前回「初恋の人」で書いたとおり、私は中学生時代の

小沢さんを初恋相手に認定wしているのだけれども、

自分は幼稚園の時だったとか、小学校の低学年だった、

とかいうご反応をいただいた。おマセさんだなぁ(;;

 

でもまぁ、私だって、小学生の時代に誰それを好きだ、

とかいう感情は意識していた。でも、その頃の好きは、

そのこと自体をすぐに忘れてしまっていたりもするし、

その相手も頻繁に変わったりした。ここのブログ中で

登場させたNさんとかMさんとかを好きだったことも

あるけれども、どうも初恋というには流動的過ぎるw

正式認定wの小沢さんの場合、中学1年生の冬に見て
それから中学卒業まで、ずっと好きだった。おそらく、

一度も一緒のクラスになったことがなかったからかも

しれない。近くで生活すると人はアラが見えてしまう。

小沢さんも同じクラスになっていたら、流動したかも?

 

それも運命というか、人の好き嫌いには目に見えない

流れのようなものがあって、そういう運に左右される。

たまたま違うクラスで、2年以上好きでいられたのは、

やっぱりそういう流れだったのだろうと思ったりする。

20代後半で、偶然の出会いにも恵まれたのだしね…。

 

さて、そんな自分の運命の人がどなたさんだったのか、
ふと考えてみたりします。今の状況も運命なのかなw

 

 

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がちな話、中学生の時、「小沢妙子」さんという人が

好きだった。地味な感じの子で、肩上までのボブヘア。

中学1年の時にその人を見つけて以来、密かに好きで

いた。3年の時に、悪友仲間とのやり取りで、それを

白状させられることになって、それがどうも本人まで

伝わってしまったらしくて、レポート用紙に書かれた
観測手紙をもらった。それが軽くて、びっくりした。

女子って、こんなに軽い感じのノリなんだあと思った。

 

この歳になると、そんな小沢さんの心境も理解できる。

ウワサではそう言われているけれども本当はどうなの?
あなたは、どう思っているの?みたいな話なのだろう。
しかし、そういうことを理解できる年齢ではなかった。

その手紙の内容と女生徒と男子の感覚の違いに驚いた。

 

私は結局、20代後半になっても女性と付き合えない

ような感覚の持ち主であって仕方がないのだけれども、
私の幼い恋心は、何となく中学生女子のリアルの前に

押し流されて泡と消えてしまったのだが、心の中では

今でも小沢さんを初恋の相手だと認定しているのです。

 

というのは、その十数年後、彼女とバスの中で偶然に

一緒になったのだ。相手はお姉さんが一緒だったので

深い話は何もできなかったのだが、彼女が実に清楚で

すてきな女性に成長していて、感動すら覚えたのです。

中学生の時の自分の感覚は何て正しかったのだろうと
妙に自信を持った。ほら、やっぱり彼女って、こんな
すてきな女性になったじゃないか!見る目があった!

 

もっとも、何もアクションしない自分の不甲斐なさは

棚に上げてのことです。彼女は今、幸せなのかなあ?

 

 

 

 

 

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ちょっと、いろいろと不調で、しばらく死んだ状態。

いまだ完全には生き返ってはおらず、棺桶から足を

少しだけ出しているくらいな状況ではあります。

 

まぁそれでも、鍵盤関係だけはちまちまやっていて、

頼まれていることは責任をもってやっているけれど、

近所の店に飲みに行く元気まではなくて、自宅では

ひたすらPCの前に座っているかピアノを弾いているか

ビール(発泡酒)を飲んでいるかという感じで時間を

過ごしていましたが、それでもありがたい身分なので、

貧乏人ではあっても、あくせくしないで生活できます。

 

こういうことも、ずっと長い間、隠忍自重して働いて

我慢をしてきた賜物です。不調でも困らないという。

自分偉い(;; (少しは自己肯定してやらないと…) 

 

 

何が言いたいのかさっぱりわからない日記だ(-_-)

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次に、小学校の学芸会衣装のことだ。今の時代、学校自体、

かなり窮屈な締め付けを受けていて、何をやるのでも上の
鼻息をお伺いしないとできない状況になっている。職員は

校長のご意向を、校長は教育委員会のご意向を、さらに、

その教育委員会も、市町村は都道府県の、県等は文部省の、

それぞれ上部機関(本来は上下関係ではないはずなのに)が

締め付けている。教職員同士の平等な会議なども今はない。

上から下への伝達会議が職員会議の名で残っているだけだ。

かつての学校は学校行事などもかなり自由に教員の発案で

できたのだろうと思う。学芸会など各学年で自由に決めて

うちは劇をやろう、とか合唱にしよう、などとしていた。

だから、劇の衣装なども、教員の発案で自由に決めていた。

たぶん私の学年では女性の先生(当時30代だった?)が

決めて、他の男性の先生二人がサポートしていたのだろう。

 

小学4年生男子に「タイツ」を穿かせて舞台に上げるなど
今の時代は絶対にできないと思う。どこかで誰かの反対に
遭って、再考を求める、とか言われて潰されるに違いない。

ところが、当時の時代的には、女の先生の発案が通った。

それをサポートした二人の男性教員は、二人とも最後には

校長職に昇進して退職しているから、学校内での発言力も

あったのに違いない。そうして野ネズミの劇が実施された。

 

タイツの時代と学校の自由度といろいろなことが重なって

学芸会が行われた。そして、私の野ネズミの子Cの衣装は

茶色のタイツに決定されて、その役を演じた私の心の中に

思い出ばかりでなく、何とも言えない不思議な影を残した。

 

具体的には、母の過保護的防寒意識も相俟って、その後の

学校生活に大きな変化をもたらした。それは学校のことに

留まらず、一生の嗜好に関わるような変化だったとも思う。

だって数年間の間、男の子の私がずっと半ズボンの下から

タイツを穿いた足を覗かせて過ごしていたのです。しかも

秋から春までの間ずっと。恥ずかしいではありませんか!

 

 

 

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「野ネズミの子C」で書いた学芸会は1960年代のことだ。

ここで書くのは、当時「タイツ」が衣装としてどのように
使われていたのか(映画やテレビのドラマなどを含めて)、
当時の「学芸会」ではどこまでが許容されていたのかです。

まず、50年代~70年代までのSF映画などを振り返って
みると、タイツは近未来的衣装には必ずといってよいほど

登場する。時代が遡れば遡るほどタイツの衣装は多くなる。

しかもその年代後半には、女性のミニ・スカートの流行が

あって、一般ファッションにおいてもカラータイツなどが

多く用いられているという香しい状況なども現出していた。

 

私はレトロ・SFのファンで、当時のテレビドラマなどの

DVDなどを買い集めていたりするが、その感興の何割か

タイツ衣装を愛でる心があるということを隠しません(;;

その手の映画の最高傑作と思うのが、ジェーンフォンダが

主演した「バーバレラ」だ。これは面白いだけではなくて、

ジェーンフォンダの若く健康的なお色気が発散されている。

しかも全体的デザインセンスが抜群で、もちろんタイツも
ふんだんに用いられているので、大好きな映画であります。

アメリカン・コミックのヒーロー「バッドマン」は現在も

新しいコンテンツが作られている人気キャラだが、当初の
オリジナルシリーズでは、主役バッドマンもロビン少年も
衣装はタイツだ。ロビン少年(Boy wonderと呼ばれる)は

しかも肌色タイツを着用している。今では、考えられない。

コミックの世界でも、巨匠手塚治虫先生の「リボンの騎士」
などでも、主人公のオーロラ姫は白いタイツ姿で描かれる。
そもそも少女コミックだから、少女の皆さんは反応せずに
スルーしていたろうけれど、タイツフェチに目覚めた後の

私などは、この衣装いいなぁなどと密かに思っていたのだ。

 

時代的には、タイツの衣装というものがあまり抵抗感なく

受け入れられていたものだったことをまず書いておきたい。

 

 

 

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