検査の結果と母の様子 | つばめにのって ~肺腺癌との闘い~  番外編でチョコレート膿腫

つばめにのって ~肺腺癌との闘い~  番外編でチョコレート膿腫

2010年11月、母が肺癌宣告を受け、
ここから、これまでの恩を返す時間が始まりました。

そして2012年4月7日、母は永遠の眠りにつきました。

この経験がどこかで誰かのささえになれたらと思います。

番外編で、チョコレート膿腫のことも書いています。


転院のあと、着いてすぐにした血液検査の結果の説明は

父と妹が聞いた。



母の今の血液の状態は

亡くなる直前の人のデータと同じだという。


DIC(播種性血管内凝固症候群)が進んでいて


短ければ1週間、長くても数週間もてばいい方でしょうとの説明だったらしい。




1週間しかないかもしれない・・・


専門病院でも転院直前に、母の残された寿命は月単位だと説明を受けていて

長くないことは分かっていたけど、


1週間という時間を受け止めるには

ものすごく気力が必要だった。




母の病気は、いつもその時の主治医の目測を上回って進んできた。



発覚した時はステージⅠといわれたのが手術するとⅡaだった。


5年生存率が80%から50%に下がり、

再発予防のために抗がん剤治療を受けたのに、5ヶ月で再発。


完治は無理でも、余命を伸ばす目的で受けたアバスチンが途中で中止。

呼吸器内科での最初の余命は1年だったのが半年になり、


その宣告から4ヶ月目で、1週間しか時間がないと言われ・・・



本当に1週間あるのかな・・・

ひょっとしたら明日、明後日がわからないかも・・・


覚悟をせざるをえなかった。





ホスピスへきて、母の咳き込みはいっそう激しくなった。


コントロール目的、適量を探る目的で麻薬が一気に増量、

これまでの病院ではオプソ5mgを1日に3~4回の服用だったのが

10mgを1時間半に1回、

それに加えてMSコンチンを12時間毎に1錠服用になった。


実際にこのときの母の咳は

これくらい飲まないと抑えられなかった。



咳は抑えられたけど、急激な増量に母は眠り続けたり、

せん妄をおこすようになった。



「部屋に黒い花がいっぱい飾ってあるけど、誰の葬式なの?」


「おばあちゃん(←2年前に亡くなっている)はどこにいったの?

 今、さいならーって言われたんだけど」


「家に花がいっぱいあるわね、葬式でしょう?」


「あんた、私にウソついてるでしょう」



麻薬のせいで滑舌が悪いけど、こんなことをずっと言ったり、

起きて話しているな、と思ったら眠ってしまったり。




一日経って、咳き込みがだんだん少なくなってきたので


服用間隔をあけ、1回量を減らして調節し、


MSコンチンを12時間毎に1錠、

オプソを2時間間隔、1回5mg、つらい時はレスキューあり、で落ち着いた。




この量でコントロールできるようになってから

母はとても楽そうだった。


落ち着いてから母に聞いてみたら、

麻薬増量中に来てくれたお見舞いの人のことは

まったく覚えていなかった。


おそるべし、麻薬の力。

でも、この力を借りないと母はもう生きていくことができない。



なんでもいい、母の苦しみをとってくれるなら。