平安神宮の御朱印(京都市左京区) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

神社では願い事をするのではなく、日々の感謝をしましょうとよく言いますね。

僕も偉そうにそう言っていた時期がありました。

でも最近手を合わしている時気づきました。

祈願や感謝どころか、全くなんにも考えずボーっと参拝することが多くなった尼津彦です。

 

皆様おはようございます。

 

 

京都の人なら誰しもこの写真でわかる場所

 

平安神宮です。

 

青蓮院から徒歩10分ぐらいだったでしょうか。

 

ここでもドングリを拾いならが歩きます。

 

 

南側正面の応天門

 

立派ですね

 

ちょうど七五三詣りの写真撮影をされていて微笑ましかったです。

 


応天門をくぐると広い空間が。

橿原神宮もそうでしたが、この何もない広いスペースがいいですね。

 

 

左側の白虎楼

写真はありませんが反対側は蒼龍楼といいます。

 

四神の中心に位置する平安神宮ならではの配置です。

 

 

そして正面の大極殿


この先が内拝殿ですが撮影禁止でしたのでここまでの写真で我慢です。

 

 

平安神宮の創建は明治28年と新しいのですが、平安遷都1100年を記念して、第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。

 

桓武天皇は平城京から長岡京、そして平安京へと遷都した方で、京都の「おや神様」とされているようです。

 

明治前後の京都は幕末の戦乱で町は荒れ、さらに明治維新によって首都が東京へ遷されたりと、踏んだり蹴ったりの京都でした。

 

あ、京都の人は東京に都が遷ったとは認めてないようですけどね。

 

たしかに現在の首都は東京ですが、「遷都の詔」が出されていないので、あくまで都は京都なのだそうです。

 

東京都という名称は「東の京都」なんですよ。

 

東叡山が「東の比叡山」のようなものですかね。

 

 

話逸れましたが、そんな京都が町興しとして創建したのが平安神宮なのだそうです。

 

ですから京都の人たちには何か特別な思い入れがあるのかも知れませんね。

 

 

御朱印は以前に戴いてます。

 

お次はさらに北へ少し歩きますよ。