。


「裏切られた」ではなく、自分で自分を裏切っているのでしょう。

傷付くのは自分の中にある嫌いな部分に触れられたから。図星だから。

怒ったり妬んだりするのは、辛い感情から逃げてるだけ。責任放棄しているだけ。

そう感じています。

だから、もう逃げない。

逃げてもいつか必ず向き合うことになる。

その時になって後悔しても、もう手遅れですから。


何を言いたいのか良く分からなかったですけど、浮かんだ言葉をそのまま書いてみました。

伝わるものがあれば幸いですm(_ _)m