【「チェルノブイリから福島へ」ノーベル文学賞受賞「チェルノブイリの祈り」作者スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんから日本へのメッセージ】

「被災地へ 届け ロシアの声」より転載させて頂きます。
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/p/nukyoko/2011/04/_17.html

~チェルノブイリから福島へ~

小さいけれど大きな国、日本。 世界中の多くのひとたちと同じく、わたしの一日もまずパソコンのスイッチを入れることで始まる。 日本は どうなっているかしら?
新しいコミュニケーション手段のおかげで わたしたちは日本でおきている惨事をリアルタイムで目撃することとなった。見ている前ですべてがおきて、まるで私たち自身がそこにいるような気になる。 原子力がらみの恐怖によって世界の人々は互いを身近に感じるようになっている。政治の世界で使われてきた「敵・味方」「遠くで起きていることか、近くのことか」などという分け方は意味をなさなくなった。 誰もが チェルノブイリ事故から四日目には放射能雲がアフリカや中国の空に漂ってきたことを思い出した。 ヨーロッパ各国では家庭用の線量計や放射能の体内拡散を防ぐヨード剤を買いあさった。誰もがテレビにくぎづけ。 ニュース番組を戦時の戦況報告のように待った。

これは日本だけの悲劇なのか?それとも、人類全体の?
これだけの惨事がおきても文明の力を信ずる気持ちはゆるがないのだろうか? わたしたちの価値観は?
恐怖だけがわたしたちに教訓をもたらす力を持っている。

原子力による教訓の最初はチェルノブイリ事故だった。 
聖書にさえ、チェルノブイリについての警告は記されている。
ところが チェルノブイリ事故は「全体主義」の結果とされ、ソ連の原子炉に欠陥があるからであり、技術的に遅れていて、ロシアのやり方がいい加減で、資材などをしかるべく使わないで横流しする性癖のせいとされた。こうして原子力の神話は無傷で残った。 ショックは たちまち消えてしまった。 放射能でたちどころに死ぬわけではない。 5年後に癌になっても誰もそれを気にとめない。 チェルノブイリ事故のあと150万の人々が命を落としたという独自の調査結果をロシアの環境研究者たちが出しているがそれについてはまったく黙殺されている。

そして、今 再び原子力について学ぶ時がきた。
一つの原子炉ではなく、日本の事故は4基の原子炉で起きている。 福島という名はチェルノブイリと同じく世界中が知っている。広島、長崎と並んで 知られるようになった。 原子力は軍事用も平和利用もおなじこと。 同じく人間を殺してしまう。 世界3位の経済力を持つ国が平和利用の原子力を前になすすべを知らない。荒れ狂った自然力で、数時間、いや数秒のうちにいくつもの村や町が津波で掠われてしまった。進歩という名のあとに残ったのは進歩の残骸ばかり。進歩という蜃気楼の墓場だ。原子炉の安全装置は最高レベルといわれながら、大地震(ロシアの尺度で9バール、その約1,5分の一が日本の震度に相当する)の前には取るに足らない子供服のように役立たなかった。

つまり、社会体制が異なっても事故は起きる。共産主義か資本主義かではない。問題は人間と人間が手にしている技術との関係にあるのだ。逆説的かもしれないが、技術のレベルが高いほどそれに関わる事故はすさまじいものとなる。

わたしは北海道の海岸にある泊原子力発電所を訪れたことがある。 空飛ぶ物体が地上に降り立ったかのような非の打ち所のない美しい形。カモメの翼のように純白だった。
原子力発電所で働いている人たちは世界の創造者のデミウルゴスのようにそこに君臨していた。 世界中あちこちで わたしはそう言う人たちと話をした。 誰もが わたしにチェルノブイリのことを尋ね、同情を示したが、ほほえみながら「自分たちのところでそんなことは起きる心配はない」と口をそろえた。

日本でも、フランスでもきいたし、アメリカでもスイスでも。 ロシアの科学アカデミー会員でソ連の原子力開発の父アレクサンドロフ氏は「ソ連の原子力発電所はサモワール(ロシア式卓上湯沸かし器)と同じくらい安全で、クレムリンのそばの赤の広場にだって建設できる」と書いている。

チェルノブイリに初めて入ったときのことを思い出す。空では数十機のヘリコプターがうなりをあげ、地上では装甲車や戦車まで動いていた。 自動小銃を携えた兵士達が乗っていた。 誰を撃とうというのか? 物理学を標的に? 事故炉の周りに出入りする学者たちは長いこと普通の背広姿で 防護マスクさえつけていなかった。 チェルノブイリに行った人々はまだ チェルノブイリにふさわしいレベルで考えることが出来ていなかった。人々は戦時に人々がふるまうようにふるまっていた。

私がみている目の前で、チェルノブイリ以前の人々が事故後の人々に変貌していった。
あたりは新しい世界となっていた。 敵はこれまでは知らなかった種類の敵。 死というものがこれまで知らなかった容貌を見せるようになった。 これは眼に見えず、手で触れることも出来ず、匂いもない。 人々が水を、大地を、花や木々を恐れる様を語り伝える言葉すらなかった。 人類にこんなことが起きたのは初めてのことだったから。 すべて今まで通りのように見える、色も形も、匂いも、ところがそのすべてが 死をもたらしうる。見慣れている世界でありながら未知の世界。汚染された土地は何キロメートルにもわたって、放射能を帯びた層が削り取られ、コンクリートの容器にしまわれた。 土を地中深くに埋め、住宅や自動車も埋められた。道路や薪は洗浄された。

事故対策本部では朝の定例会でこう言われた「これには10人が必要だ」「これには20人」そして自発的に作業を引き受けるひとたちがいた。そういうひとたちは今はもう亡くなってしまったか身体が不自由になっている。 そして今、また、そう言う人たちが日本にいることを私たちはテレビで見ている。何百人も。この人達は我が家を、世界を救う英雄たちだ。これでも、原子力が一番安くつくのだと言えるひとがいるのだろうか?

今、世界中に440の原子力発電所が稼働している。世界のほぼ、30カ国で。アメリカには103,フランスに59,日本に55,ロシアには31ある。世界の終わりがくるには十分な数。 その内、20パーセントは地震地帯にある。ベラルーシはチェルノブイリ事故でもっとも被害が大きかったのに、100年前大地震(7バール)があったところに原子力発電所の建設が始まろうとしている。100年前の爪痕は今も何十メートルもの溝となって残っている。 ベラルーシに原発をつくることは国民にとってストレスだ。だれもこれについて国民の意見を訊いてくれたわけではない。 発電所はロシアが作る。契約締結の際、プーチン首相は「我々の原発は日本のより信頼性が高い」と言明した。

ロシアはオイルダラーの恩恵に浸っており、世界の海洋にいくつもの小型のチェルノブイリ=船上発電所を浮かべることにした。 これはインドネシアやベトナムに売却するために作られる。
世界政府を夢見たロシアの詩人フレーブニコフを思い出さずにはいられない。

日本で大惨事がおきたその日、アメリカの市場最大の出来事、iPadの新バージョンが発売されアップル・ファンは文字通り狂喜していたというのは何か不思議な気がする。 今日人々がハイテクに期待しているのは便利さと快適さだけ。 マーケットは直ちに元が取れることにしか投資しない。わたしたちの「消費生活」は無限にひろがっていき、まさにそれが「進歩」とされ、殺人用の道具の改良も「進歩」と呼ばれる。

チェルノブイリ事故の放射能で死にゆく人々、日本の今回の惨事で奇跡的に生き延びたひとたちや亡くなってしまったひとたちの身内に、そのひとたちの消費願望はどういうもので進歩とは何か 問うてみるといい。新しい携帯電話や自動車と 命のどちらを選ぶか?と。

広島、長崎のあと、チェルノブイリ事故のあと、人間の文明は別の発展の道、非核の道を選択すべきだったのではないだろうか?

原子力時代を脱却すべきだ。 わたしがチェルノブイリで眼にしたような姿に世界がなってしまわないために、他の道を捜すべきだ。
誰もいなくなった土地、立ち並ぶ空き家、畑は野生の森に戻り、人が住むべき家々には野生の動物たちが住んでいた。電気の通っていない電線が何百と放置され、何百キロもの道は何処にも行き着かない。

テレビをつけると日本からのレポート。 福島ではまた新たな問題が起きている。
わたしは過去についての本を書いていたのに、それは未来のことだったとは!

 2011年記 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(作家)