成績評価の厳格化
数日前に勤務大学(T大学)で行われたFD研修で
出された質問について答えるべく、
改めて、「なぜ、成績の厳密化が必要なのか。」
について勉強をしました。
大学教員である彼らの主張は次のようなものです。
なぜ、そこまで
- Specific:獲得する知識や技能が具体的に設定されているか
- Measurable:目標の到達は評価できるものか
- Achievable:学習者が到達可能なものか
であることにこだわらなければならないのか、
教員が全力で創造的な良い授業をして、
学生が面白く、興味を持ってその授業に取り組めば
それでいいではないか。
なぜ、学生の学習到達度を厳密に測定する必要があるのか、と。
それはもちろん、その通りなのだと思います。
教育評価に時間を使うくらいならば、授業をより良くすることに
時間を割いた方が生産的であるかもしれません。
私自身、生粋の「大学人」なので、本音を言えば
「評価という時間と労力のかかる作業をするくらいなら、
教育改善に時間をかけたい」
と思っています。
しかし、成績というのは授業内部だけで完結するものではありません。
教員の論理だけで、その方針を決定できるものではないのです。
例えば、学生の成績は、
・進級(コース決定)
・奨学金
・転学/転コース
・留学
・大学院進学
・就職
等の機会に、学生の学力を保証するものとして利用される、
対外的な学力証明書
なのです。
T大学から発行されたその証明書が
学生の学力を正確に証明するものでないと分かれば、
T大学の国内および国外からの社会的信用はどうなるでしょうか。
学生は、進級、進学、転学、留学、就職の際に、
自らの学力を証明する手段を持たないということになります。
そして、社会(他大学、国、企業等)は、学生が大学でどれだけの事を
学んできたのかを知る手段がありません。
「成績の厳密化」というのは、大学教員の論理というよりは
社会(第三者)に対する大学(教員)の責務である
ということを知っておく必要があるのではないでしょうか。