ある日の朝、父母会の途中に携帯電話が・・・。
仕事用、プライベート用に番号を分けているのですが、プライベートの方に知らない番号から・・・。
まったく知らない日系人の奥様から翻訳をお願いしたいとのご依頼・・・。
この方の日本名は光江さん。
私の母世代、60代でしょうか。お会いしてお話を聴いてみると、
先月行われたうちなんちゅ大会 に合わせて、日本と中国を周るツアーにいらしたとのこと。彼女はペルー生れのペルー育ちで、日本語は挨拶くらいしか知りません。日本に行ったのは初めて。そして、そこで生き別れた実のお兄さんに初めてお会いになった。通訳を通して話をした。そのときのことをお礼の手紙を書くので、その翻訳をお願いしたいとのこと。
そのお兄さんのお名前は善光さん。兄弟姉妹の中で、長男である彼だけが、戦争の時代に、お母さんの独身の妹さんといっしょに日本に残ったそうです。そして、光江さんは、お母さんから、いつも叔母さんたちの話、善光さんの話を聴いていて、ずっと会いたくてたまらなかったそうです。
今度の旅行のことを善光さんに連絡したものの、もしかしたら私になんか会いたくないんじゃないか、迷惑なんじゃないか、と気をもんでいたそうです。
ところが、那覇の滞在していたホテルに、善光さんの娘さんが迎えにきてくれたので、ツアーの日程の一部をキャンセルして、那覇から片道3時間くらいかかる本部という町に、ご家族に会いにいったそうです。
本部は、私がその昔ダイビング

でさんざんお世話になった町です。
聞いてみると、ツアーが那覇空港に到着するときにも、善光の娘さんは空港に出迎えに行ったけれど会えなかったとのことだったそうです。
さて、本部に着いてみたら、お母さんのお姉さんたち、善光さんを育てたお母さんの妹、会いたかったみんなに会えました。そして、迷惑などころか、善光さんのご家族だけでなく、彼の奥さんのご家族や、子供たちのご家族にまで招待され、大変な歓迎を受け、亡くなった光江さんのご両親のお仏壇へと、お供えまでたくさんいただいたそうです。
光江さんは、そのみなさんに、マチュピチュやナスカの絵

の描いてあるとても素敵なカードを11通と、そのときに撮った写真

の焼き増しをそれぞれ11通分ご用意され、11通分の下書きのメモといっしょに私を訪ねていらっしゃいました。
叔母さんと伯母さんなど漢字表記の違いなどもあるので、家族構成などをお聞きしている間に、血縁的にはけして近くない家族まで光江さんを大歓迎してくれたことや、善光さんのお人柄、ご家族の素晴らしさ、優しさ、温かさなどが伝わってきて、話す光江さんもお聴きする私も、涙、涙となりました。
そのお話しの途中でも何度も
”神様ありがとうございます。先生に出会えて本当によかった。”
とおっしゃり、”先生”のところだけ日本語。 先生と言うのは止めてください、と申し上げても
”先生、ありがとうございます。”
と、何度も何度もお礼をおっしゃっていました。
日本は家で靴を脱ぐということさえも知らなかった光江さん。
今回の旅行で習慣の違いに直面して、失礼があってはいけないので、誰か習慣のわかる日本人に手紙を見てもらいたい、でも知り合いはいない・・・と悩んでいたそうです。
私が日本で日系ペルーの会社で働いたことがあり、ペルーと沖縄の習慣を同時に学んだこと、日系人の方の先祖を大切にする気持ち、同胞で協力する気持ちなどの素晴らしさを尊敬していること、
日系の方々との信頼関係のおかげで、今私がリマで何不自由なく暮らしていることなど、私もお伝えしました。

沖縄

のあとツアーは中国

に行き、帰ってきてからは疲れと時差ボケからなかなか復活できなかった光江さん、お礼の手紙が遅くなることがとても気になっていたそうです。超特急で私も翻訳を済ませ、お渡ししたら、今度は家系図の翻訳を頼まれました。これがあれば、お名前の漢字もわかったのに、と申し上げたら、光江さんの別のご家族から先ほど手にいれたばかり・・・とのこと。
ペルーでは日本と違い、本人の許可なく電話番号を他人に教える習慣があります。
私の電話番号は、光江さんはお嬢さんからもらったとのこと。でもお嬢さんとも私は面識がありません。どの友人が私の電話を渡したのかまったくわからないのですが、こんな素敵なお話を聴かせていただけたことに感謝します。
光江さんの沖縄のご家族からの返信、私もとても楽しみに待っています。