帯(腰巻き)コピー(惹句)の考え方 その1
ひねり出した惹句が帯になるというのが、書籍編集者の書籍編集者たる所以です。
雑誌編集者はせいぜい目次脇にリードコピーを付けるくらいで、それすらない雑誌の方が多いくらい。コピー勝負させてもらえるのは、書籍編集者の特権といっていいのかもしれません。 さて、この惹句ですが、昔は、内容説明一辺倒でした。1975年前後の書籍の帯と言えば、
○な○を通して○を描く表題作他、珠玉の名短編○編収録
とか、
現代人の危うい状況を鋭く捉えた問題作
とか
愛の不毛を鋭く問う文芸巨編
とか。
川崎徹、糸井重里、仲畑貴志、大貫卓也ら天才コピーライター(CMプランナー)がわんさか出た80年代~90年代を経て、ようやく、ここ15年、書籍編集者の書くコピーも、単純な「内容説明」以外の観点で、考えられるようになってきたようです。というのが、「アイキャッチ」という考え方です。「いかに書店に来たお客さんの目を惹くか」ということがアイキャッチですが、そもそも、「惹句」という言葉が、「惹きつける言葉」なわけですから、何故、そこのところに気がつくのにこんなに時間が掛かったのでしょうか。
「対象読者」「想定読者」というようなことを昔はあまり、考えていなかったようです。吉川英治なら、読者を想定せずとも、「吉川英治ファン」に届けば十分に売り上げが立つのです。開高健しかり、阿佐田哲也しかり、松本清張しかり、井伏鱒二しかりです。純文学でもちゃんとファンがいて、極端な話、「最新作」と打っておきさえすれば、ちゃんとそのファンの数だけ行き渡るというような時代だったようです。編集側が読者側に近付いていかずとも、読者側があの手この手で情報をかき集め、書店に押し掛けてくれた時代だったのです。 いまはそういうわけにはまいりません。アイキャッチがいる時代になったのです。つまり、アイキャッチというのは、「何のことやらよくわからんが、ともかく目に飛び込んできた」というような文句のことです。
小説、なかなかやるじゃん。
とか、
私は男に餓えていた
とか、
私はこの作品を書くために作家になった――何野何樫
とか。こうしたものが、アイキャッチ系のコピーというわけです。実際に、多いのは、このアイキャッチと内容説明コピーを組み合わせるパターンです。(次号に続く)