196. 暗記数学について | あまちゃんの成長日誌

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2013年度上半期の朝ドラ「あまちゃん」は人生のあまちゃんが海女(時々アイドル)を目指して成長する物語。
このブログでは、人生のあまちゃんこと一人っ子長男の成長を軸に、あまちゃんパパこと私の日々の出来事や想いを綴っていきます。

というわけで、暗記数学である。(前記事参照)


「暗記数学」は和田秀樹が提唱した数学勉強法である(名前に特許があるかどうかは知らない)。暗記数学と言う字面から勝手にその中身を想像し、的外れの批判をするのは避けたい。ということで、Wikipediaを見てみた。暗記数学  

さらに、和田氏の著書のアマゾンレビューも見てみた。増補2訂版 数学は暗記だ!(和田式要領勉強術)


和田氏は受験数学における実力を、受験生が持っている解法パターンの質?・量と捉え、解答パターンを効率よく習得するため最適な参考書として青チャートを推奨している。私も青チャート派であり、青チャートを推奨する点については同意する。そして解法を暗記するところに批判が集まりがちだが、年号や英単語の丸暗記とは異なり、数学の暗記は解法を理解して覚えることだとしている。


数学が好きな人、あるいは効率の良さを追求するのを是としない?人にとって、数学の問題を5分考えて分からないからとすぐ解答を見ることには抵抗感があることだろう。和田氏の提唱する勉強法はあくまで効率を最大限に追求したところのものであるという点を誤解すると議論がすれ違う原因になる。


私は和田氏の著書を(おそらく受験生時代から)1冊も読んだことがない。だからその状態で「暗記数学」についてあれこれ書くのもナンだが、この方法はある程度の学力が必要である。アマゾンレビューにもあったが、青チャートを使いこなせるというだけで数学に関して相当な実力があると認定せざるを得ない。できない生徒は、青チャートの解答を読んでも理解できないのだ。理解を伴う暗記と言うが、まず理解することが難しい。


大半の高校生(受験をハナから考えてないレベルまで含めると当然そうなる)にとって、数学の解答を読むのは苦行に近い。書いてあることをそのまま理解するのも困難だろう。また、その解答を支えるのは論理的思考力であって、それが身に付いてないとなぜそうなるのか、なぜそう計算すれば解けたことになるのかが分からないだろう。


大半の高校生にとって微分積分とは極限操作を伴う計算技術ではなく、単なる代数操作と化している。x^nを微分すればnx^{n-1}になるとか、sin xを微分すればcos xになるとか、すでに暗記科目化しているのだ。もちろん中身の理解は伴っていないだろう。ひどいケースでは、微分するとこうなる、というのを等号で結んだりするのだ。(例:x^3=3x^2)特に重症なのは後者の例。つまり等号の意味を分かってない。論理的に考えて答案を書いていない最たる例だ。


和田氏は灘中・高で落ちこぼれていたと称しているが、それは灘クオリティでの落ちこぼれであり、全国レベルと言うか、客観的に見れば落ちこぼれでも何でもなかっただろうと思われる。よしんば落ちこぼれだとしても、身近に分からない点をすぐさま質問して答えてくれる環境があったんのだから、意欲ある高校生なら誰でもできるわけではない。青チャートを自習できるという時点で相当な実力の持ち主だし、そうでなければ、青チャートの解答の疑問点をすぐさま解決してくれる家庭教師役が必要となるだろう。


どのような勉強法であれ、青チャートができるようになれば受験数学の基礎は身に着けたと言ってよい。暗記数学がそのための最も効率の良い勉強法であるかどうかは、その人がもってるポテンシャルや周りの環境に左右される。志望校によっては青チャートで十分ということもあるが、もちろんそうでない場合もある。


しかし青チャートは将棋で言えば定跡や手筋を覚えるのと同じで、当然身に着けるべき内容である(そうでなく大学生になる人がほとんどなのは残念な事実だが)。それを身に着けてさえいれば、その過程はどうでもよいとさえ思う。勉強法の勉強ばかりしたがる人は以前から多いが、教科そのものの勉強の方がもっと大事なのは言うまでもない。


青チャートの先の勉強(受験勉強に限るとしても)は、各人の才能や努力次第である。努力の方がもちろん大事だが、努力できること自体が才能でも有るので、どっちが先かという話かもしれない。周りの環境も含めて広義の「才能」と呼ぶならば、「暗記数学」も結局は才能しだいとも言えなくもない。


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