いつも楽しく拝読させていただいている
恒吉亜矢子さんのブログ 「ときめき よろこび 宝探し」 の記事、
「金環食が今年起こった理由とは?」 を読ませていただき、
ハッとさせられましたので、ご紹介させていただきます。
金環食は、ご存じのとおり、「月が太陽を隠す」わけです。
その仕組みを少し説明すると・・・・
新月は、太陽と月の方角が同じであるため、月にあたる光がみえないこと、
太陽の光が強く、影響が大きいため、地球上から月が「見えなく」なるのです。
日食は、新月時に太陽の軌道(黄道)と月の軌道(白道)が重なるために
起こります。
~ウィキペディアより
AYAさんが、金環食で連想したことは、
金子みすゞさんの 「みえぬけれども みえるんだよ」という言葉だったそうです。
普段は、「見えない」新月ですが、今回のような金環食であると、
そこに月が「存在している」ことがハッキリとわかる。
いまはまだ自分の中に「わからない」「みえない」けれど、
本当はそこに「ある」。
「みえないもの」とは、自分の性格だったり、可能性だったり。
自分の中に「ある」ことすら、氣づいてないだけ。
みえぬものに氣づくことが、変容を促すのではないか。・・・・・
AYAさんはそうつづっていました。
AYAさんのブログを読んで、すごくハッとさせられました。
自信がない・・
思いやりがない・・・
私が「ない」って思いこんでいることは、実は私が氣づいていないだけなのかな。
本当は自分の中にある?
いままで、「ない」ことにに集中していて、すごく苦しくなっていたけど、
そこに「ある」のであれば、それがパッと、明るく照らし出される時が
ふとやってくるなら、クヨクヨ悩みながら過ごすより、
それがハッキリと分かる日まで、金環日食をワクワクしながら待っていたように、
できることをしながら、過ごすほうがいいのかな・・
そんなふうに思いました。
すみません、全然話がまとまっていないのですが- -;
それぞれにみなさん、思うことがあると思います。
ぜひ、彩矢子さんのブログをご覧くださいね!
さいごに、彩矢子さんがご紹介していた、金子みすゞさんの詩を
転載いたします。
【ほしとたんぽぽ】 金子みすゞ
あおいおそらの そこふかく、
うみのこいしの そのように
よるがくるまで しずんでる、
ひるのおほしは めにみえぬ。
みえぬけれども あるんだよ、
みえぬものでも あるんだよ。
ちってすがれた たんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
はるのくるまで かくれてる、
つよいそのねは めにみえぬ。
みえぬけれどもあるんだよ、
みえぬものでもあるんだよ。


