大江戸五人男(十二)親分子分・夫婦の絆 | 俺の命はウルトラ・アイ

大江戸五人男(十二)親分子分・夫婦の絆

『大江戸五人男』

映画 132分 トーキー 白黒

昭和二十六年(1951年)十一月二十二日公開

製作国      日本

製作        松竹


総指揮      大谷隆三

 

 

製作        月森仙之助

 

制作補      小倉浩一郎

構成        火口会同人

脚本        八尋不二

           柳川真一

           依田義賢

撮影        石本秀雄

照明        寺田重雄

録音        福家雅春

美術        角井平吉

音楽        深井史郎

 

出演

 

 

阪東妻三郎(幡隋院長兵衛)

 

山田五十鈴(お兼)

 

 

進藤英太郎(唐犬権太郎)

 

 

三井弘次(佛の小平)

阿部九州男(市郎兵衛)

永田光男(清兵衛)

本松一成(伊太郎)


 

監督 伊藤大輔

 

 演出の考察・シークエンスへの言及・台詞

の引用は研究・学習の為です。


松竹様におかれましては、お許しと御理解

を賜りますようお願い申し上げます。
☆☆☆

昭和六十三年(1988年)十月二十七日

京都文化博物館映像ホールにて鑑賞。

この機会以外にも鑑賞している。

☆☆☆

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 伊藤大輔監督作品』

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 熱眼の監督 伊藤大輔』

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 幡隋院長兵衛は子分唐犬権兵衛に、自分一

人で水野十郎左衛門の邸に行き、水木あやめ

を解放してもらえるならば、殺されてもよいと

宣言する。みすみす罠に嵌る馬鹿になっても後

悔しないという決意である。

 

   長兵衛「それで事が無事に済むなら。な、

 

        俺達ゃ今迄八百八町の守り神の

        なんのと言われ、てめえもいい気

        になっていたもんだが、有様は堅

        気の衆にはおおきに疫病神だった

        かもしれねえぜ。喧嘩だ、出入りだ。

        その度にとばっちりを受けて迷惑

        するのは誰だ?」

 

  権兵衛「兄貴、そりゃ・・・・・・」

 

 

  長兵衛「今夜だってそうよ。折角の祭がこの

 

       騒ぎで、まるで火の消えたようだ。

       がっかりしてるのはうちの伊太郎ば

       かりじゃねえ。何百何千という人を

       泣かせて恨ませて。なあ、どう思う

       んだ?」

 

 

  権兵衛「兄貴、それで?」

 

 

 

  長兵衛「水野に会って談じるんでィ。裸になっ

 

       て談じ合えばわからぬ男でもあるめ

       え。もし又それでも聞かねえ・・・・・・」

 

  権兵衛「聞かなきゃ?」

 

 

  市郎兵衛「親分!?」

 

 

  長兵衛「喧嘩は両成敗。もし又再び市中に騒

 

       ぎを起こしたら町人は旗本の分け隔

       て無しに双方共に成敗すると老中か

       らのお達し。大久保のお殿様からしっ

       かと聞いた。だから一人で行くと言う

       のよ。殺される俺は一人。両成敗の咎

       めを受ける相手は旗本八万騎だ。だ

       から一人で行かせろと言うんだよ。」

 

長兵衛は立ち上がる。

 

 

   長兵衛「お兼」

 

 

   お兼「はい」

 

 

 

 

 お兼は夫の袴着用を手伝うが、羽織を強く掴む。

 

 

着せれば夫長兵衛は水野の刃が待つ旗本邸に

行ってしまう。

 

 長兵衛は自身に羽織を着せるように妻お兼に

 

催促する。

 

   長兵衛「お兼、お兼、羽織」

 

 

 お兼が泣きだす。

 

 

 小平が素頓狂な明るい声で「お駕籠が参り

 

ました」と親分に駕籠の到着を知らせる。

 

   長兵衛「唐犬の。これから出かけて一

 

        時経っても帰って来ねえ時にゃ

        あ、早桶を持って迎えに来てくれ。

        だが、乱暴はいけねえよ。無益

        な手出しや腕立てをして、折角

        俺を犬死さしてくれるなよ。」

 

 お兼が目を潤ませながら中啓と紙を渡す。

 

  長兵衛「なあ、みんな。俺が言った事。よ

 

       く聞いてくれたろうな。肝に応えて

       忘れねえでいてくれろよ。」

 

 唐犬を始め子分衆は男泣きに泣く。

 

 

  長兵衛は頷き、全員に「それじゃ行ってくる

 

 ぜ」と笑顔で語る。

 

 ☆☆☆大いなる男気☆☆☆

 

  阪東妻三郎の幡隋院長兵衛が大きい。その

優しさは無限の深さを示している。長兵衛は子

分唐犬権兵衛が身を案じてくれている気持ちに

感謝しつつも、水野十郎左衛門が張る罠に自ら

身を投じて、水木あやめを救い出したいという

願いを語る。

 

  佐藤忠男は『講座 日本映画2』「無声映画の

 

完成」(昭和六十一年十一月十日発行 岩波書

店)における「映像表現の確立」において、昭和

五十五年に伊藤大輔にインタビューしたことを

確かめている。

 

   目的は、伊藤大輔のずっと後年の作品で

 

   ある『素浪人罷通る』(一九四六 ママ)と

   『王将』(一九四八)の主演者阪東妻三郎

   について話を伺うことだった。

     このときのインタビューで収穫だったと

   思った答が二つあった。ひとつは阪妻とい

   う役者の良さはどこにあるのでしょうかとい

   う問いに、即座に「大きい、とにかく大きい」

   と答えられたことで、もうひとつは『王将』を

   映画化しようと思いたった動機として、北条

   秀司の原作が「下賤な魂に宿った高貴な魂」

   を描いたものだと述べていることに感銘を受

   けた、ということをあげられたことであった。

   「大きい、という点では、大河内傳次郎も大き

   かった。日本の映画俳優で、大きさとしては

   この二人にとどめを刺す」という意味のこと

   も言われた。 

   (「映像表現の確立」 

   『講座 日本映画2』「無声映画の完成」33頁

   昭和六十一年十一月十日発行 岩波書店

   『素浪人罷通る』の公開年は一九四七年)

 

 阪妻の芸は無限の大きさを見せる。山内伊賀亮

 

が天一坊を守る為に立ち上がった愛は海のように

深い。将棋に全てを賭けて打ちこむ坂田三吉が、極

道を許してくれた妻小春への感謝にも、無限の愛情

があった。

 

 本作『大江戸五人男』は、伊藤大輔・阪東妻三郎

 

のコンビにとって最後の作品になってしまったが、

大いなる男気による優しさと町衆への配慮の暖かさ

が、妻三郎の至芸によって語り示され、観客の心

に江戸の町の平和・平穏を祈る心根が伝えられる。

 

 唐犬権兵衛や市郎兵衛が自分の為に一戦戦って

 

でも水野た旗本の刃から守ろうとしてくれている心根

はよくわかっている。

 

 だが、これまで八百八町の守り神と言われ自惚れ

 

つつ、喧嘩・出入りで町衆に迷惑をかけていたと詫び

る長兵衛は、水木あやめの救出に成功すれば、自身

が斬られ殺されても良いと腹をくくった。

 

 大久保彦左衛門から、市中に抗争が起きれば、

 

旗本町奴の分け隔てなく斬るという裁定が下され

ることを聞き、自分一人が斬殺されても、旗本八

万騎を両成敗の相手にするならば本望だと語り

きる。

 

 流血・闘争で沢山の人々が犠牲になり、その家族

 

を泣かせることはしたくない。現代のある思想からは

お花畑と嘲笑されるかもしれないが、「殺し合いをする

よりかは、己一人が殺されることで、全てを平和的に

解決したい」という願いが、長兵衛の心に燃えていた。

 

 倅伊太郎が楽しみにしていた祭の提灯に火が消え

てしまったことを残念に感じたように、八百八町の町

衆が楽しみにしていた祭が、やくざと旗本の抗争で

中断されてしまうことは、長兵衛にとって耐えられない

事柄であった。

 

 女房お兼は夫の袴への着替えを手伝うが、死地に

 

向かう夫の羽織を掴み、涙を堪える。

 

 山田五十鈴の控え目な助演が深い。大スタアだが

本作では終始夫役の阪妻を立てて、内助の演技に

勤めている。無言の表情に、お兼が長兵衛を包む

愛が示される。

 山田五十鈴の愛情表現の芸も無限の大きさを示

す。

 

 だが、お兼は堪えきれなくなって遂に涙を流す。

 

 

 長兵衛は羽織を妻兼に着せてもらい、中啓と紙を

 

もらう。

 

 時代劇の愛情の表現とは、無言で無限の暖かさを

 

語ってくれているものであることを学んだ。

 

 阪東妻三郎の長兵衛と山田五十鈴のお兼。

 

 

 これは、日本時代劇映画は勿論のこと、日本映画

 

史の親分と姐さんであると言っても差し支えない。

 

 日本の無声映画からトーキーの白黒映画の歴史は、

 

妻三郎を父、五十鈴を母として歩んだと言えるだろう。

 

 「昭和二十六年に誕生しておらず、映画より約十六

 

年後の昭和四十二年に生まれ、昭和六十三年に作品

を見たお前に、何でそんなことが言えるのだ?」と問

われる方がいるかもしれない。

 

 だが、昭和二十六年に生まれていなくても、日本映

 

画の歴史を支え牽引してきた阪妻・五十鈴両師の大

きな芸が、時を越えて無限の感動を与えてくれるから

言い切れるのだ。

 

 伊藤大輔は『素浪人罷通る』で敬愛する青年の為

 

に自己の命を捧げる男を描いて時代劇復活を成し

遂げ、『王将』で夫婦愛を語り、『おぼろ駕籠』で男女

の愛の深さと切なさを描き、本作『大江戸五人男』で

自己を犠牲にして町の平和を願う夫と支える妻の献

身を語りきった。

 

 長兵衛は水野邸に出かけて一時経って帰ってこね

 

え時は早桶で迎えに来てくれと語り、加えて乱暴・報

復はしてくれるなよと頼む。

 

 裸になって、談じて、却下されて斬殺されても、決し

 

て復讐はして欲しくない。

 

 和の成就に命を燃やす長兵衛を、阪東妻三郎が渾

 

身の熱演で、そのいのちを銀幕に明示された。

 

 

                             合掌

 

 

 

 

                        南無阿弥陀仏

 

 

 

 

                            セブン