御誂次郎吉格子 一九三一年 大河内傳次郎主演 伊藤大輔監督作品(一) | 俺の命はウルトラ・アイ

御誂次郎吉格子 一九三一年 大河内傳次郎主演 伊藤大輔監督作品(一)

『御誂次郎吉格子』

映画 無声 白黒

(『御誂治郎吉格子』の題名表記もあり)

 

 

昭和六年(1931年)十二月三十一日公開

 

 

制作 日活太秦

 

 

原作     吉川英治(『治郎吉格子』)

 

 

撮影     唐沢弘光

 

 

出演     

 

        大河内傳次郎(治郎吉(次郎吉))

 

        高勢實乗(床屋の仁吉)

 

        山口佐喜雄(やっちょろ丑)

        山本禮三郎(与力重松)

 

 

 

        伏見信子(お喜乃)

        伏見直江(お仙)

 

 

脚色・監督  伊藤大輔

 

平成二年(1990年)七月一日

平成二十四年(2012年)十月二日

京都文化博物館にて鑑賞

     

次郎吉



(画像出典 『御誂治郎吉格子』DVD

 

 2008年 デジタル・ミーム)

 

 ☆伊藤大輔監督が探求した愛の世界☆

 

 

 

 伊藤大輔は明治三十一年(1898年)十月十三日

に愛媛県宇和島市元結掛(もったいぎ)において誕

生した。少年期から文筆活動に励み、長じて映画界

に入り脚本家となり、大正十三年(1924年)に第一回

監督作品『酒中日記』を帝キネ芦屋で発表し、後に日

活において俳優大河内傳次郎とのコンビで時代劇を

演出した。

 

 

 

 大河内傳次郎も明治三十一年生まれである。伊藤

よりも八か月早い二月五日に誕生している。本名を

大辺男と申しあげる。

 

 大正十五年(1926年)十一月二十日公開の時代

劇『幕末剣史 長恨』から、監督伊藤大輔・主演大

河内傳次郎の時代劇映画の歩みは始まった。

 

 昭和二年(1927年)に発表された『忠次旅日記』

三部作は永遠の傑作として絶賛された。

 

 『幕末剣史 長恨』『忠次旅日記 信州血笑篇』『忠

次旅日記 御用篇』は部分的な不完全版が現存して

いるが、現存部分を見ると、深く重い世界であり、悲

しみをこらえながらいのちを生きる在り方が語られて

いる。剣戟・殺陣の迫力も圧巻である。

 

 二人は日活太秦において、無声時代劇の黄金時

代を築いたと言えると思う。

 

 昭和五年(1930年)・六年(1931年)の二年間にお

いて二人は、十本の作品を発表している。

 

 残念なことにそのうち九本が現存していない。

 

 

 昭和六年(1931年)最後の日である十二月三十一

日に公開となった『御誂次郎吉格子』のみ、フィルム

がほぼ完全の形で現存している。

 

 自分は、この映画を平成二年(1990年)七月一日に

京都文化博物館で鑑賞し、深く感激した。

 

 その後も京都文化博物館で上映される機会に改め

て鑑賞し、新たな発見を与えられている。

 

 京都文化博物館では、活弁なしで上映されるが、無

声で進行する物語が深い感銘を与えてくれる。

 

 『幕末剣史 長恨』現存十五分版も無声・活弁なし

の上映で鑑賞し感動を恵まれた。

 

 『忠次旅日記』現存版は字幕も多く、スピーディに

進行するので、活弁有りの上映が有りがたかった。

 

 『御誂次郎吉格子』( 『御誂治郎吉格子』)の原

作は、吉川英治が書いた小説『治郎吉格子』であ

る。

 

 吉川英治は、明治二十五年(1892年)八月十一

日神奈川県に誕生した。本名を吉川英次と申し上

げる。伊藤・大河内より六歳年長の英治は、時代

物を中心に数多くの名作小説を執筆した。

 

 『治郎吉格子』は盗賊鼠小僧治郎吉がお仙と

お喜乃という二人の女性との三角関係に悩みな

がら、同時に二人を愛する物語である。

 

 武士の娘お喜乃は病身の父親の浪人を介護・

看護している。無垢な彼女に治郎吉は一目惚れ

する。だが、彼女の父が盗難事件の咎を追求さ

れて浪人の身になったと聞いて愕然する。

 

 盗難事件の下手人は治郎吉自身だったのだ。

  

  

 伊藤大輔・唐沢弘光・大河内傳次郎のトリオに

る映画版は、原作を尊重しつつ、映画演出による

斬新な表現も為している。

 

 

 

 

 

 京都文化博物館所蔵のフィルムは、

 

 

 御誂治郎吉格子

 

 

 

 

 と表記されている。

 

 

 

 出演者・スタッフ紹介の字幕に続いて、主人公鼠小僧治郎吉の

 

道程が字幕で明かされる。

 

 治郎吉は、義賊として活躍し、貧しさに悩む庶民からは一切盗まず

 

武士や金持ちからのみ盗む盗賊であったが、厳しい捜査に警戒心を

抱き、江戸から西へ向かって逃走することを決定する。

 

 

 

 伊藤大輔は、草鞋を履く治郎吉の足を映す。

 

 続いて、宿場町の本を見せて、絵の動きで治郎吉の逃走の動きを

 

示す。

 

 治郎吉の吐いた草鞋は西への道を目指した。伏見からの三十石

 

舟に乗って大坂への道を進む。

 

 『時代劇映画の詩と真実』において、加藤泰は伊藤大輔に、この映

 

画を観た感激を熱く語っている。

 

 

  泰   いよいよ江戸がやばくなった次郎吉が上方へ。伏見からの

 

 

      三十石、その夜舟の中で、ふと出逢ったゆきずりの女。男も

      孤独なら女も孤独。その孤独同士が出来てしまって、大阪

      で・・・・・・。

 

 先生  うん。

 

                                     97頁

 

 

 三十石舟のシーンは映画版のオリジナルだが、次郎吉とお仙の出

 

 

会いを語る傑作シーンである。

 

 男治郎吉は盗賊。

 

 

 女お仙は遊女。

 

 

 三十石舟には沢山の客がいた。

 

 

 母子・猿回し・僧侶。

 

 

 治郎吉は眼帯をしている。

 

 

 その左目の眼光は鋭かった。

 

 

 大河内傳次郎の治郎吉は輝いている。

 

 

 

 

 

 

                                      合掌

 

 

                                南無阿弥陀仏

 

 

 

 

                                     セブン