西洋料理店「山猫軒」 ☆RESTAURANT WILDCAT HOUSE☆

西洋料理店「山猫軒」 ☆RESTAURANT WILDCAT HOUSE☆

双極性障害(躁うつ病)患者本人です。

双極性障害(躁うつ病)Ⅰ型になって、

もう9年ほど、精神科に通院しています。


アメーバチェック(白地)Amebaグルっぽの管理人をしています。http://group.ameba.jp/group/uSkYTVmnsL0_/↑宮城県のメンヘラ系グルっぽです。

覗いていただければ、うれしいです。


mixi他にmixiコミュの管理人もしています。

http://mixi.jp/view_community.pl?from=home_joined_community&id=4327165


Ameba(アメーバ)Amebaブログ「東北、宮城県メンタルヘルス情報提供」

東北地方の当事者(精神障害などの当事者)の、自助ミーティングや、メンタルヘルスに関するイベントを紹介しているブログです。

http://ameblo.jp/miyagipeer/



禁止意味のないコメントもらっても削除します。

具体的には、ご自分のブログへの宣伝の為の短文コメント。

「いつも読んでいます。よろしく」的な。

こんなコメントもらっても削除するので意味ないですよ。

Amebaでブログを始めよう!








【ボーイング 787-8 ドリームライナー(JA801A)】
…全日空通常塗装(全日空商事 1/500)

初飛行:2009年12月15日
乗員:2名...

座席数:290~ 330席
最大速度:マッハ0.85
航続距離:14,200 - 15,200km

ボーイング B787 ドリームライナーは、ボーイング社が開発した、次世代中型ジェット旅客機である。
ボーイング社の中型機、大型機の新型代替機となる。

B787は、中型旅客機としては、非常に燃費効率が高い。航続距離も桁外れに長いのが特徴だ。今までは大型機でないと行けなかった遠隔地にも、B787シリーズを使うことにより直行が可能になった。この事により、需要のあまり多くない航空路線の新設が、可能になるとされている。

ボーイング社は、B777(1995年に就航開始)に次ぐ機種の開発を検討していた。そして、将来必要な旅客機は、音速に近い速度(遷音速)で巡航できる、高速機であると考えていた。
2001年はじめから「ソニック・クルーザー」の名称で新型機の研究・開発を開始した。巡航速度マッハ0.95以上、乗客数300名程度を想定していた。
しかし、2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件後に、航空業界は業績が悪化した。利用客の減少、燃料費の大幅高騰が打撃となっていた。航空各社は、運航経費を抑えたいと考えるようになった。
ボーイング社は、2003年、この状況変化を受けて、遷音速旅客機「ソニック・クルーザー」開発計画を中止した。
そこで、速度よりも効率性を重視した、
2発エンジンの中型旅客機の開発にとりかかる事となった。
ボーイングは、自社単独開発を断念。世界各国の70社の製造メーカーで、部品の開発と生産供給をする国際共同事業に転換した。設計・開発・生産コストを 大幅に節約する手法である。欧州、中国、韓国、日本などの企業が参加に同意した。

2004年に、ボーイングの副社長が来日。全日空が50機発注したことによって開発が本格スタートした。全日空は、「ローンチカスタマー」(開発後援企業)として、ボーイングの開発計画をサポートした。
その後、日本航空も45機を発注したほか、デルタ航空やコンチネンタル航空など多くの大手航空会社が、B787を発注した。

開発当初のスケジュールでは、2007年7月に初号機ロールアウト(完成披露)の予定であった。

2007年7月8日に試作モッグアップ(実物大模型)の披露式典が行われた。この時点での受注数はボーイング社としては史上最高の世界47社677機となった。ただし、この式典で公開されたモッグアップは外観だけで、キャビン内部の公開はされなかった。
機体部材・部品の7割近くを他社に外部発注したために、品質が劣るものもあった。それらを改善していくために予想以上に時間がかかっていた。ボーイング内労組のストライキなどもあり、初号機完成時期は迷走した。

当初の予定では、初飛行は2007年9月末だった。量産機引渡しは2008年5月としていた。しかし、2007年10月11日にスケジュールの遅れが発表された。初飛行は2008年第1四半期末に遅れる見通しだった。
その後も、紆余曲折があり、試作1号機の納入は、2009年に遅れる事となった。
部品調達費のコスト軽減により委託メーカー先でトラブルが起こり、混乱したのであった。

納入予定だった全日空は、北京オリンピック時就航計画を断念した。

2009年12月12日、B787試作機の初飛行がようやく行われた。
世界の製造メーカーの最新技術を結集したハイテク機がようやく空を舞った。

コクピットは、グラスコクピット化された。
アナログ計器類は廃止され、液晶モニターとなった。
計器類は、液晶表示モニターに変更された。大量の情報を容易に表示できる。
タブ変更で複数画面に切り替えられる。
離着陸や水平飛行時の 重要情報は、操縦席前の透明ガラス板に投影される。パイロットは、目線を前方に向けたままで、情報の確認を行える。これをヘッドアップディスプレイ(HUD)という。
従来、戦闘機や武装ヘリコプターに採用された最新技術である。

機体の50%以上が、複合素材「炭素繊維複合材(CFRP)」で出来ている。充分な強度と、大幅な軽量化が実現された。複合素材の提供は、東レなどの日本メーカーが担当した。
主翼端は、カーブするウィングレット形状になっている。燃費効率の大幅な向上を実現した。
客室窓は大きく拡張され、通路側の乗客も外の景色を眺める事ができる。
さらに、窓には、電子カーテンが採用された。窓ガラス自体が変色して、外光を遮蔽する。客室内照明は、LED化され、細かい調色が可能になった。

エンジンはロールス・ロイス plc製Trent1000と、ゼネラル・エレクトリックのGEnxが用意された。これらの新型エンジンも国際共同開発となった。
巡航速度はマッハ0.85となり、マッハ0.80のB767、マッハ0.83程度のエアバス社A330、A340より長距離路線での所要時間が短縮された。

航続距離は基本型の787-8で、驚異的な8,500海里(15,700km)を達成した。
ロサンゼルスからロンドン、あるいはニューヨークから東京路線をカバーするのに十分である。東京からヨハネスブルグへのノンストップ飛行すら可能であった。
B767と比較すると、燃費は20%以上向上した。

日本のメーカーが、部品を多数供給しており、 その比率は、合計で35%と過去最大となった。

2011年7月3日、日本の空港設備との適合性検証(SROV)を行うこととなった。シアトルからB787-8型機試作2号機(全日本空輸塗装機体)が羽田空港へ飛来した。その後も、日本各地の主要空港などで試験を行った。

2011年9月28日、ついに、全日空が、B787ドリームライナー量産機を受領した。
10月26日には、全日空は、成田~香港間のチャーター便を飛行させた。
これは、B787型として世界初の商業運航であった。
11月1日、全日空の羽田~岡山・広島線で国内定期路線の営業を開始した。

翌年の3月25日、日本航空にも、B787が納品された。

しかし、B787は、運用開始直後から事故トラブルに見舞われた。
補助動力ユニットと、非常時のバックアップ電源に、日本のGSユアサ社製リチウムイオン電池を使用していた。これが原因不明で出火事故を起こした。
他にも、燃料漏れ、潤滑油漏れも報告されている。
これら、初期稼働不良の改修が行われつつある。









【A380-800型】……ルフトハンザ航空カラー。
(DRAGON 1/400)

初飛行:2005年4月27日
乗員:2名~5名...

乗客: 3クラス 525名、モノクラス 853名
最高速度:マッハ 0.89
航続距離:15,200 km

エアバス社が開発した世界最大の超大型旅客機である。
総2階建てのキャビン構造を持ち、最大850名の乗客を搭乗させる事ができる。
現在の所、ボーイングB747ジャンボを抜いて、世界最大の旅客機となった。

1960年代、旅客機の大半は北米の航空機製造メーカーで生産されていた。
1970年12月、欧州各国及び、欧州の航空機製造メーカーが結集して、北米のメーカーに対抗する巨大メーカーが誕生した。
それが、エアバス社である。

1990年、エアバス社は、ボーイングB747を凌駕する、超巨大旅客機を計画した。
その機体は、A3XXという名称で開発がスタートした。
ボーイング社も、A3XXに対抗する形で、B747の改良型、もしくは、新型の超大型旅客機を計画した。しかし、3・11テロ後の利用客の減少や燃料費の高騰から、大型旅客機の開発を断念した。
それでも、エアバス社は、A3XXの開発を続行した。
A3XXは、試作機完成前に、シンガポール航空などとの正式契約に成功。名称を、A380に変更した。
A380は、主翼の強度不足や、機内配線の設計ミスが発覚。
量産機の引き渡しが、1年以上遅れる事となった。
それでも、2005年4月27日に初飛行に成功した。
2007年10月15日、シンガポール航空に先行量産機が引き渡され、商業運航が開始された。
その後、中近東やアジアの経済新興国を中心に多くの機体が運行している。
しかし、日本では、A380の整備コストや燃費の悪さがネックとなり、経済効率の低さから導入が見送られた。
唯一、スカイマークが導入を計画して、エアバスと契約を締結した。しかし、スカイマークは、経営状況が大幅に悪化して破たん寸前になった。この事から、2014年、A380導入の契約を
破棄した。エアバス社は、700億円規模の違約金を、を請求されているとされる。

A380の、キャビンは総2階建て構造。2階客室にも2本の通路が縦貫し広々としている。
最大、853名の乗客席を設定できる。
広い客室には、オプションで、シャワー室やバーラウンジを設置する事も可能だ。

ハイテク機である為、操縦は2名体制で行う。しかし、最大5名での操縦も可能なように制御盤や席が設置されている。
操縦制御盤は、8枚の液晶ディスプレイでからなる
。グラスコピット化が採用された。計器は、全て液晶化されて表示されている。
操縦系統に、フライバイワイヤ方式を採用。操縦桿と別のジョイスティックで操縦する。これは、パイロットの操縦をコンピューターが補助して、最適な操舵を行う方式である。

エンジンは低騒音型の高バイパス比ターボファンエンジン2種類の何れかを選択できる。
総2階建て構造だが、乗客の乗り入れ自体には問題はない。世界の主要空港のほとんどの搭乗橋に対応可能である。しかし、対応している搭乗橋の関係から、離発着スポットが限られるという問題もある。




【ボーイングB767-300ER】…JAL新鶴丸カラー
(JALUX:hogan 1/500)
初飛行:2003年2月24日
乗員:2名
座席数:218~351...

航続距離:11,305 km
最高速度:マッハ0.80
エンジン:ゼネラル・エレクトリック製CF6-80C2B6×2基

アメリカボーイング社の、セミワイドボディ中型旅客機。
1970年頃、ボーイング社は、イタリアのアエリタリア社と共同で、低騒音の短距離離着陸旅客機の開発を進めていた。
後に、日本の通産省を窓口に日本メーカーも、この開発計画に参画した。
機体名「7X7」と呼ばれた開発機だったが、オイルショック後の原油価格高騰で、開発計画は停滞した。
エンジンを双発にするか、3発にするかなど紆余曲折を経て、
1977年12月、双発機7X7は、正式名「ボーイング767」とする事に決定された。
同時期に開発される、B757と操縦系統などを共通化して、生産コストを下げる事となった。
B767は、当初の案よりも、空力性能と低燃費性を高めた旅客機として完成。
1981年9月26日に、B767-200型が初飛行した。
特に、操縦席の計器類は、CRTモニター化されており、視認性が向上している。
操縦系も大幅に自動化され、機関士を除いても、2名のパイロットだけで操縦できる。
当初、双発機の洋上飛行制限などがあり、セールス的には苦戦した。
しかし、この飛行制限が緩和されると、経済性の高さから、航空各社からの受注が増加した。
大西洋、太平洋を越えるのに十分な航続距離を持つ事から、各航空会社の主力機材として活躍している。
B767-300ER型は、航続距離延長型である。オプションの、主翼ウイングレッドを装備する事で、さらに航続距離を延ばす事ができる。
日本でも、JALとANAが導入。アジアなどの近距離国際路線、国内路線の主力機材として運用している。





【ボーイングB777-300ERトリプルセブン】
…(全日空商事 1/500)
ANA全日空カラー

初飛行:2003年2月24日 ...
乗員:2名
座席数:365~ 550席
最大速度:マッハ0.84
航続距離:14,685 km
エンジン:GE90-115Bエンジン2基

1994年6月12日に初飛行した、ワイドボディ旅客機がB777である。この胴体延長型がB777-300であり、
その航続距離延長型がB777-300ERである。
世界一強力なターボファンエンジン、GE90-115Bエンジンを搭載。
乗客数では、B747ジャンボ機並みの最大550人が搭乗可能である。
徹底した燃費効率向上で、超長距離飛行を実現。
航続距離は、B747-400型以上の14,685 kmを誇る。
引き渡し開始と同時に、世界各地のエアラインの国際路線の主力機材として運用された。
日本でも、JAL、ANA共に国際路線で旗艦機体として就航させている。









【ボーイングB777-200ERトリプルセブン】
…Apollo Models(アポロモデル)製 1/400 マレーシア航空 9M-MRF



初飛行:1994年6月12日
乗員:2名...

座席数:300~ 440席
最大速度:マッハ0.84
航続距離:14,316 km

1990年、ユナイテッド航空は、ボーイング社に中型ジェット旅客機の開発を要請した。
ボーイング社では、自社が開発した小型機B767と、超大型機B747の間を埋める中型機として開発を始めた。
ライバルのエアバス社や、トライスター社のワイドボディ機に対抗できる、中型旅客機というコンセプトが決定された。
当初は、B767の派生機「767-X」として、開発がスタートした。
ボーイング社では、広く各航空会社の意見を聴く事とした。
航空会社は、ワイドボディの中型旅客機をとの声が大きかった。
数年以内に、マクドネル・ダグラス社の DC-10や、
ロッキード社の L-1011 トライスターといった、
代表的なワイドボディ機が退役してこうとしていた。
ワイドボディ機とは、客室を横に幅広く大きく取り、
一度の飛行で、大量の乗客を輸送できる旅客機の事である。

ボーイング社は、B767の改良案を放棄した。
機体名は、「B777」と命名された。
設計は、ボーイング社で初めて、コンピュータ技術で設計された。
機体設計にはCATIAが用いられた。

客室は、横幅が広い、ワイドボディ機にする案が採用された。
客室内は、2本の通路に区切られている。比較的小型の胴体で、より多くの乗客が搭乗可能となった。

胴体を幅広にした分、乗員や客室乗務員の休憩室のスペースも確保できた。
この為、交代要員を準備して、より遠距離の飛行が可能となった。
貨物室も大きく取る事が出来た。旅客だけでなく、貨物運輸からも利益を上げる事が可能となった。

操縦系統は、フライバイワイヤ方式を採用した。
コンピューターを介して、
電気信号でフラップ、方向梶などを操縦するものである。
従来機よりも、操縦性と旋回性が大幅に向上している。
フライバイワイヤは、エアバス社でもエアバスA320で採用していた。
それは、操縦桿とは別のジョイスティクで操作する方式だった。
しかし、B777では、従来の操縦桿を利用して、機体操縦をする方式が開発された。より簡易な操舵が可能となった。

コクピットの計器や、表示装置は、液晶画面で表示された。
これをグラスコクピットという。
グラスコクピット化で、より大量の情報を、
操縦士に伝える事ができた。
さらに、最新型では、ヘッドアップディスプレイも採用された。
重要情報を操縦室前面のガラス板に投影して表示する。

日本のメーカーも開発に参加している。21%の開発部分を担当した。三菱重工業、川崎重工業、富士重工業、日本飛行機、新明和工業の5社が開発と生産で参加した。

B777は、標準型の200型の他、機体を延長した300型もラインナップした。
燃料タンクの容量増加。エンジンの推力を増加した、ER型が、それぞれに開発された。
B777は、世界最大の双発ジェットエンジン旅客機として完成した。
B777-300は、2発ジェットエンジンの旅客機としては、異例の550人の乗客を搭乗させる事も可能である。

日本では、全日空と日本航空などが導入している。
世界各国の多くの航空会社が、主力ワイドボディ旅客機として採用した。
その納品機数は、既に979機に達している。