泊り込みの夜 | つばめにのって ~肺腺癌との闘い~  番外編でチョコレート膿腫

つばめにのって ~肺腺癌との闘い~  番外編でチョコレート膿腫

2010年11月、母が肺癌宣告を受け、
ここから、これまでの恩を返す時間が始まりました。

そして2012年4月7日、母は永遠の眠りにつきました。

この経験がどこかで誰かのささえになれたらと思います。

番外編で、チョコレート膿腫のことも書いています。



今日は夫が家にいるので

私が夜間母に付き添うことにした。


これまでも毎日誰かが付き添っているが

不思議と私が付き添う日は母の体調が落ち着いていることが多く

私は大変なことに遭遇することがなかった。

しかし今日の母は、

昨日まで飲めていた粉薬がうまく飲み込めず

咳き込んで久しぶりにパニックになった。

酸素を4Lに上げ、背中と胸をなでて落ち着くのにしばらく時間がかかった。

それでも30分くらいかな。




私自身の経験からの感想だが

体調の悪い時の夜は

ものすごく時間が長く感じる。

眠れないうえに、昼間のように

食事やお風呂などのイベントがない。

ずーっと静かな時間が続く。

待っても待っても朝が来ないような気がする。


今の母もどうやら夜が長く感じるらしく、

酸素吸入で口が渇いてしまい滑舌が悪くなっても

なにかと話をしたがった。


オプソを飲むために2~3時間置きに起きる。

で、ついでに氷を食べたり

背中をなでたりする。

するとずっと付き添っている私に気を使って

「ゆっくり休みよ」

といってくれるのだが、

その2秒後に

「これ、あけにくいから開けて」とか

「(テレビをみて)この俳優さん知ってる?」

と話しかけ、気が済んで

「ごめんごめん、寝てよ、明日も仕事やろ」

といったかと思うと

「氷食べたいわ」

「紫蘇巻きは美味しいよ、持って帰る?」

と話しかける。


そして、薬が効いてくると少しウトウト・・・・


こんなことを一晩繰り返していた。



咳がひどくなると

「こんなにみんなに迷惑かけて・・・

 もう早く死んでしまいたい」

そんな弱音も吐いた。


「迷惑なんて、誰も思ってない。

 迷惑やったら、毎日付き添ったりせんよ。

 そんなこと言わずに、体調整えることに専念したらいい」


そういうと、

「そうやな、元気にならんとね・・・」

安心したように眠った。



以前、専門病院で母が同じように死にたいと言った時は

私に余裕がなくて叱りつけてしまったけど

ここにきてからは、そんな言葉も母の不安の裏返しだと

思えるようになった。

一晩中母の会話に付き合うのも、

このブログのサブタイトルにもあるように

今の私に出来る最大の恩返し。

いつまで、親孝行できるかな・・・