池田氏がまた原発について東大話法を駆使している。とても良い材料なので、解説しておきたい。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51703447.html

2011年04月30日 21:22 経済 科学/文化
原発の安全性と経済性についての数字

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福島第一原発事故についての政府の発表が混乱しているため、自称ジャーナリストはこれに乗じて「原発は危険で不経済と刷り込もう」とプロパガンダを繰り返している。生活に困っている彼らが不安をあおってアクセスを集めるのは商売としては当然だが、彼らは数字を示したことがない。本当に原発は危険で不経済なのだろうか。
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冒頭で「自称ジャーナリスト」だけを採りあげて、徹底的に軽蔑する不快な文章を書いている。なぜそうするかというと、元「立派なジャーナリスト」の池田氏にとって、フリーのジャーナリストが、心のそこから軽蔑できる相手であり、その上、同じ畑なのであげつらいやすいからであろう。

しかし、原発が危険で不経済だと言っている人は、たとえば小出裕章氏など専門家もいる。当然、数字も詳細に挙げられている。こういった人々を相手にしたのでは、素人の池田氏は不利なので、「自称ジャーナリスト」にターゲットを限定するわけである。

こうやって論敵を絞っておいて、徹底的に軽蔑することで、読者を恫喝する効果がある。読者はこう感じる。「もし自分の意見が「自称ジャーナリスト」と同じであったりすると、池田氏に「あんたは自称ジャーナリストと同類だな」と蔑視される」。そう思って読者はひるんでしまい、最初から、迎合的な態度をとってしまう。

この手口は東大で非常によく使われる。まず「偉い人」と「最悪の人」とを決める。次に、偉い人の議論を敷衍し、最悪の人を人格まで含めて、徹底的にあしざまに言う。皆が同じように振舞う事で、ひとつの集団が定義される。これを「学問分野」と呼ぶ。


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まず「原発は危険だ」という点について検証してみよう。前に紹介したWHOの統計によれば、石炭火力の死者が161人/TWhに対して、原発は0.04人/TWh。OECDの調査によれば、図のようにチェルノブイリを含めても0.048人/GW年で、石炭火力の1/128である。チェルノブイリの死者は直接の事故死だけを数えているので、この100倍とすると石炭火力といい勝負だが、OECD諸国ではゼロである。
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第一に、原発の危険性は死者数だけによるのではない。生態系が決して処理できない放射能を蓄積させる悪影響は、一体、どういうなるのか、だれも知らない。第二に、死者数も、果たして100倍なのか、1000倍なのか、わからない。それに、低レベル被曝による死者数は、一般に因果関係の立証が困難なので、認定されていない。つまり泣き寝入りであるが、それはカウントされない。そういうわからない部分での隠蔽された危険が大きく、それが一体どうなっているのか、よくわからない、という点が、原発のリスクの嫌なところである。

WHOやOECDといった国際機関は、だいたい、体制側に有利な方向にバイアスが掛かっているので、もし真剣に検証したいなら、危険性を大きく見積もっている機関や学者の議論もあわせて検討すべきだが、そういう不都合な数字は無視する。


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では「原発は不経済だ」という点はどうだろうか。原子力安全委員会に出された大島堅一氏の発電単価についての推定は、核燃料サイクルなどのバックエンドへの財政支出を含めたものだが、次のように原子力は火力と大きく違わない。
原子力:10.68円/kWh
火力:9.9円
水力:7.26円
このうち再生可能エネルギーは水力だけだが、環境破壊や新規立地の困難を考えると、有力な選択肢とはいいがたい。太陽光や風力は比較対象にさえなっていない(資源エネルギー庁の推定値は太陽光で49円/kWh)。

追記:大島氏の試算には、事故の補償費用が含まれていない。福島第一のように数兆円の損害賠償が発生するとコストは跳ね上がるが、これも確率で割り引いて保険でカバーすれば大したことはない。原子力損害賠償法を改正すればよい。

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原発がフル稼働で動き続けないといけないシステムであり、そのために火力発電所の稼働率を引き下げ、火力のコストを引き上げている。原発の発電単価は、そのために見かけ上、引き下げられている。廃棄物処理や地元対策費などの経費を参入したら、事態は大きく変わる。そういった計算がいくつも出ているが、それは無視している。

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おそらく原発に反対する唯一の意味のある議論は、河野太郎氏の指摘する核燃料サイクルの不備だろう。国内で再処理を完結させる展望なしに「トイレなきマンション」を作り続けた政府の罪は大きい。希望の星だった高速増殖炉も挫折した今となっては、六ヶ所村の再処理工場は無用の長物である。

しかし上に示した大島氏の推定のように、こうした莫大な浪費を含めても、原発のコストは火力といい勝負だ。再処理をあきらめて貯蔵するだけなら、途上国に開発援助と交換で引き取ってもらうことも可能である。世界には人の立ち入らない砂漠や山地はいくらでもあり、有害な産業廃棄物も放射性物質だけではない。これはコストの問題にすぎず、河野氏のいうように原発を全面的に廃止する根拠にはならない。彼の主張する「再生可能エネルギーで100%まかなう」などという話は、ビル・ゲイツもいうように技術的に根拠がない。

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「トイレなきマンション」だけで、十分にコスト計算を不可能にする。十万年も冷やし続けないといけないゴミなど、コスト計算ができないからである。そういうとんでもないものを、途上国に開発援助を交換で引き取らせる、という行為は、死ぬほど卑怯である。

経済行為を、単にコストと利益とに還元する論法が、経済学の特徴だが、人間社会が卑怯者の集団となれば維持できない、という重要な論点を無視するのがこの学問の最大の問題点だと私は考えている。

池田氏のブログが人気を誇っているのは、ここのところがポイントなのだと私は感じる。卑怯かどうかは、一切問題にせず、そういうことを言う人間は鼻先で笑い、すべてをコスト計算で踏み越えていく。それが卑怯者には痛快なのだと思う。

しかし私は、逆に、卑怯かどうかは非常に重要だと考えている。卑怯者は何も生み出さないで、盗むばかりだからである。誰かが創造性を発揮して価値を生み出さなければ、社会は維持できない。コスト計算に全てを落とす発想は、創造性を無視する。自由化すれば必ず創造性が発揮されるわけではない。もちろん、規制を作ると容易に利権体制が生まれ、創造性を破壊する。この難しい問題を最優先で考えないと、イノベーションは起きず、経済はうまく回らないのである。それがドラッカーのマネジメント論の根幹だと私は考える。


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原発は、孫正義氏のいう「正義」にはもとるかもしれないが、エネルギー産業は必ずエントロピーを増大させて環境を汚染する「原罪」を背負った産業なのだ。そこには絶対の正義はなく、どうすれば汚染を最小化できるかという問題しかない。
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無茶苦茶な議論である。池田氏は、熱力学第二法則を知らないようである。知らないくせに、相手を見くびって、こういう概念を振り回すのが、東大話法の特徴である。

エネルギー産業どころか、すべての現象は、エントロピーを増大させる。エントロピーが増える方向にしか、変化は起きない。これが熱力学第二法則である。我々が息をしているだけで、エントロピーは増える。これを「原罪」と言うなら、全ての自然現象は罪である。

しかしそうではない。地球は、太陽の熱と冷たい宇宙と接触することで、エントロピーを宇宙に捨てている。地表面・海で生成されるエントロピーも、大気と水との循環によって、宇宙に捨てられる。人間が出す廃棄物・熱も、多くの部分が生態系を通じた処理により、この循環の中で宇宙に捨てられている。その範囲の廃棄物・熱をいくら出しても構わないのである。

問題は、生態系の処理できない形で廃棄物や熱を出すことである。放射能は、絶対に処理できない。それゆえ、絶対に悪である。絶対に使ってはいけないのである。

二酸化炭素は、いくら出しても構わない。それは光合成を増加させるだけだからである。問題は、光合成を破壊することである。火力発電所から出る廃棄物は、元が生物の作った石炭や石油であるから、ほとんどが生態系が利用可能な形に処理可能であり、悪影響は低い。


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公平に見て、価格変動リスクや埋蔵量の制約の大きい化石燃料に比べて、エネルギー効率が高く技術革新の余地の大きい原子力は有望である。5月のアゴラ起業塾では、こうした議論も踏まえてエネルギー産業の未来を考える。
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自分の議論に酔って「公平に見て」と断言してしまうところが、東大話法である。こうやって自分勝手な議論を「公平」と称して、他人に押し付ける。

核燃料はあと30年分くらいしかない。石炭は千年分以上ある。石炭や石油は色々なところから自由に買えるが、ウランは核拡散防止条約体制などの制約があり、取引が厄介である。それに、価格が安定しているなんて嘘っぱちである。

http://ecodb.net/pcp/imf_usd_puran.html

を見よ。政治的理由などで、値段はとんでもなく上下する。

それに、埋蔵量がそもそも石油よりずっと少ないのだから、今後、急激に値上がりするのは間違いない。また、技術的にも、放射能の無害化技術がほぼ絶対に不可能であるため、構造的に「トイレのないマンション」である。それゆえ、技術的にも発展の余地などない。

原子力は将来がない。

それだけは確実である。