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上野にまとめて

ミュシャ展、5美術大学合同卒業制作展、東京藝術大学卒業制作展を見に行きました。
これももう行ったのは昨日だけど、平日のお昼というのに東京都美術館はとっても御盛況。学生からおばちゃんたちまで賑わっていました。

ミュシャ展。ようやく行くことができたんですが、思った以上の充実ぶり。
注目は普段なかなか見られないポスターの下絵やドローイングたち。ミュシャの本当の実力というか、努力がみれて興味深いです。デッサンはもうさすが…。
場内は圧倒的に女性が多かったです。ミュシャの曲線美、装飾は女性が好きそうですよね。そしてミュシャお土産コーナーが恐ろしい人だかりだった…ポストカードから手鏡、Tシャツまで!もう何でもありって感じ。私も復刻クッキーBoxsを思わず買ってしまいました。

2つの卒制展。いつも卒制展見に行くと絵に力をどんどん吸い取られて、見終わる頃には頭痛くなってぐったりで帰ります。もちろん今回も。何百人の人の想いと力にバシバシ襲われるんですからそりゃあ疲れますよね。最初は元気になるんですが…
好きだったのは水道管使ってドロドロな感じの絵かな。
芸大建築も見たんですが読み解く元気がなかった…とかいって建築学生らしからぬ発言。
沢山のファインアートの中に建築の作品があるってなかなか感覚も使う頭も違うので切り替えがなかなか難しい。ううむ。

懐かしいという感情とアイデンティティの関係

私は「懐かしい」という感情が強いと思います。
まだ若いくせに何言ってんだって感じですが、ある種の風景、風、街並みに過敏に反応します。心地よいような切ないような、強く引き戻される何か。デジャウ゛のような…
その感情を例えるのには、一番「懐かしい」が合っている気がします。

でも懐かしいってどういう感情なのでしょう。
いろんな感情が織り混ざっていて、よくわからない。うーん

懐かしいを調べていたら、興味深いコメントを発見しました。

藤森照信『建築はどうしてあるのか─建築がむやみに壊されてはいけない本当の理由』(新建築2002年8月号)を読んでなるほどと感心させられることがありました。一部引用します。
「ひとつの古い建物があったとしよう。かつてそこで一時期を過ごした人が久しぶりに訪ねて、前に立ったとき、懐かしさが込み上げるのを禁じ得なかった。昔の建物が今もあるのを見て、彼は、意識の奥で、自分がずっと連続しているのを確かめることができた。その一瞬に湧いてくる満足の感情のことを人は懐かしさと名づけたのである。」
建物だとか街並みの時間的連続性によって自分が自分であること、アイデンティティを確認できる、そのような感情を懐かしいと呼び、それは人特有の感情である、ということのようです。
建築家・土屋 裕さんのHPより引用

なるほどーアイデンティティの確認を感じていたんだ!
とちょっと納得しましたが、でもこれは私の感じる懐かしいとはちょっと違うみたいです。見たことない風景にも反応するし、風や日差し、空気とか時間的連続性がわかりにくい感覚にも反応するからなぁ…
でも私と同じような懐かしいを感じている人もめずらしくないようです。
なんなんでしょうこの感じ。


それにしても懐かしいから藤森照信さんのコメントにつながってしまったのが驚き。

懐かしいって英語に訳しにくいとききますが、アイデンティティも日本語に訳しにくいんですよね。
懐かしいとアイデンティティ。不思議な組み合わせです。