#31 洛陽ハスラー | かふぇ・あんちょび

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このカフェ、未だ現世には存在しません。

現在自家焙煎珈琲工房(ただの家の納屋ですけど…)を営む元バックパッカーが、

その実現化に向け、愛するネコの想い出と共に奔走中です。

 鉄道で洛陽に到着したのは真夜中、丸一日の超満員電車にくたくたであった。
この夜中に安宿を探す気力もなく、駅員さんに聞いた近くの宿でとりあえず1泊した。
ツイン100元(1100円)。
ちなみに南京からの鉄道二等席料金は所要14時間の旅で32元(350円)であった。

 翌朝散歩がてら宿をはしごし、1ベッド50元のとこをみつけて引越しした。
4人部屋だが独り占め状態で、こっちの方が安い上に待遇がいい。
中国ではホテルによって外国人と中国人を同じ部屋に泊めない所があり、結果チープにでかい部屋に独りで泊まれる事がままあった。
これはこれで少し寂しいのだが。

 さて、歴史のある古都洛陽には、行きたい場所が何箇所かあった。
僕の高校時代の愛読書は、横山光輝の漫画『三国志』なのである。

 さすがに長時間の移動をしてきただけあって、町の様子も上海などとは違って見えた。
いにしえの都ではあるが、ずいぶんとのんびりとした感じを受ける。

 初めに向かったのは、三国志の武将関羽の首が祀られているという首塚だったのだが、結局ここにはたどり着かなかった。
路線バスの窓から見た風景につられ、あわてて途中下車してしまったのである。

 それは、埃っぽい路の並木の下に玉突き台がズラーッと並び、半裸の人民ハスラー達がキューをもてあそぶ路上ビリヤード場であった。

 僕は『ハスラー2』世代でもあったのだった。
高校1年であの映画を観てポール・ニューマンの渋さに惹かれ、同級生たちと部活の帰りに田舎のボーリング場の片隅で玉突きを始めて以来、ブームが去ろうとビリヤードは常に僕をとりこにしてきたのだ。
大学の時には、ナントカ市長杯の試合にも出たことがある。
出場者の中でキューを持っていないのは友人と僕の二人だけで、恥ずかしい思いをしながら会場の備え付けキューを選んで試合に臨み、たしか2回戦負けの成績だった。

 しばらくゲームを見物してみる。
どうやら彼らはエイトボールをやっているようだ。
金銭が懸かっている訳ではなく、負けた方がゲーム代を払い、勝った方はそのまま台に残って次の挑戦者を迎えるしくみらしい。

 ボロボロのラシャとただの棒切れのようなキューが不安ではあったが、挑戦しない手はない。
この際下手な中国語は使うまいと決め、親指で自分の胸を指し次の挑戦者に名乗りを挙げた。

 おそらくこれまで彼らが外国人を迎えたことはなかったのだろうと思う。
緒戦からギャラリーが集まってきて、にわかに野試合の雰囲気になってきた。
そして1ゲーム目を相手に2度触らせただけで取ると、周りが黒山の人だかりになった。
いやあ、あれはすごくいい気分だった。
まさに気分は流れ者ハスラー…。

 4人目を抜いたところで、自転車に乗って次の挑戦者が到着。
どうやら誰かがわざわざ呼びに行ったらしかった。
周りのにいちゃん達の反応も明らかに違う。
すごい、映画の展開そのものではないか。

 彼の腕前は僕より上であった。
バックスピンやカーブなどの小細工の利かないこの台での戦法を熟知しており、気持ちよいストレート一本槍で次々にポケットを決めてゆく。
お互いにゲームを落としても対戦者を代える事なく、しばらくゲームが続いた。
いつのまにかお店?のお姉さんまで現れ、黒板にチョークで勝ち星を記録し、落とした玉を並べなおすのも彼女が担当した。

 ゲーム代は1ゲーム4角(4.4円)だった。
12回戦やって2元払ったとこからすると、最終的には7-5で一応は勝ったようであるが、この際勝負はどうでもよかった。

 台球太玩了!

と、僕が初めて口を開き彼に声をかけると、にいちゃんはニッコリ笑って煙草を勧めてきた。