相違 | つばめにのって ~肺腺癌との闘い~  番外編でチョコレート膿腫

つばめにのって ~肺腺癌との闘い~  番外編でチョコレート膿腫

2010年11月、母が肺癌宣告を受け、
ここから、これまでの恩を返す時間が始まりました。

そして2012年4月7日、母は永遠の眠りにつきました。

この経験がどこかで誰かのささえになれたらと思います。

番外編で、チョコレート膿腫のことも書いています。


転院先の病院は

がんに特化した病院というわけでなく、

ごく一般的な、地域の小規模病院だった。


ここで体調、心を落ち着けて自宅に戻ることを

目標にしていたのだが、

転院初日に、スタッフとの信頼関係構築に失敗した。



自宅で過ごす際にお世話になる訪問看護とか

緊急時の連絡方法とか、

転院受け入れを了承してくださった時など・・・

看護師長さんはとてもやさしい対応をしてくださって

実際に母が入院するまで、

この病院にいい感触をもっていた。

新たに主治医となってくれる先生も

患者の側に寄って考えてくださるとてもいい先生だった。


なのにどうして失敗したかというと


これは病院側、こちら側、どっちが悪いとかではなく、

見解の相違、が原因になったと思う。



受け入れ病院は一般的な病院だから

やはり薬漬けの状態は良しとせず、

できるだけいろんな症状に自己で対応できるように

患者さんに指導をする。


そうは言っても母はもう末期癌の状態なので

自己努力では乗り切れない苦しみがあって、

それは麻薬でしかコントロールできなかった。


この麻薬、オプソの払い出しの際に

レスキュー薬だから苦しい時にもらえると思っていた父と

麻薬を簡単には与薬しないという夜間担当看護師とが衝突した。


そこへ偶然主治医が通りかかり、

今の母の状態では、咳き込むことが体力を奪ってしまう原因になるから

訴えがあったときはすぐに払い出すよう指示してくださったことで

一件落着したのだが


この件で病院に不信感を持ってしまった母は

このあとこの病院スタッフに対して心を開くことはなかった。


入院中であるにも関わらず、

「おなかが痛いから、正露丸買ってきて」

と妹に頼む始末。

部屋の引き出しには正露丸と市販の痛み止めが常時あった。


そんな関係であっても

やはり母は医療者のいない自宅へ戻ることを怖がり、

ときどき帰ってはみるものの

数時間の滞在が限度で病院へ戻ってしまう。



そうしている間にも進行する母の肺癌。

胸水の貯留が進み、咳き込みがひどくなる。

溜まった胸水が肺を圧迫し、

肺の中に分泌液が溜まる、

それを体が痰と勘違いし、咳で排出しようとする。

でも、のどではなく肺の中なので出ない、

出ないから咳き込み続ける、

血混じりの粘液を吐くようになった。


主治医は胸水穿刺が必要と判断し

1Lの胸水を抜いた。


胸水を抜くことで母はずいぶん楽になるのだが

一緒に体内の蛋白成分も抜いてしまうので

体の負担が大きく頻回の穿刺はできない。

蛋白成分の低下は浸透圧のバランスをくずし

血管内の水分保持力が下がり、

浮腫や腎不全の原因となるためだ。


症状緩和の一時的な姑息的手段でしかない。



母は嫌がるかもしれないけど・・・

やはり癌による苦痛を取り除くスペシャリストの助けが必要・・・

ホスピスへの転院を考えなくてはならない時が来た様に思った。