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今の流行の音楽は正直ついていけなくて自分も年を取ったなと感じる時がある(まだ30前なんだけど 笑)。
そんな私がよく聞く曲は自分が中学生や高校生の頃流行った曲。男性で言えばGLAYやミスチルやラルクアンシェル、女性で言えばモーニング娘や浜崎あゆみや鈴木亜美や宇多田ヒカルや倉木麻衣なんかが当時、よく休み時間の他愛のない会話に出ていた。
なぜ今の曲をあまり聞かず当時の曲を聞くかというと、その曲を聞くとその時のことをありありと思い返すからだ。ノスタルジーに浸るのである。
野球を頑張っていたこと、受験勉強を頑張っていたこと、夏休みに友達とバカ騒ぎをした、みんなで自転車で集団下校、叶わないと思いながら淡い恋心を抱いていたこと、・・・etc
よく昔の歌を掘り出す番組で「この曲が流行った199○年は~」とかいうフレーズを聞くと、「その当時自分は○○歳であんなことしてたな。色々バカやったけど楽しかったな」とかありありと当時の思い出がよみがえってくる。元気がなくても少しハッピーな気分になれる。
まあ懐古主義なだけかもしれないけど(笑)、けど誰にでもそういう曲ってあるんじゃないかな?
自分が好きだったのはSMAPの「世界に一つだけの花」。ちょうど大学受験のために浪人生活を送っていて県外予備校の寮に入っていたとき、部屋に唯一持ち込んだ娯楽品のラジオでよく流れていた曲。「No.1にならなくてもいい もっともっと特別なオンリーワン」。幾度となくこの言葉に励まされて、きつい浪人生活も無事終えて大学に入ることができた。
「歌は世につれ世は歌につれ」
歌はその時代のありさまや傾向の影響を受けた歌が多くなり、 又、その時代のありさまや傾向も歌の影響を受けやすいということ、という意味のことわざがある。人の人生の節目や思い出にはその時代の歌が寄り添っているんだなとふと思った。
今回は2000年の有馬記念を回顧しようと思う。この年私が注目してたのは秋古馬3冠のかかったテイエムオペラオーでもその対抗馬と目されていたメイショウドトウでもなく、このレースで引退を迎えるキングヘイローだった。
クラシック候補と言われながら善戦止まりで結局勝ちきれず、古馬になって短距離路線にシフトするもGⅠにはこれまた善戦止まり。この2000年に高松宮記念を驚異の末脚で勝ち取り悲願のGⅠタイトルを手に入れた。父ダンシングブレーブは80年代欧州最強馬の呼び声高き馬、母グッバイヘイローはケンタッキーオークス他米GⅠ7勝の名牝。世界的名血をその身体に受け継いだ馬だった。このGⅠ制覇により種牡馬としての価値を確かなモノにした。
両親から偉大な血統を受け継ぎ、周りに認められてはいるんだけどなかなか結果が出ない・・・。そんなところが私と彼の共通点で彼のことが人事みたいに思えないところがあった。「ちゃんと努力すれば結果は必ずついてくる」。それを彼は身をもって私に教えてくれた先生でもあった。何より彼は私の職業選択に多大な影響を与えた。それほど当時も、そして今も彼は私の中の大きな部分を占めているのだ。苦しいきも彼の存在が私を支えている。そんな彼もこの有馬記念で現役を引退することとなる。
彼の母であるクッバイヘイローには中3の夏に北海道の協和牧場を訪問したときに見たことがある。見学時間を過ぎていたが、牧場関係者の人が親切に案内してくれたのをよく覚えている。
話を2000年の有馬記念に戻そう。彼が本馬場に姿を現したとき、1番人気のテイエムオペラオーにも勝るとも劣らない歓声を浴びていた。GⅠの数で言えばテイエムオペラオーが多い。しかしその偉大な名馬と同じくらい彼はファンから愛されていたのだ。嬉しさと同時に「これで最後か・・・」と少し悲しい気持ちにもなった。だが、「どんな結果になっても彼の最後の走りを目に焼き付けておこう」。そんな気持ちで私もテレビでレースを見ていた。
レースはジョービックバンが引っ張り、テイエム、メイショウは中団やや後方から。キングヘイローは離れた最後方からレースを進める。「いつもの引っ掛かり癖が出てないのはいいけど、ついていけてないんじゃ・・・?惨敗かな・・・」と不安になった。「別に惨敗でも構わない。無事に終わりさえすれば」とも。
直線に入り、メイショウドトウとダイワテキサスが抜け出しテイエムは馬群をなかなか抜け出せなかったが、強引にこじあけて来た。テイエムがわずかにメイショウを差し切ったところがゴールだった。キングヘイローはというと・・・。なんと最後方から猛然と追い上げて4着まで食い込んできたのだ。惨敗を覚悟してただけに嬉しかったが、ここまで来れば勝って欲しかった気持ちも。
でも無事に終わってくれたから何よりだった。いつの間にか私の目には涙が溜まり、頬を伝っていた。
「名馬」の定義にはいろいろあるかもしれない。GⅠをたくさん勝った馬、強い勝ち方をする馬など。
でも彼のように泥臭い走りながらもファンの心をつかみ、人の人生に影響を与える馬もまた名馬だと思う。前述の通り、彼の存在にかなり影響を受けてきた。苦しいときも「キングヘイロー頑張ったんだから俺が頑張らないでどうする!」と何回も自分自身を鼓舞してきた。浪人のとき、教科書と参考書しかない寮の部屋にあった唯一の娯楽品と呼べるものはグッバイヘイローの牧場で撮った写真とキングヘイローのポスターだった。「彼が出来たんだから俺にも絶対出来る」。そう思ってこれまで努力だけでここまで来れた。そしてこれからもそうあり続けたい。彼に出逢えて本当によかったと心の底から思う。
この有馬記念で引退し、種牡馬となった彼の初年度産駒はダービーに駒を進めてきた。さらにはオークス・秋華賞の2冠を制したカワカミプリンセス、高松宮記念やスプリンターズSを制したローレルゲレイロらを輩出した。98年の日本競馬界を盛り上げた同期たちと比べても遜色ない種牡馬成績である。
けど、私は待っている。親父が惨敗した日本ダービーの舞台で本命馬の重責を背負って鮮やかにターフを1着で駆け抜ける、彼の偉大な血を受け継ぐ優駿を・・・。
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今回は1999年の有馬記念について回顧したい。この年熱い視線を送っていたのはスペシャルウィー
ク。名手・武豊の悲願を叶えた馬である。この年彼は良い時もあれば悪い時もある浮き沈みのある1年
だった。天皇賞・春で快勝するが宝塚記念でグラスワンダーに惨敗を喫し、夏の調整をしくじって秋初戦
の京都大賞典を生涯唯一の掲示板外しの屈辱を味わう。しかし白井寿昭調教師をはじめとするスタッフ
の献身的な調整もあり天皇賞・秋では見事鮮やかな復活を遂げる。続くジャパンカップでもエルコンドル
パサーの敵討ちと言わんばかりに、凱旋門賞馬モンジューなどの海外強豪馬を見事に完封してその強
さを世界にアピールした。このレースを見た世界の名騎手マイケル・キネーンに「俺なら来年この馬をキ
ングジョージに連れて行きたい」とある雑誌でコメントさせるほど鮮烈なインパクトを残した。そしてこの時
点でシガーを抜いて当時の世界の賞金王に躍り出た(←今はテイエムオペラオー)。初の秋古馬GⅠ3
連勝をかけて有馬記念に挑む。
この有馬記念には年度代表馬の行方も注目されていた。スペシャルウィークが勝てばエルコンドルパサ
ーとの一騎打ちとなるが、グラスワンダーが勝てば事態は混沌としてくる。またこの年国内では1走もし
てないエルコンドルパサーをどう評価するのかという問題もあった。私はスペシャルウィークは負けたと
してもひどい負け方でなければ年度代表馬になると思っていた。エルコンドルパサーの世界での活躍も
確かに素晴らしいモノ。しかし、国内の競馬を盛り上げたのは明らかにスペシャルウィークだろう。この
年1回も国内で走ってないエルコンドルパサーを年度代表馬にするのはどうかと思った。ただし、誤解さ
せるような書き方をしたかもしれないが、私はエルコンドルパサーも好きだし海外での活躍も評価してる
る。「日本の競馬を盛り上げ、なおかつ実績を残した馬」という基準で年度代表馬を選ぶなら私はスペシ
ャルウィークを選ぶ、ということだ。
るカタチでレースを進める。3コーナー過ぎで手応えよくツルマルツヨシが上がるのと同時にグラスも仕
を分けたのはその差「4cm」、あってないような差だった。「競馬に勝って、勝負に負けた」とは武豊の
敗戦の弁。まさにその通りだった。これで年度代表馬争いが混沌とすることになる。
ら知るところだろう。でもエルコンドルパサーを選出したことには、前述の通り異論はない。「この年は
3頭の偉大なチャンピオンが日本にいた」と私は解釈してる。そして、「1頭だけ年度代表馬を選ばなけ
ればならない」状況でスペシャルを選出しなかったのは「JRAが最も重視してるジャパンカップを軽視し
て、1回も国内で走ったことのない馬を選出し、日本の競馬を低く見た」とも解釈してる。
彼の仔からブエナビスタ、シーザリオ、インティライミなどクラシックを沸かせる馬が出現した。今年もブエ
で+12㎏とやや調整不足が否めない感もあり、一方スペシャルもピークに仕上げたジャパンカップから
今週は有馬記念Weekなんでこれまでリアルタイムで見てきた有馬記念の中でも特に印象に残ったレー
スを勝ち馬・惜しくも負けてしまった馬をこだわらずに応援してた馬とその馬への想いを当時を振り返りな
がら回顧していきたい。今日は1998年の有馬記念について回顧していこう。
この年応援していたのはエアグルーヴ。「日本競馬史上最強牝馬」の呼び声高き牝馬の引退レースだっ
1番人気はセイウンスカイ。エアグルーヴは2番人気でレースを迎えることになった。スタートで少し
終わった当初は残念な気がしたが、怪我とかなく無事にレースを終わってくれてよかった。彼女はデビ
た分もその仔を応援しよう」と思ってきた。そして彼女の第1仔は「アドマイヤグルーヴ」と名づけられ
この思いがあったから今まで辛い時もキツい勉強も耐えてこれた。俺と同じようなことを考えて獣医師を目指した人間も少なくはないそうなので、そういう人にはどこか親近感を感じることがある。
あの史上空前のハイペースの逃げを打った天皇賞・秋・・・・もし無事ならどんな勝ち方をしていたか未だに当時のビデオを見るとつい想像にふけってしまうことが多々ある。そしてもし後世にその偉大なる血を継承する者がいたならばディープインパクトの独走を許さなかったんじゃないかと心から思っている。
偉大なる優駿よ、安らかに眠れ。
先週、大阪で開催された日本獣医学会に参加してきた。私も学生時代、発表したことがある学会であれから数年しかたたないのに随分時間がたったように感じる。参考になる発表演題もあったりして充実した時間を過せたと思う。勿論、大阪観光も含めて。
今年も多くの学生が発表を行っていたが、数年前は私も彼らと同じ学生の身分でこの学会に臨んでいた(先生の陰謀で参加させられていた 笑)。
自分の実験したデータをパワーポイントでまとめていきなり本番で発表・・・というわけでは勿論なく、事前に先生や上司の指導の下、「予演会」というものを行うのがどこの機関でも常であろう。
この「予演会」で先生や上司の細かい指導の下、自分の作成したパワーポイントスライドの訂正、さらに研究内容から想定される質問対策を練ったりする。勿論、本番に即した厳しい指摘を何度もくらいながら、本番に向けてベストのものに仕上げていく(学生の発表は学生自身より先生の責任が大きいので、先生方も必死になるのだと思う)。
その中で大学時代に指導していただいた先生に言われた一言を今も鮮明に覚えている。
「あのね、発表の舞台に立てば学生とかそんなの関係ないの。学生でも『先生』。立場に甘えてはいけない。その研究に対しては自分が一番勉強してるはずだから、堂々と発表しなさい」
社会人になって業務で参加する学会で、大学時代の専門でなかったり、苦手科目だったり、上司に発表を強制されたりとかいう理由で平気で「私は○○が専門でないのでわかりません」とか言う人がたまにいる。学生でも言わないようなことを社会人となった獣医師が学会発表の場で言うのを聞くと同じ獣医師として恥ずかしく思う。
私は別に研究や発表の内容がまずいとか症例の診断が間違っているとかは正直どうでもいいと思っている。大学の先生や経験のある先生のほうが私のような若造の獣医師より知ってるわけだから、わからないことや診断の間違いは彼らが答えてくれたり指摘したりしてくれるはずである。
一番大事なことは発表演題に関しては壇上に立つ以上、自分自身が誰よりも「プロフェッショナル」でなければならないから、関連分野を一生懸命勉強して準備することだと思う。予想もしない質問が飛んできてわからなくても、気持ちが逃げ腰な人とは心の余裕が違うと思う。
目の前の現実から安易な理由で逃げないこと、自分の責務(発表演題)を全うすること。
私は学生時代の学会発表を通じて、そのことを先生から学んだ気がする。それは社会人の仕事にも通じるところがあると感じてる。
そんな私も近いうちに学会発表をする予定。とにかく真摯に、ひたむきに、症例と研究を向き合おうと思っている。
毎年夏恒例の小倉競馬場遠征に出かけてきました
暑いけどやっぱり生で見る競馬は迫力があって面白いね(=⌒▽⌒=)
もう10年くらい前から夏のこの時期は小倉競馬場に行ってるね。競馬とか馬が好きで獣医師を目指したので、馬を見ることが昔からとても好きなんだよね(≡^∇^≡)
競馬場にはファーストフードショップ、ファミレス、競馬グッズショップなど色々なお店が入ってる。勿論、お店ではないけど馬券販売機も(笑)。
競馬場内の売店で買ったかき氷暑い時期の競馬観戦には欠かせないもの。多くの競馬ファンが暑い中、かき氷を食べてスタンドから観戦してる。
そして馬券多くの競馬ファンが一攫千金のビックドリームを求めて買うんだけど・・・私はギャンブラーではないのでほんの気持ちだけしか買いません最近では「クィックピック」といってコンピューターが勝手に任意の組み合わせを提示してくれるシステムもあり、今回はそれで買ってみたけど、大ハズレやっぱり自分の考えで買うほうがいいよね。
昔は競馬のイメージも悪かったけど、今では親子が動物園感覚で遊びに行ったり、子供が楽しめるように水遊び場や砂場や乗馬体験施設なんかも用意しててひとつの小さなアミューズメントパークになってるからいろんな人が楽しめるようになってる。
競馬に行ったことないな~って人も気軽な感じで競馬場に一度は足を運んでみてはどうでしょうか?馬券だけが競馬の魅力じゃないってことに気づく人も多くいると思っています。
本当に勝つ奴っていうのは、
力が強かったり、才能があったり、努力する奴が勝つんじゃなくて、
その変わっていく環境に、いち早く順応できる人が勝つ。
(石井慧・北京五輪柔道金メダリスト)
その6
こんなことを言った人がいる。
二流の選手は環境の変化に対応できない。
一流は、それに逆らわない。
そして、超一流は、それを利用する。
(草場道輝作「ファンタジスタ」)
環境の変化に対応するってことは仕事でも日常生活でも成功するために不可欠な条件なんだと思います。