先日、東京国際映画祭で「鳳凰 わが愛」の上映の後、監督と主演女優が出てきてティーチインが行われた。


MCは「映画コメンテーター」の襟川クロ、英語通訳のたけだまりさんと出てきた後、ジヌ・チェヌ監督、ミャオ・プゥ、中国語通訳の方が出てきた。


感激した上映の後だったので、質問はしたいのは山々だったのだが、ほとんど日本人の観客の中英語の通訳も必要ということだったので時間が掛かったため、40分間で4人くらいしか質問できなかった。


中国の映画チャンネルの人は、リュウ・ラン(中井貴一)とホン(ミャオ・プゥ)が谷底に落ちたとき、片方は草原に、片方は石に落ちていたのは何か意味があったのかと質問していた。その質問を聞きながらそう言えば、そうだったなと思った。鋭い質問だ。


ある年配っぽい観客がこの映画は日本の昔のメロドラマのような作りになっているがそれを意識して作っているかと聞いていた。かなり、個人的な質問だ。この質問者は監督から応えてもらった後、続けて話をし始めて、おやおやどうしたものかと思ったが、MCのクロは特に調整をすることもできず、そのまま時間が流れていった。MCがコントロールをしなかったため、ほとんど監督が応えるままになり、ミャオ・プゥのいる意味があまりなかった。ガーン


私は、凍った湖を渡る場面が二回登場する中で、二回目のとき落ちてしまうのは敢えてそのようにしたのは何故か、激しい気性のリュウ・ランにとってホンは母のように彼を包みこむ存在として描いているのか、またホンが男に裏切られた女性が穏やかに変わっていくのを演ずるのに、ミャオ・プゥは何か苦労したことがあるかなどききたかった。


感心したのは、中国語の通訳(以下のブログを参照)の方だ。何故かMCから通訳の○○さんという紹介はなかったが、しっかり内容を押させた聞きやすい通訳だった。彼女が日本語に訳した後、英語通訳のひとが英語に訳すのだが、その訳もしっかり聞いていて、訳抜けを指摘していた。(自分が英語通訳としてその場にいたら緊張してそれどころではないと思うが。)


私は一階の後方に座っていたのだが、降旗康男監督らしき人が近くで鑑賞していたようだった。


「マダム・チャンの日記」