この週末、
今回の東日本大震災で大きな津波の被害を受けた
岩手県沿岸に行ってきました。
現状をこの目で見て、
世界中に津波の恐ろしさを発信するため。
二度と大きな人災が起きないようにするため。
向かったのは、特に被害の大きかった
陸前高田市と大船渡市です。
4回に分けてお伝えします。
盛岡から遠野、住田を通って陸前高田市へ。
市内に入り、しばらくすると
気仙川沿いにゴミが散乱しています。
不法投棄?
と思うと、それは、津波によって流されたものだったのです。
市内まで約8キロもあるこの場所まで津波が来たのかと思うと・・・
ぞっとしました。
そして、住宅街に差し掛かったとき。
えっ!?
という言葉しか出てきませんでした。
道の両脇に、突如、ガレキの山が出現したのです。
高いところで3メートルはあるでしょうか。
少し前までは、この道路もガレキで通れなかったはずです。
自衛隊らによって、なんとか車がすれ違えるまでに
両脇に片付けられていました。
さらに進むと、目印だった陸前高田市の酒造メーカー
酔仙酒造がありません。
「ない!」
車を止めて、
酔仙があったと思われるであろう場所に降りると、
無残にもグニャリと曲がった看板が
そこにはありました。
そして、無数にちらばる
エメラルドグリーンのタンク。
あたりはうっすらと日本酒の香りが充満していました。
酔仙酒造の敷地内には
名所となっている桜の木がありました。
新人の頃、桜中継をしたのが思い出されます。
その桜の木も、残念ながら見つけることができませんでした。
さらに車を進めると、
鉄筋がむき出しになし、
ボロボロの建物がいくつも見えてきました。
避難場所になっている高台にのぼり、
市内を見降ろすと・・・
街がない・・・!
少しだけ建物が残っているだけで、
奥には気仙川が見られます。
この川を津波が上流まで上っていったのです。
高台の下が酔仙酒造です。
タンクが山際まで流されています。
ここまで津波が押し寄せたのか・・・!
この高台がなかったら、どれだけ被害が大きくなったのか
はかり知れません。
海岸付近に降りてみると、
まだ市内の至るところに海水が残っていました。
水の中には、生活必需品のほか、
車、海藻など、共存すべきでないものが
そこには共存していました。
海岸に向かう道沿いにはた、たくさんの消防車。
埼玉からの応援でした。
消防車は、こちらの高田病院の前で
待機しているようです。
高さのある高田病院も津波にのまれたというのですから、
津波はどれだけ大きかったのか、思い知らされます。
かろうじて建物が残っている住宅に来てみると、
どうしてこうなったのか分からない感覚に陥ります。
大木が窓を通過しています。
そして、こちらは3階建ての建物です。
窓には洗濯物がかかったままです。
津波発生当時は、外で洗濯物を乾かしていたのでしょう。
冷蔵庫も散乱していました。
生活の痕跡が残っていることが、本当に心苦しいです。
あっという間に津波が押し寄せたことを
物語っているようです。
建物の中には、クローゼットの衣服などが
むき出しになったままでした。
アパート内部です。
跡形もありません。
海岸から約1キロ~2キロのあたりです。
何だこれ?と思ってよく見ると、
海に浮かんでいたはずのブイです。
貝がびっちりついています。
養殖していたカキのようです。
内陸まで、ここまで流されていました。
とにかく、あるべきところにあるものがなく、
ないはずのところに、ないものがある。
どっちが現実で、どっちが非現実なのか分かりません。
ガレキの山に砂塵が舞っています。