映画レビュー

少し前に観たものですが。


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◎シベールの日曜日

監督:セルジュ・ブールギニョン

 


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モノクロの映画を観るのは、少し苦手意識があり敬遠してきたため、久しぶりだった。しかし、この作品はモノクロだからこそ美しいのだと思った。役者の表情や風景がカラーで見るよりも鮮やかで優しくて、見る者の心にスッと入ってきた。

主人公ピエールと12歳の少女フランソワーズ(本名:シベール)は、それぞれ事情を抱えている。ピエールは戦争で少女を殺してしまったという過去を持ち、それが原因で記憶を失っている。フランソワーズは父に捨てられた。そんな二人が出会い、たがいに惹かれあっていく。唯一会える日曜日、池の周りで戯れる二人の笑顔は、他の何にも代えがたいほど美しい。初めは親として娘として慕っていたはずなのに、気づけばその感情は、恋人に対するものと同じになっていた。普通に考えれば、親子ほども年の離れた人間が結婚の話をしたり、恋人のようにふるまうことは“異常”かもしれない。ピエールがフランソワーズのために、クリスマスツリーや風見鶏を盗んでくるのは確かにやりすぎである。でも、私はそういった偏った固定概念が、最終的に悲劇を招いたのではないかとおもう。12歳の女の子と遊ぶとことを異常とし、いぶかしむような目で見て噂する近所の人たち。クリスマスイブにいなくなったことで、“彼は病気だ、異常だ。だから危険だ。”として警察に通報したマドレーヌ(ピエールの妻)の友人。みんな、彼を異常だと決めつけ、そういう視点からしか見ていない。だから、二人の宝物だったナイフも、彼ら(警察も含む)には凶器にしか見えない。ピエールとフランソワーズは遊んでいただけなのに。でも、その真実は二人にしか分からなくて、きっとまわりの人間は“殺されそうになっていた少女を救った”と思い続けるのだろう。それを考えると、真実ってなんだろうとおもう。私が今見ているものは本当に真実なのだろうか、偏った考えや感情によって歪んだ見方をしているのではないかという疑問が私の中で渦巻いている。答えは出ない。

しあわせの形は、人それぞれ違うはずで、それをまわりがとやかく言う権利などないはずだ。でも、映画の中ではまわりの人間がピエールを縛っていく。彼の週に一度のささやかなしあわせは、人々の偏見によって壊されたのだ。それを、モノクロで静かに描いたこの作品は美しく悲しくて、素晴らしいとおもう。そしてこの美しさと儚さはフランス語ゆえだともおもう。流れるように吐息のように発音されるフランス語は、静かで優しげなこの作品にぴったりだ。

答えは探し続けなければ。私が今見ているものは一面的で偏ったものではないのか、きちんと目を開いて見つめているのか、ということを。



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