転院のあと、着いてすぐにした血液検査の結果の説明は
父と妹が聞いた。
母の今の血液の状態は
亡くなる直前の人のデータと同じだという。
DIC(播種性血管内凝固症候群)が進んでいて
短ければ1週間、長くても数週間もてばいい方でしょうとの説明だったらしい。
1週間しかないかもしれない・・・
専門病院でも転院直前に、母の残された寿命は月単位だと説明を受けていて
長くないことは分かっていたけど、
1週間という時間を受け止めるには
ものすごく気力が必要だった。
母の病気は、いつもその時の主治医の目測を上回って進んできた。
発覚した時はステージⅠといわれたのが手術するとⅡaだった。
5年生存率が80%から50%に下がり、
再発予防のために抗がん剤治療を受けたのに、5ヶ月で再発。
完治は無理でも、余命を伸ばす目的で受けたアバスチンが途中で中止。
呼吸器内科での最初の余命は1年だったのが半年になり、
その宣告から4ヶ月目で、1週間しか時間がないと言われ・・・
本当に1週間あるのかな・・・
ひょっとしたら明日、明後日がわからないかも・・・
覚悟をせざるをえなかった。
ホスピスへきて、母の咳き込みはいっそう激しくなった。
コントロール目的、適量を探る目的で麻薬が一気に増量、
これまでの病院ではオプソ5mgを1日に3~4回の服用だったのが
10mgを1時間半に1回、
それに加えてMSコンチンを12時間毎に1錠服用になった。
実際にこのときの母の咳は
これくらい飲まないと抑えられなかった。
咳は抑えられたけど、急激な増量に母は眠り続けたり、
せん妄をおこすようになった。
「部屋に黒い花がいっぱい飾ってあるけど、誰の葬式なの?」
「おばあちゃん(←2年前に亡くなっている)はどこにいったの?
今、さいならーって言われたんだけど」
「家に花がいっぱいあるわね、葬式でしょう?」
「あんた、私にウソついてるでしょう」
麻薬のせいで滑舌が悪いけど、こんなことをずっと言ったり、
起きて話しているな、と思ったら眠ってしまったり。
一日経って、咳き込みがだんだん少なくなってきたので
服用間隔をあけ、1回量を減らして調節し、
MSコンチンを12時間毎に1錠、
オプソを2時間間隔、1回5mg、つらい時はレスキューあり、で落ち着いた。
この量でコントロールできるようになってから
母はとても楽そうだった。
落ち着いてから母に聞いてみたら、
麻薬増量中に来てくれたお見舞いの人のことは
まったく覚えていなかった。
おそるべし、麻薬の力。
でも、この力を借りないと母はもう生きていくことができない。
なんでもいい、母の苦しみをとってくれるなら。