次の段落に移る。
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自分の信念を曲げずに主張を貫く姿に
理想と希望のイメージを重ね合わせる人々
京都大学原子炉実験所助教の小出さんは、原発を研究しながらも反原発を唱え、そのことが原因で大学から教授や准教授といったポストを与えられてきませんでした。当然のことながら「原子力ムラ」からも排斥されています。小出さんは、それでも信念を曲げずに正しいと思うことを言い続けてきました。
原発事故が発生すると、相変わらず原子力ムラからは徹底的に無視されますが、期せずして世間からは「それが真理だった」と評価されます。
「妥協や打算でなく自分の信念を曲げずに正しいと思うことを信じていれば、いつか自分が正しかったことが証明される」
原発事故を喜ばしいと思う人は誰もいません。ただ、これまで大学の中で「冷や飯を食わされていた」小出さんが脚光を浴び、時代のヒーローになっていく姿は、彼らにとって理想のイメージ、希望の星、自分の願いを投影する存在になっているのでしょう。
厳しい言い方になるかもしれませんが、彼らには自分が抱えてきたルサンチマンが一気に晴らされたという感覚があるのかもしれません。もうすぐ定年を迎えようとする年齢まで屈辱的な地位にいた人が、いまや日本中で最重要人物の一人になるという姿に、彼らはおとぎ話のようなイメージを抱いているのではないでしょうか。
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この段落は不気味の度合いが低い。が、それでもおかしい。既に述べたように、
> 期せずして世間からは「それが真理だった」と評価されます。
という認識が大きな問題なのだ。「真理かどうか」は「世間から評価」とは別の話だからである。小出さんのような「真理にしがみつく」(=サッティヤーグラハ)ことができる人にとって、世間の評価は関係ないのである。たとえ暴力を振るわれても、関係ない。なぜならそれ以外のあり方でいることが、耐えられないからである。
小出さんのインタビューを見てもわかることだが、彼は京大が助手でずっといさせてくれたことに感謝しているし、助教授や教授にされなかったことを喜んでいる。あれは謙遜でも負け惜しみでもなんでもなくて、本心なのだ。原子力村の連中をも決して恨んでなどいない。憐れんでいるだけである。
それゆえ、小出さんのあり方について、
「妥協や打算でなく自分の信念を曲げずに正しいと思うことを信じていれば、いつか自分が正しかったことが証明される」
というようなことを思いつくこと自体が、まことに、そもそも、まったく、意味が無い、のです。こういうことを思いつけるということ、そのものが、この文章を書いている人の心が、じつに、
■
こんなちっちゃな四角で表現できるようなものに過ぎないことを、示している、のです。(小出さん風に言ってみた。)
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小出さんが脚光を浴び、時代のヒーローになっていく姿は、彼らにとって理想のイメージ、希望の星、自分の願いを投影する存在になっているのでしょう。
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小出さんの「真理にしがみつく」生き方は、香山氏が「劣等感と優越感がない交ぜになったような、一面では純粋な理想主義者」と呼ぶような、弱虫の生き方とは、全く正反対であって、到底、そういうプロジェクションを受け付けるものではない。何が違うかは、明らかであって、小出さんは弱虫であるこどころか、ものすごく強いのである。
などを見ればわかるが、ここに出てくる
クソッタレ東大の典型的アホ学者大橋弘忠教授のクルクルパー東大話法
を散々聞かされた上に、むちゃくちゃな屁理屈で「わかってない」などと罵詈雑言を浴び、更に鼻でせせら笑われたりしたら、
普通の人間は死ぬ。
私は上の映像を見ただけで、吐き気がして、体の具合が悪くなった。ところが小出さんは、全然、平気なのである。これは小出さんがサッティヤーグラハの戦士であることを示している。真の勇者でなければ、こういう状況を受け止めて立っていることはできない。小出さんは「脚光を浴びる」「時代のヒーロー」なのではなく、あり方そのものが、ヒーローなのである。
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厳しい言い方になるかもしれませんが、彼らには自分が抱えてきたルサンチマンが一気に晴らされたという感覚があるのかもしれません。もうすぐ定年を迎えようとする年齢まで屈辱的な地位にいた人が、いまや日本中で最重要人物の一人になるという姿に、彼らはおとぎ話のようなイメージを抱いているのではないでしょうか。
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そういうわけで、これは「おとぎ話のようなイメージ」なのではなく、本当に、おとぎ話なのである。香山氏の最大の誤りは、「おとぎ話はおとぎ話であって、現実ではない」という「大人の考え」を持っていることである。そうではなくて、おとぎ話が現実を表現しているのである。そうでなければ、小出さんのような存在は理解できないし、そもそも、原発を作って爆発させ、日本中に放射能をばら撒く、などという仕業は、ショッカーでなければできない。
ここを見誤ることで、世界の像は完全に歪んでしまい、「大人の世界」になってしまう。香山リカ氏は言うまでもなく、大人の世界の住人であるから、このことが受け入れられないわけである。
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自分の信念を曲げずに主張を貫く姿に
理想と希望のイメージを重ね合わせる人々
京都大学原子炉実験所助教の小出さんは、原発を研究しながらも反原発を唱え、そのことが原因で大学から教授や准教授といったポストを与えられてきませんでした。当然のことながら「原子力ムラ」からも排斥されています。小出さんは、それでも信念を曲げずに正しいと思うことを言い続けてきました。
原発事故が発生すると、相変わらず原子力ムラからは徹底的に無視されますが、期せずして世間からは「それが真理だった」と評価されます。
「妥協や打算でなく自分の信念を曲げずに正しいと思うことを信じていれば、いつか自分が正しかったことが証明される」
原発事故を喜ばしいと思う人は誰もいません。ただ、これまで大学の中で「冷や飯を食わされていた」小出さんが脚光を浴び、時代のヒーローになっていく姿は、彼らにとって理想のイメージ、希望の星、自分の願いを投影する存在になっているのでしょう。
厳しい言い方になるかもしれませんが、彼らには自分が抱えてきたルサンチマンが一気に晴らされたという感覚があるのかもしれません。もうすぐ定年を迎えようとする年齢まで屈辱的な地位にいた人が、いまや日本中で最重要人物の一人になるという姿に、彼らはおとぎ話のようなイメージを抱いているのではないでしょうか。
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この段落は不気味の度合いが低い。が、それでもおかしい。既に述べたように、
> 期せずして世間からは「それが真理だった」と評価されます。
という認識が大きな問題なのだ。「真理かどうか」は「世間から評価」とは別の話だからである。小出さんのような「真理にしがみつく」(=サッティヤーグラハ)ことができる人にとって、世間の評価は関係ないのである。たとえ暴力を振るわれても、関係ない。なぜならそれ以外のあり方でいることが、耐えられないからである。
小出さんのインタビューを見てもわかることだが、彼は京大が助手でずっといさせてくれたことに感謝しているし、助教授や教授にされなかったことを喜んでいる。あれは謙遜でも負け惜しみでもなんでもなくて、本心なのだ。原子力村の連中をも決して恨んでなどいない。憐れんでいるだけである。
それゆえ、小出さんのあり方について、
「妥協や打算でなく自分の信念を曲げずに正しいと思うことを信じていれば、いつか自分が正しかったことが証明される」
というようなことを思いつくこと自体が、まことに、そもそも、まったく、意味が無い、のです。こういうことを思いつけるということ、そのものが、この文章を書いている人の心が、じつに、
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こんなちっちゃな四角で表現できるようなものに過ぎないことを、示している、のです。(小出さん風に言ってみた。)
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小出さんが脚光を浴び、時代のヒーローになっていく姿は、彼らにとって理想のイメージ、希望の星、自分の願いを投影する存在になっているのでしょう。
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小出さんの「真理にしがみつく」生き方は、香山氏が「劣等感と優越感がない交ぜになったような、一面では純粋な理想主義者」と呼ぶような、弱虫の生き方とは、全く正反対であって、到底、そういうプロジェクションを受け付けるものではない。何が違うかは、明らかであって、小出さんは弱虫であるこどころか、ものすごく強いのである。
などを見ればわかるが、ここに出てくる
クソッタレ東大の典型的アホ学者大橋弘忠教授のクルクルパー東大話法
を散々聞かされた上に、むちゃくちゃな屁理屈で「わかってない」などと罵詈雑言を浴び、更に鼻でせせら笑われたりしたら、
普通の人間は死ぬ。
私は上の映像を見ただけで、吐き気がして、体の具合が悪くなった。ところが小出さんは、全然、平気なのである。これは小出さんがサッティヤーグラハの戦士であることを示している。真の勇者でなければ、こういう状況を受け止めて立っていることはできない。小出さんは「脚光を浴びる」「時代のヒーロー」なのではなく、あり方そのものが、ヒーローなのである。
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厳しい言い方になるかもしれませんが、彼らには自分が抱えてきたルサンチマンが一気に晴らされたという感覚があるのかもしれません。もうすぐ定年を迎えようとする年齢まで屈辱的な地位にいた人が、いまや日本中で最重要人物の一人になるという姿に、彼らはおとぎ話のようなイメージを抱いているのではないでしょうか。
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そういうわけで、これは「おとぎ話のようなイメージ」なのではなく、本当に、おとぎ話なのである。香山氏の最大の誤りは、「おとぎ話はおとぎ話であって、現実ではない」という「大人の考え」を持っていることである。そうではなくて、おとぎ話が現実を表現しているのである。そうでなければ、小出さんのような存在は理解できないし、そもそも、原発を作って爆発させ、日本中に放射能をばら撒く、などという仕業は、ショッカーでなければできない。
ここを見誤ることで、世界の像は完全に歪んでしまい、「大人の世界」になってしまう。香山リカ氏は言うまでもなく、大人の世界の住人であるから、このことが受け入れられないわけである。