8・6・8・15 | 絆の玉手箱゚+。☆。+゚

8・6・8・15

西暦1945年8月6日




午前8時15分キラキラキラキラキラキラキラキラ




広島に、原子爆弾が投下



去れましたキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ




自分は、戦後生まれで




戦争の悲惨・悲劇的な事を



知るすべは、過去資料や



ドキュメンタリー番組のみ



です。キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ




10年前、被爆地である




広島に行き原爆ドームや



特攻魚雷『カイテイ』が



展示されている軍事資料館



に、行き色々と見て




聞かされ、言葉には




言い表せない、痛みと




悲しみを、今も忘れる




事が出来ません。キラキラキラキラキラキラキラキラ




原爆ドームに入り、展示



されている遺品、高熱に



よって、溶け欠けた




子供の三輪車の残骸




壁に残った、人影ナゾの人キラキラキラキラキラキラ



被爆者が着ていたボロボロの衣服キラキラキラキラキラキラキラキラ




数々の写真カメラ展示キラキラキラキラキラキラ



今でも、脳裏から離れません。キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ




気のせいでしょうか?




ドームに入った途端に




重圧感と、焼け焦げた




何とも臭いがしましたガーンキラキラ




まだ、あそこには




訴えかけたい、魂が




漂っている気がしました。



そこで印象に残っている



光景がありますキラキラキラキラキラキラキラキラ



60歳を越えた老夫妻と




当時17歳位の女の子のアメリカ人が



観賞していました。キラキラキラキラキラキラ



多分、お孫さんと一緒に



来られたのでしょねキラキラキラキラキラキラ



お孫さんが、何やら




伯母ちゃんに、質問をして



その質問に答えながら




メガネメガネを上に上げ




涙を拭いながら、お孫さんの




質問に答えていましたキラキラキラキラ



旦那さんは、奥さんの肩を



抱えて、天井を見上げて



いましたニコニコキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ





この思いは、お孫さんにも



伝わり、語り継がれて行く



でしょねキラキラキラキラキラキラキラキラ




では、当知者である日本人は




どうなのでしょか?キラキラキラキラ



ドームから出て少し歩くと



年老いた、当時を生き抜いた方が




その時の様子を語って





いました。





そこに集まっていたのは



数人の留学生でした。



他国の人が真剣に聴き入っていました。




そこには、日本人の姿が



無かったのが悲しく




印象的でしたねしょぼんキラキラキラキラキラキラキラキラ



語り掛けて頂ける方は



お年寄りの方のみと





なりつつありますキラキラキラキラキラキラキラキラ



この貴重な事実を




次の世代がどれだけ引き継いでくれるのでしょうか?




不安ですねキラキラキラキラキラキラキラキラ





現代日本は、犯罪・殺人が



多発し平和・安心国の




イメージは、過去の物に



なりつつありますねキラキラキラキラキラキラ




生きていたかったが




生きられなかった過去の



人々は、嘆き悲しんで




いるでしょねキラキラキラキラキラキラキラキラ




人間としての心の育成の


見直しの時期に入っているのかもしれませキラキラキラキラキラキラキラキラ



時代の先輩方の共通の




教えは、何時も愛情を持ち



人を大切にしなさい。





人の心を捨てては行けない



戦争で、残る物は




加害者でも被害者でもない



犠牲者のみであると・・・



広島の犠牲者の方々に




心より、ご冥福を




お祈りしますキラキラキラキラキラキラキラキラ




黙祷キラキラキラキラキラキラキラキラ




(σ´ア`。)☆彡