諸行無常の考え方は結局のところ性に合わない尼津彦です。
皆様おはようございます。
お釈迦さんは、すべての苦しみからの解放される方法に行きつき、般若心経で言うところの空であったり諸行無常であったりの真理にたどり着かれました。
しかし、この考えを理屈ではなく心底からそう思えるようになるためには、感情を一切排除しなければ到底たどり着くことができません。
感情を捨ててまでの悟りはいらないです。
その時の感情に一喜一憂し、見苦しいほどもがいたり、またある時は逃避したりして、自分や大切な人を守っていくことって素晴らしいことだと思うんですよ。
人間だもの。
さて、摂津国八十八箇所でいくつか参拝しているので、書くべき記事がだいぶ溜まってきているのですが、その順に書いていると旬を逃すので、差し込みます。
西国巡礼以来の総持寺です。
今回は摂津国八十八箇所での巡礼です。
これは贔屓という霊獣ですが、このように石碑の台になっているものを亀趺(きふ)と呼びます。
亀趺ですから、もう、亀でいいです。
ここ総持寺の創建の逸話は、亀の恩返しと観音さんの霊験だそうです。
山門
前回は本堂と納経所だけしか記憶がないような適当な回り方だったので、金剛力士像のすばらしさに今回初めて気づきました。
境内
水天社
本堂
本堂でご本尊の御開帳が行われており、併せて堂内で西国三十三箇所お砂踏みがありました。
ここのご本尊は、素朴で豪華さなど微塵もありませんが、拝見してよかったと思いました。
ずっと見ていても飽きないというか、持って帰りたいような感じです。
神社にしても豪華絢爛な社殿より、屋根から草生えてるような本殿とかが好きなんですよ。
左右に雨宝童子と善如竜王を配しています。
雨宝童子とは、天照大神の16歳の時の姿といわれています。
これは神宮の奥の院と言われていた朝熊の金剛證寺でそう伝わっております。
善如竜王も雨宝童子と同じく男形で、こちらはもっと壮年のお姿です。
善如竜王自体は教えの形を現したものでしょうけど、モデルが誰かと考えるなら、豊受大神でしょうね。
閻魔堂