以前に御朱印いただきに行ってるんですが、写真が少なかったのと、用事がありましたので再拝です。
近鉄枚岡駅を出るとすぐに石段があります。
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少し上ると鳥居が見えてきます。
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立派な鳥居
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拝殿
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本殿
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御祭神は春日大社と同じですが、元々はここ枚岡神社に天児屋根命と妻の比売神をお祀りしていて、この二柱を春日大社に勧請し、春日大社からは武甕槌命と経津主命をこちらに勧請したようです。
それゆえ元春日とも言われています。
こかからは神社の御由緒にはない尼津彦ワールドですが、元々カスガの称名を得たのは天児屋根の父であるココトムスビ(これも称名かと)でありました。
このココトムスビの妻、すなわち天児屋根の母親は経津主の妹アサカ姫です。
天児屋根を気に入った武甕槌は自分の娘婿にほしくて、旧知の経津主に相談し、縁談がまとまりました。
すなわち比売神とは天児屋根の妻であると同時に武甕槌の娘でもあります。
天児屋根夫婦は茨城県の息栖神社あたりに住まいを構えたようです。
ちょうど経津主の香取、武甕槌の鹿島両神宮の中間くらいに位置します。
その後、ココトムスビが神上がりし、その領地と称名が天児屋根に引き継がれたようです。
さらに、一人娘しかいなかった武甕槌、跡取りのいなかった経津主の領地も引き継ぎ、大豪族となったと推測されます。
天児屋根の息子、天忍雲根命を祀る若宮社
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天神地祇社
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梅林入り口からの空
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雲が左右に狛犬を配した社殿に見えました。
御朱印
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この他に宮司さんの筆による『神気』と書かれたものもあるようですが、未だいただけてはおりません。