Wisdom of the East ① | かふぇ・あんちょび

かふぇ・あんちょび

このカフェ、未だ現世には存在しません。

現在自家焙煎珈琲工房(ただの家の納屋ですけど…)を営む元バックパッカーが、

その実現化に向け、愛するネコの想い出と共に奔走中です。


この世で、人間でありながら、

他の生きものを害するひとは、

この世とかの世の幸福を二つながら失う。

さらに、慈しみの心を持ってあらゆる生きものをあわれむ者、

このような人は多くの幸福を積む。

善く語ること、道の人に仕えること。

ただ一人で独坐すること、そして、

心を静寂にすることを学べ。


                ――ヴァーラナ長老





 チベットのラサが、現在とても不安定な状況にあるようです。

かの地はかつての私が、旅費が尽きた後にはるかオーストラリアの地で汗と泥にまみれて農園労働をしていた時の夢と憧れの地であり、ヒッチハイクのトラックの荷台に乗り、外国人未開放地域での検問をすり抜けながら目指した、旅の終着点ともいえる場所です。


 独立国であったチベットを武力併合し、民族文化を弾圧し、人びとが観音菩薩の化身と仰ぐダライ・ラマをインドの地に追いやった中国当局との間に漂うキナ臭さは、当時の無神経な私でもひしひしと感じていました。


 一方の中国もまた、私の旅の長い期間を過ごした国であり、人民解放軍の招待所には何度も宿泊させてもらったし、チベットを不法に旅した際に2回ほど捕まった時の公安当局の人々も、ただの無鉄砲な私を聖地ラサへ向かう巡礼として礼節を持って扱ってくれたし、彼らなりの温情を施してももらいました。


 チベットの厳しい自然の中で、貧しくつつましく、そして高度に宗教的な世界観を持って生きるチベット族の人たち、そして、おそらくは貧しい家庭の出身で、故郷から遠く離れた辺境の地に赴いて任務に携わっているのであろう公安当局や人民解放軍の人たち、個人個人がひとりの人間としては何も争う理由のない彼らが、かの地で憎しみあい、傷つけあうような事態が、どうか無事に収束に向かいますように・・・。




       巡礼仲間



         
       チベットの牧民



                                     
          中パ国境 フンジェラブ峠