成績評価の厳格化 | スタンフォード大学滞在記

成績評価の厳格化

数日前に勤務大学(T大学)で行われたFD研修で

出された質問について答えるべく、

改めて、「なぜ、成績の厳密化が必要なのか。」

について勉強をしました。



大学教員である彼らの主張は次のようなものです。

なぜ、そこまで

  1. Specific:獲得する知識や技能が具体的に設定されているか
  2. Measurable:目標の到達は評価できるものか
  3. Achievable:学習者が到達可能なものか

であることにこだわらなければならないのか、

教員が全力で創造的な良い授業をして、

学生が面白く、興味を持ってその授業に取り組めば

それでいいではないか。


なぜ、学生の学習到達度を厳密に測定する必要があるのか、と。



それはもちろん、その通りなのだと思います。

教育評価に時間を使うくらいならば、授業をより良くすることに

時間を割いた方が生産的であるかもしれません。

私自身、生粋の「大学人」なので、本音を言えば


「評価という時間と労力のかかる作業をするくらいなら、

教育改善に時間をかけたい」


と思っています。




しかし、成績というのは授業内部だけで完結するものではありません。

教員の論理だけで、その方針を決定できるものではないのです。




例えば、学生の成績は、


・進級(コース決定)

・奨学金

・転学/転コース

・留学

・大学院進学

・就職


等の機会に、学生の学力を保証するものとして利用される、


対外的な学力証明書


なのです。



T大学から発行されたその証明書が

学生の学力を正確に証明するものでないと分かれば、

T大学の国内および国外からの社会的信用はどうなるでしょうか。



学生は、進級、進学、転学、留学、就職の際に、

自らの学力を証明する手段を持たないということになります。

そして、社会(他大学、国、企業等)は、学生が大学でどれだけの事を

学んできたのかを知る手段がありません。



「成績の厳密化」というのは、大学教員の論理というよりは


社会(第三者)に対する大学(教員)の責務である


ということを知っておく必要があるのではないでしょうか。