信愛なるサムライAさん



「僕にもストレスがありましたよ」という率直なご感想ありがとうございます。
誰にでもストレスがありますね。引っ越しや結婚や出産など、喜ばしいことでも、人はストレスを感じる生き物だそうです。
「ストレス」は生きていくための一種の“刺激”かもしれませんね。




お見舞いに伺った時に、私の後からすぐAさんの気功の仲間の方がいらして
「(気功の)先生から、電話で“気”を入れてもらうようにお願いしておいた」と仰っていましたね。
あの時、初めてAさんが気功もやっていることを初めて知りました。
気功の仲間の方と「気の流れ」について、話をしていましたね。
気の流れに敏感な人は、普段の生活でも調子が悪いと、バランスを保とうとしますから、Aさんも、きっとそうなのですね。
一通り、気功のお仲間と話をしてから、私に慌てて
「ごめん。せっかく来てくれたのに、こちらとばかり話をして」と気を遣ってくれましたね。
見舞客が気を遣うべきで、病人は図々しいぐらいがちょうどいいんですよ!
もう、気遣いはほどほどにしてくださいね。




2007年4月8日の早朝に、「体の調子がおかしい」と気になった時に、前日の左の薬指と中指の痺れよりも、
濡れ衣を着せられたというネガティブな“気”が、私の体にも悪い影響を与えているのではないかと思ったのです。
この感覚は、気功をやっていらっしゃるAさんにも、理解ことではないでしょうか。
体の様子がおかしいのは、“悪い気”のせいではないか。
この日の朝、倒れる前に、私は知り合いのスピリチャルな人に電話で相談をしたのです。




その人は、代々木公園近くに住んでいるヒーラーでした。
倒れる3年前に原因不明な頭痛に悩まされ(私は決して頭痛持ちではないのです)、その時に、仕事仲間から紹介してもらったヒーラーの家に向かうまで、迷いに迷って1時間近くかかって到着。普段の私なら、迷うような道ではなかったのです。
 「(目に見えないものに)邪魔されましたね。でも無事にたどり着けたし、次の予約の方まで時間の余裕があるので、あなたは運がいいですね」とヒーラー。
すぐに“気の掃除”が必要と診断を下しました。
「気に、ゴミのようなものが積もっています。原因をお話しする前に、とにかく余計な気のゴミをとりましょう」と、大きく深呼吸をしてから、目を閉じた私に「気」を送ってくれたのです。ものの20分ぐらいだったのです。
終わってから、目を開けましたが、特に変わったことがなかったので、きょとんとしている私に。
「これから帰るまで、気のゴミがとれていますよ」。
半信半疑でした。
しかも帰りの電車の中で本当に熟睡してしまったのです。目が覚めると、頭を覆うような痛みの頭痛が、きれいに消えたのです。
曇りガラスで覆われていた意識も、クリアーに、驚きましたね。
暗示、とか、プチ催眠療法、かもしれません。
でもその後も頭痛に悩まされることもなく、また別のことで救ってもらったことがあったので、あの日の朝も、ヒーラーに相談したくなったのです。



4月8日、早朝の6時過ぎに、留守電を覚悟でメッセージを入れようと電話をしたら、運よく電話に出てくれたのです。
「体調不良はネガティブな気のせいではないですね」と病院で診察してもらうことを勧められ、電話を切ってから、外来の相談をしそびれてしまったことを後悔したのですが、まだ診察受付まで時間があるので、
もう一眠りしようと、ベッドに戻ってから―――



それから約3時間後―――



目が覚めた時に、すぐに異常に気づきました。
足が動かないのです。足と言うより、ほぼ下半身全体のような気がしました。
これまで経験したことがない恐怖が、私を襲ったのです。
手と指は、動いている。
でも足が動かない。動けない。
私はベッドから転がり落ちて、隣の部屋にある携帯電話に向かうために、床を這いずり、肩でドアを開いて、やっと携帯を手にしました。
急いで救急車を呼んだ私は、トイレに行こうとしたのです。



人間とは不思議なもので、体の変化をすぐに察せられないのでしょう。
救急車が到着する前に、3時間前に普通にできたトイレも、できると思ったのです。
ずるずると這いずってトイレまで移動し、便座に座ろうと「ヨイッショ」と気合を入れて何度もトライアルしたのですが、
便座に座ることができませんでした。
そこでやっと私は「自分の身に、とんでもないことが起こった」と自覚できたのです。



あの時の恐怖感は―――
その後、集中治療室に入ってからも、最初の病棟に移ってからも、
何度も何度も「悪夢」という形で私に襲いかかってきました。
恐怖は、決して忘れることができない。
それが恐怖の正体かもしれない。
繰り返し訪れる悪夢のエンディングは、必ず「体が動かない」という絶望感で打ちのめされるものでした。
4月8日の朝、突然体が動かなくなった時に、「まず救急車を呼ぼう」ととっさに行動をおこした時に働いた理性が、恐怖を抑え込んでしまったのでしょう。
気丈に振る舞うことによって、異常事態を乗り越えたかったかもしれません。
恐怖を抑えようとすればするほど、後からふつふつと湧き上がって、繰り返し、私を苦しめたのです。



あまりに恐怖が大きい場合、人はそれを受け入れることができないのではないでしょうか。
ある朝目が覚めたら、体が動かなくなっている。
あの時、私がとうてい受け入れることができない「恐怖」でした。

悪夢は、私があの時の恐怖を受け入れようとしたから、繰り返されたのではないか。
回復してから、そのことに気づきました。
受け入れてしまえば楽になるものです。ほとんどのことが。
もし繰り返し起こった悪夢に苦しめられなければ、
私はあのまま心的外傷後ストレス障害(PTSD)に襲われていたかもしれません。

私自身の経験から、「恐怖」という概念を把握すると、人間の摩訶不思議さの原因もわかってきます。
「恐怖」を客観的に捉えることができたのも、きっと元気になった証拠ですね。



Aさんも必ず「あの経験は‥‥」と語れるようになりますよ。きっと。



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このblogは、「親愛なるサムライAさん」という架空の人物への
手紙というスタイルをとって、
医療、ホスピタリティ、社会復帰、ワーク、家族、キーマンを見つける方法など、
サバイバルをテーマに、書き続けています。
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サムライAさんと、Aさんに手紙を送る「私」との関係は、全てフィクションです。
ノンフィクションとフィクションの融合をどうぞお楽しみください。
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