第2回 元東北楽天ゴールデンイーグルス 紺野陽子さん
-------------------------------------------------
アナウンスとの出会いは小学生時代
「こんな仕事もあるんだ」
野球に興味を持ち始めたのは中学時代。ソフトボール部に入ったのがきっかけでした。それまでは、野球のことがよくわからなくて、正直、特に興味がありませんでしたが(笑)、ただ、アナウンスには、小さな頃から興味を持っていたような気がします。仙台に住んでいた私は、小学生の頃、両親に連れられて宮城球場(現コボスタ宮城)へプロ野球観戦に連れて行ってもらったことがありました。野球がわからないものですから、お菓子を食べながらただ試合を眺めていたのですが、ふいに場内アナウンスの声が耳に入ってきて。「へえ、こんな仕事もあるんだぁ」と幼心に思ったことを覚えています。野球に興味を持ち始めたものの女子高へ進学してしまい(笑)、『何が何でも野球部のある大学に』との思いで城西大学に進学、迷うことなくマネージャーになりました。あるとき、試合の場内アナウンスをすることになったんです。そうしたら監督さんや周りの方から思いのほか褒めていただいて。宮城球場での思い出も手伝ってか、その日以来、俄然、アナウンスの仕事を意識するようになりました。先輩のアナウンスを撮影したビデオをくり返し見てはタイミングやテンポをひたすら練習して、自分なりに上手くなる努力をしましたね。
夢を諦めず憧れのロッテアナウンサーに
大学を卒業して社会人になってからも、アナウンスをやりたくて、仕事をしながら社会人野球の試合のアナウンスをしていました。でも、徐々に気持ちは、アナウンスのプロを目指すようになっていきました。そしてとうとう、千葉ロッテマリーンズの球団事務所へ電話したんです、「ぜひ、場内アナウンスをさせてくださいって」。
なぜ、ロッテだったかといえば、アナウンスが『一番素敵だな』と感じていたからなんです。思えば、宮城球場で観戦したのもロッテ戦でした。それだけあの日のことが印象的だったということなのだと思います。
もちろん、はじめは全く相手にされませんでした。そりゃそうですよね(笑) それでもくじけず、何度も何度も電話してお願いして。そしたら、根負けしたんでしょうか(笑)、二軍のアナウンスを担当していた事務所を教えてくださったんです。そしてそちらへお願いをして、ようやく、ロッテの二軍戦のアナウンスを任せていただけるようになりました。大学卒業後、2~3年後の話です。
それからロッテで13年間お世話になりました。ロッテ時代は、とにかく、観客の耳障りにならないように、心地よく試合観戦ができるようにということを常に考えながらアナウンスしていましたね。
自分が名前をコールした選手が一軍へ上がって活躍してくれると、本当に嬉しかったです。ホームランを打ったりすると、もう大興奮ですよ!! テレビ観戦していても、一人で大声出して喜んで(笑)
日頃から、選手たちが一日も早く一軍で活躍できますように、と祈りながら名前をコールしていました。もう母親の心境でしたね(笑)」
『どうぞ、今日が思い出となりますように』一声ずつ気持ちを込めた楽天時代
「東日本大震災が起こったのをきっかけに、故郷・仙台が本拠地の楽天イーグルスでアナウンスしたい、何かお役に立ちたいという思いが芽生えました。楽天にお願いしたら、快諾してくださって。それで、ロッテから楽天へ移ったんです。今度は、場内アナウンスだけでなく、イベントMCなどのステージ上で話す仕事のほか、テレビやラジオも担当させていただきました。おかげで、みなさん顔を覚えてくださり、あちらこちらで球団ファンの方から声をかけていただくことが増えました。
そんなある日、タクシーの運転手さんが話しかけてこられたんです。その方は、東日本大震災で家も奥様も津波に流されてしまう不幸に見舞わられたのですが「すっと野球どころじゃなかったけど、そろそろ観に行く頃かなぁ」とおっしゃって。球場にはいろいろな事情や気持ちを抱えた方が観にこられているのだと、改めて感じたできごとでした。
楽天のホームゲームには、イニング間にアナウンサーがお客様を盛り上げる時間を設けているのですが、『来場されたお客様にとって、どうか今日が思い出に残る一日となりますように』という思いを込めてアナウンスしていました。どのお客様も、今日が最初で最後の観戦になるかもしれない、常にそんな気持ちでマイクの前に座っています。
2013年に楽天がリーグ優勝をしたとき(楽天はその年の日本一)、西武ドームで西武戦だったのですが、その瞬間をスタンドから見届けました。優勝が決まった途端、今まで球場で、町で、声をかけてきて下さる楽天ファンの方々の顔がパァーッと浮かんできました。どこかで優勝を喜んでらっしゃるだろう姿が目に浮かんで、本当に嬉しかったですね」
いろんな経験を経た今もなお、原点は場内アナウンス
「場内アナウンサーを目指すなら、野球のルールや知識を知っていることはもちろん、スコアが書けなくてはいけません。また、野球以外にも、幅広い知識を身につけておいた方がアナウンスにも深みが出ると思います。
チャンスはある日突然やってきます。いざ、チャンスの扉が開いた時にいかに自分をアピールできるかが勝負。その日のために、準備できているかが大事です。
最近のプロ野球アナウンスの世界は、男性アナウンサーの活躍が目立ってきています。正直、はじめは対抗意識を燃やしていましたが(笑)、楽天時代に一緒に仕事をしていく中で、意識がガラリと変わりましたね。というのも、男性アナウンサーには、女性アナウンサーには真似のできない力強さでグランドを盛り上げることができます。そこが素晴らしいと思いますし、一方で、心地良く響く声は女性アナウンサーならでは。女性しか使えない言葉や表現方法もありますし。男性ならでは、女性ならではとそれぞれの良さを活かしたアナウンスで、これからも互いに力を合わせて球場全体を盛り上げて、たくさんの人に野球を観に来てもらえるようにしていきたいです。場内アナウンスは、私の原点。これからも続けて行きたいですね」
【取材・文】 中川路里香
------------------------------------------------------
紺野陽子(こんのようこ)プロフィール
宮城県仙台市出身。城西大学硬式野球部でマネージャーを務め、卒業後は千葉ロッテマリーンズの場内アナウンサーに。13年間、ファームのアナウンスを担当したのち、東北楽天イーグルスに移籍し、場内アナウンサー、レポーター、MCなども担当。さらに、ゴルフなどの他競技、ブライダル司会やイベントMCなど、野球の場内アナウンサーだけにとどまらず、幅広い分野で活躍。現在は、ウグイス嬢歴16年を迎え、アカデミーでの後進の育成や自身のさらなる活躍の場を広げている。