さいきん アカウント等にも
アワヒ、という言葉をもじって
アワヒズム awahythm と名乗り始めたのですが

それに因んだ意味や意図は
書くことを控えます

いろいろ
想像の余地をのこしておきます^^

どうして、アワヒ、や、ハザマや
アラワレという表現をよく自分がしていた背景を

冷静に自分自身、ふりかえることにしました。

それは、
先日の旅の伏線にもリンクしていましたし
これから全身全霊で、意図するところへ向かう決心に
つながったからです^^



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ある時から

姓を
双方向から眺めてきました。

今日は
覚書として書きとめておきます。


1 父の父→山本      (奈良の疋田) 
1*  父の母→仲(中)川   (奈良の当麻)
2 母の父→堺(境)         (富山の新港)
2*  母の母→橋(端)之口   (鹿児島薩摩郡さつま町)

1を抜いて、
残り総てが「関係性」や、「境界」という
ハザマ、アワヒ的な語源の文字が入っています。

また、そのハザマ、アワヒにかかる
あちらと、こちらをつなぐ橋(端)渡すという
意味もあります。

姓をここまで改まって見直す前から
直観と、経験で、この立ち居地を認識していました。

また
小学生から興味が絶えぬ古今東西の統計学で
観ていた自分の傾向に対する内容とも
合致することも多々あり、興味深かったです。

その中でも、とても当てはまったと感じたのは
マヤ暦、13の月の暦のKINバースデイです。
まさに、白い世界の橋渡し、という言葉も出てきます。
赤い月も、新しい流れを生み出すというエッセンスをもちます。
それまでに、なにものでもないエネルギーフィールドから
生まれると言う、可能性は、アワイ、ハザマのところでの
ことに思えますし。

ちなみに上の暦へも含まれるそうなのですが
西洋占星術。私は魚座なのですが、
これも軽々と境界を超える性質をもっています。


一時期、スピ系の情報で、私達は自分の名前を
親へリクエストして生まれてくる、という話がありました。

今思えば、そういう解釈もできますが、

その方が生まれ出るということは、

その方の存在という場(エネルギーフィールド)が
この世に顕れるわけですから。

自ずと、名付ける側も、
きっと同調して名付けるのでしょうから。

この用に、ものがアラワレル時と言うのは、

意識、無意識、問わず、


みえないけれど
アラワレようとする形のないものは、

すでにこの世界に形をもっている存在と

双方向に影響しあっている、

共鳴している、響き合っているということですね。



もっと
突き詰めれば、

あちらと、こちらで 響き合っているというよりも、

もともと

まるりっと、ひとつ、なのであろう。


という
個人的ではありながらも、根拠無き確信です^^






こういうことを

さくさく書けるようになったのも、

時代のエネルギーが、どんどん、

こちらと、あちらとの境界が薄れている、ということですね。


もちろん

同時に

私自身が どんどん

まるりっと、統合されてきつつある、
ということでもありましょうか





では、

地名編へつづきます。