事件の真実


様々な苦難を乗り越えて大晦日。
私の車と部長の車、K主任の車の3台で初詣に行った。
アルバイトの女の子も行きたいと言ったが、私は親が了

解してるならいいと言って女の子たちに親に電話を家に

させた。
そこでI社員登場、電話してる女の子とかわり「私、スー

パー〇〇〇のIです。
私が責任を持って送り届けますので安心してください。」
さすが好感度NO.1のI社員。親の受けもいいのであっ

た。
私は「あんたが一番安心できん!」と言うと、後ろで部長

が私に向かって「そりゃあんたや。」と言った。

見事なつっこみだった。
走りやだった私と部長にとって、この初詣が毎年恒例にな

る年忘れ最後の暴走だった。
私はドライブ好きだが見事な方向音痴だった。
部長は「社長は方向音痴やけどラブホテルを目印に場所

を言うとわかるんや。」と言っておおいにうけていたが、それ

は受けねらいじゃなく事実だった。
みんないろんな話で盛り上がった。
私が大学の時、優が3つ(商店経営学、小売店経営学、体

育理論)しかなく、ラブホテル経営があれば優は4つに違い

ないという今までに行ったいろんなラブホテルの話。
特に2ヶ月で全部の部屋(22か24)に泊まれば10万円も

らえるラブホテルで一ヶ月でクリヤした話はやや受けだったが、

部長の大晦日に阪神高速をゴーカートで難波出口から入って

暴走した話は大うけだった。
そして楽しい初詣も幕を閉じた。

そして会社を設立してはじめての正月を迎えました。
それまでずっと張りつめていたのでなにか物足りない気分だっ

た。
私はクリスマスにI社員に買わされた大きなケーキを「正月に餅

じゃなくケーキを食ってるのは俺ぐらいだろう。」などと思いテレビ

をみながらケーキを食いまくった。
ケーキばかりは食えないので毎日一食分はケーキを食べていた

がやっと2つ目のケーキにたどり着いたところだった。
さすがにクリスマスから一週間経つと、ケーキもスポンジは堅く

ホイップはロウのようになっていた。
暇なのでI社員にも電話したがいなかった。
そうこうしてテレビを見たり、お気に入りの喫茶店にいったりして

いるうちに4日目になった。
会社は6日からだけど開店の支度は5日からで「あと一日か。」

でも漫画の本はもうはいってるんじゃないかなと思い店に行った。
でも会社には入ってなかった。
本の仕入先に電話をすると仕入先には入ってると言うことだった

ので、私は取りに行き、店に持ち帰って読んでいた。
のんびり本を読んでいるとM農協から電話がかかってきた。
新年の挨拶に来ると言うことだったので売り上げの集金もお願い

した。
農協に売り上げも集金してもらい、またのんびり本を読んでいると、

お昼過ぎに今度はS銀行から電話がかかってきた。
「〇〇〇株式会社さんですか、S銀行です。当座の残高が不足し

てるんですが。」
私は「おかしいなぁ、ちゃんと計算してたんだけどな。」と思いいく

ら不足してるか聞いた。
1800万円不足していた。
「おかしいそんなはずはないんだけど」とおもい弟に作ってもらった

マルチプランというソフトの業者支払い表を何度も見ました。
合計もあっていました。
しかし、よく見ると表の最初にある食品業者4社の合計が多く、どう

見ても最終合計はまちがっているようだった。
私はおそるおそる食品業者1社の支払いに1円を足してみました。
最終合計は変わらなかった。
マルチプランの書式を見ると1~4までの納品業者の支払いが足さ

れていなかったのだ。

書式をなおしても200万円ぐらい違いがありました。
私はとにかくM農協に電話をして会社のお金や私の預金を全額振り

込んだ。
それでも足りないので店のレジの釣り銭準備金も持っていった。
当座の担当の人が「社長直々ですか。」と言いましたが私は引きつ

った顔で「はぁ」としか答えられなかった。
車を売ったお金を使わないで持っていたこと、それからあとでわかる

のだが、入院している時に肉屋の支払いを2回ばかり忘れていたの

もあってなんとか助かり不当たりは回避しましたが最終残高は2万

円だった。
店も休んでいるので当然売り上げはなく、ほんとの2万円だった。
私は当座の引き落とし明細をもらい会社に帰った。
会社に帰ってわからない200万円の差を調べるとすべてこんにゃく

屋の小切手でした。
あとで聞いたのですが、こんにゃく屋は「田舎なので、なかなか銀行

に行けないから年末までためてたんです。」と言うことだった。
でも、このこんにゃく屋は親父の行商の時からの取引業者で、私の

店のためにわざと店がやっていけるなと思えるまで小切手を流さずに

もっていてくれたことは何となくわかった。
でもその日に本を読みに行かなければ、おそらく銀行も連絡が付けら

れなかっただろう。
わたしはマンションの電話番号は教えていないし、親の家の番号も知

らない。

その当時は携帯電話もなかったのでそんなことを考えると本当に恐ろ

しかった。

なにはともあれ漫画好きにより、偶然にも危機を回避した私だった
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