おはようございます。今日という日1,17阪神淡路大震災がおきました。震度7でした。
テレビでも、報道されていますが20年という月日が、すぎました。
私もあの日の記憶を、神戸という土地に、ご縁があるので忘れないように、
書き留めたいと思います。
まだ夜が明けないとき、珍しく1階で母と私は寝ていました。22歳の時です。
父は、2階でした。
突如すごい揺れががたがた上下に、激しく揺れ何が起きたのかわかりませんでした。
母はすごい地震や~!家がつぶれる~~パニックを起こし叫んでいました。
父が2階から降りてきて、その後、当時いた外でかっていた、ミックスのクマという名の犬とともに、貴重品をもち、みんなで、車の中にしばらく避難しました。
本当経験したことのない大揺れ、本当に怖かったです。
随分揺れましたが、うちの地域は、神戸から離れていて、被害がありませんでした。
当時老人保健施設で、働いていた私。
通常通り仕事に行くと、婦長さんがいつまでたってもこなくて、仕事をしながらも
テレビにニュースをつけていたら、神戸の長田地区は炎に包まれていました。。
もうびっくりして、本当にそのようなことが起きているのが、
想像も、つきません。、、よく遊びに行く三宮も東灘も建物は壊れ・・
線路は曲がり、高速道路は、破壊していました。
婦長さんもスタッフも無事でしたが、家は、全壊されました。
スタッフも寮にしばらく住み、みんなで食べ物をもっていったり、お風呂に入れてあげる人もいました。
親戚の地域も、ひどい被害でうちの家に、しばらく避難していました。
親戚の笑顔がなくなった呆然とした顔をみて。。
言葉をなくした様子に、心が痛み、、、何も声をかけれませんでした。その被害が本当にすごかったんだと、おもいました。
あの日若い22歳の私。。。あの日の記憶があるようで、あんまりないようにも、おもえます。。。
でも、忘れたくても、忘れられません。
特に、すぐに逃げれないお年寄りや障害のあられた方は、本当に怖かったと思います。
仮設住宅への訪問も、1度したことがありますが、、、
私の尊敬していた婦長さんの旦那さんの知り合いの方は、自らボランティア団体を立ち上げ・・今でも、震災を体験されたお一人暮らしのお年を召された方の、一件一件訪問活動を、されています。
人が人を助けあう心。寄り添う気持ち。それを見せていただいたように、思います。
いつどんなことがあるかわからない。
人の優しい優しい思いが、心に・・・身に。。
染みました。
今日も祈ります。みんなの愛の祈りが届きますように。
ピンク色の 愛と光が町を包み、、地球に広がり、宇宙へ愛が届きます。
笑顔と光で包まれます。
お読みいただき、ありがとうございました。