松本徹三氏がアゴラで立派な記事を書かれたので、同じところに出ている原発関連のものを見ていたら、このブログの主催者である池田 信夫氏が原発事故というブラック・スワン という記事を3月19日に出していた。

池田氏は拙著『生きるための経済学』に良い書評を書いてくださった。その縁で、アゴラが正式発足する以前に、少し参加していたことがある。

http://agora-web.jp/author/yasutomi_ayumu

このなかで池田氏と議論してみたのだが、どうも「東大話法」が使われているような感じがして、楽しくなかった。東大話法を使う人は私の周辺に事欠かないので、もう結構だからである。あとから wikipedia で見てみると、東大経済学部のご出身のようで、さもありなん、と思った次第である。それに、ビジネス化を目指すという話を聞いていなかったこともあり、正式発足の時に抜けさせていただいた。

池田氏の原発事故に関する上記の記述を見て、私は心底気持ち悪くなった。なぜ気持ち悪くなったかを、説明しておかねばなるまい。パラグラフごとに説明しておく。

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福島第一原発の状況はまだ予断を許しませんが、かなり大量の放射性物質が周囲に出たことは間違いありません。しかし、いま発表されている程度の放射線量であれば、発電所の周辺を除いて人体には影響がないでしょう。これについては過去の核実験で多くのデータが蓄積されており、計算可能なリスクです。
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これは既に暴論である。低レベル放射線量被曝もたらす長期的影響についてのデータの蓄積は極めて乏しい。なぜなら、この調査を科学的に厳密にやるためには、

(1)沢山の人を調べないといけない。
(2)非常に長期にわたって調べないといけない。
(3)身体の全ての部位について調べないといけない。
(4)子々孫々にわたる遺伝的影響について調べないといけない。
(5)被曝量を正確に見積もらないといけない。
(6)被曝部位を正確に見積もらないといけない。

からである。これらを全てやって、何の影響もない、ということがわかれば「健康に影響がない」と言えるのである。しかし実際問題として、こんな調査は不可能に近い。それゆえ、全ての調査はいい加減である。最も正確とされるのは、広島長崎の原爆の被爆者の調査であるが、これとても、放射能の影響が軽く見積もられていた時代に始まっているので、不十分である。それゆえ、

放射能の影響は、よくわからないけれど、当初思われていたよりは遥かに深刻だ、

ということだけがわかっているに過ぎない。

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もう一つの問題は、他の原発の建設や運転をどう考えるかということです。特に懸念されているのは東海地震の震源の近くにある浜岡原発で、「今すぐ運転を止めろ」という意見もあるようです。これは過去に前例がなく、個別の立地条件や設計に大きく依存するので、確率を正確に計算できない不確実性です。
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過去に前例のない大事故が、浜岡原発よりもずっと可能性が低いと見られていた福島原発で起きたので、浜岡原発事故の可能性はもはや否定出来ない。また、現段階では福島原発に対応出来ていない状態であり、万が一、浜岡原発でも同規模あるいはそれ以上の事故が並行して起きたら、決して対応できなくなる。それゆえ、止めてしまうべきだという主張は、合理的である。


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これについては過去の原発訴訟で、国と反対派の間に一定の合意ができています。それは原子炉が破壊されて大量の死の灰が周囲に降り注ぐチェルノブイリ型(レベル7)の事故が起こる可能性はあるが、その確率はきわめて低いということです。しかしその危険の評価は大きく違い、国は「それは隕石に当たって死ぬ程度の無視できる大きさだ」と主張し、反対派は「もっと大きい」と主張しました。

今回の事故は反対派が正しいことを証明したようにみえますが、必ずしもそうともいえない。今回の地震は耐震設計で想定した規模を超えましたが、原子炉そのものは崩壊せず、緊急停止しました。もし地震で炉が崩壊していたら、チェルノブイリのように臨界状態の核燃料が周囲に飛散して大事故になったでしょう。

電源が落ちてECCS(緊急炉心冷却装置)が止まったことも想定の範囲内ですが、このとき炉内を冷却するポンプが想定をはるかに超える津波で壊れ、予備の電源も壊れてバックアップの冷却装置も動かなくなりました。これは反対派も想定していなかった事態で、従来の論争の枠組の外側のブラック・スワンです。
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「これは反対派も想定していなかった事態」というのは、事実誤認である

http://d.hatena.ne.jp/daen0_0/20110319/p1

で指摘されているように、この問題は既に指摘されている。

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タレブもいうように、こうしたサンプルの少ない出来事については、あらゆる可能性を列挙することができないので、ブラック・スワンが生じることは避けられない。だから確率の大きさを論じることには意味がなく、最悪の場合に何が起こるかという最大値が問題です。

この点で今回の事故は、1000年に1度の最悪の条件でもレベル7の事故は起こらないことを証明したわけです。誤解を恐れずにいえば、国と東電の主張が正しく、軽水炉(3号機はプルサーマル)が安全であることが証明されたといってもいい。しかしこういう論理は、政治的には受け入れられないでしょう。今後、日本で原発を建設することは不可能になったと考えるしかない。これは日本経済にとって深刻な問題です。
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「誤解を恐れずにいえば」という枕詞も東大話法である。一般的に東大関係者がこの枕詞を使うときには、何か変なことを言っているので要注意である。

まず現在の事態は想定されていたことである。それゆえ推進派にとってのみの「ブラック・スワン」である。地震の規模についても、千年に一度などという稀なことではない。気象庁マグニチュードで8.3~8.4は想定内である。エネルギーの総量としても、ここ100年くらいで何度も起きている。恐らく、この規模の地震は、東海地震、南海地震という形で、あと2回くらい、この地震に関連して起きてもおかしくはない。

レベル7の事故が起きない、と19日の段階で断言していることが、池田氏が原発の怖さから目を背けていることを示している。チェルノブイリ型の事故は、決して起きないのではない。今回は地震が大したことなかったので、制御棒がとりあえず突っ込まれたので助かったが、直下型とかであれば、それが失敗する可能性は十分にある。もっと怖い「(推進派にとってのみの)ブラック・スワン」が出てきてもおかしくはなかったのである。

それに、福島第一原発のどれかの原子炉が大規模な再臨界を今後起こしてしまい、それが作業員の総引き上げにつながれば、チェルノブイリ以上の放射性物質の放出が起きてもおかしくない。起きないとしても、それはたまたま運がよかっただけである。

我々の運が良くなるように、私は毎日お祈りしているので、池田氏にも一緒にお祈りしてほしい。