事件の真実


わたしは大学4年の時に高校2年の彼女がい

ました。

彼女はそのお嬢様女子高では美人で男子高

に生写真がでまわったり、ある時は改札の駅

員が花束をもって非番の日に待ち構えていて

プロポーズしたりともててました。

その時はさすがに気に入らなくて1週間は学校

に送り迎えしました。

私がバーテンをしているコーヒーのチャーン店

で彼女がきたので向かいの席にすわると他の

ウエィターたちが「だめですよあんなかわいい

子だから気持ちはわかりますが彼氏がくるに

きまってるじゃないですか~。」というので「彼

女だけど」と言うと「地球が滅亡して2人だけに

なってもそれはないな~。」と言われました。

でも彼女を子供だと思っていたんであまり相手

にしなかったのです。

門限がきびしくてなにもできない彼女よりは遊

べる子のほうがいいですからかわいいい彼女

がいるということでウェイトレスが油断してかな

りおいしいおもいをしたものでした。

わたしはおんなのこが「何かしようとおもってる

の。」と言うと「私は羊の皮かぶった子羊ですか

ら。」と言いつつ狼になって狩りをしていしました。

電話も彼女の親がわずらわしかったのでしま

せんでした。

彼女は「わたしで満たされないことは他で満た

してね。」といいながらほかで満たしていたこと

がわかるとかなり怒っていました。

でもそんな彼女から「親が会いたいと言ってる

からきてほしい。」と言われました。

夏でしたので私は服はアロハしかなく、履物は

せったww車は暴走仕様のスカイラインジャパン。

自慢のモーモーホーンがトレードマークww

頭はパンチパーマでした。

まぁ男は恰好じゃなく中身の問題だと思ってい

ましたのでつくろうことなく彼女の家をたずねま

した。

彼女のお母さんは会うなり速攻で「別れてやっ

てください。」と言われました。

わたしは恰好が悪くてもプライドが高かったの

で「わかりました。」と言いました。

当時、わたしは自慢できる物は何も持っていな

いのに女の子には「自分らが値打ちあるんじゃ

なくて俺が好きだから値打ちがあるんだ」と訳も

分からない理屈を言うほど自信家でした。
そして「俺はホントに自分のすきなことができる

一握りの人間だ」とものたまわっていました。
でもそんな訳の分からない自信が会社づくりに

つながっていったのです。
彼女のお母さんの一言がわたしの自尊心を傷

つけました。
わたしはその時は南でバーテンをしていてウエ

ィトレスとよく遊びに行ったりして遊んでいました。
だから「どうっていうことないよ。」遊ぶ相手は困

ったことないしと思いながらも本心は傷ついてい

ました。
「いい会社に入るのは難しいだろう、金持ちにな

って見返してやる」と思いました。
そして1年でスーパーを作って金持ちになる計画

書を作りました。
「失敗し、そのために借金ができて返すのに一生

かかっても、何もしたことない奴に失敗したといわ

れても痛くもかゆくもない。
成功した奴に言われたらもっともだし。」と思いま

した。
2年間でスーパー4店につとめ 、それぞれの店

で商品がいくらで仕入れられているかをすべてノ

ートに書き留めました。
店の経営者には「店をしようと思えば覚えるのに

10年はかかる。」と言われていましたが、「年取

って冒険できるかー。」と思っていました。
そしてつとめている合間に1~2ヶ月休んではま

で電車で行き、帰りは数10キロ歩いて場所を探

しました。
靴は一ヶ月でぼろぼろでした。
立ち寄った不動産屋も数十件をこしました。
いい物件があれば連絡ほしいとすべての不動産

屋にいいましたが当時は24~25だったせいもあ

り一件もかかってきませんでした。
でも不動産屋でいろいろきくうちに倉庫物件が安

いことに気がつきました。
わたしは茨木の大東建託(当時は大東建設)の

本社に行き貸し倉庫物件の書類を100物件分見

せてもらい、その内のスーパーができそうな10物

件の書類をもらいすべて回りました。
そうこうしているときにスーパーをする人がいると

いう噂を聞きつけ、神戸屋パンの開発課のIさんが

訪ねてきました。
わたしが場所を探しているというとIさんはわたしを

車に乗せいろいろと回ってくれました。
わたしはこれはいい。電車賃もかからないとおもい

時間があればIさんを呼び、一緒に探しに行きました。
そしてIさんは不動産屋にもわたしを信用できる人

だと紹介し、はじめて不動産屋からM市に物件が出

たというので行きました。
ちょうどM市は大学の論文で「M市の地域開発」を書

いたのでほとんど状況を把握していました。
その場所は将来は道が大きくなり、ぬけていくこと。
半径500mでは商圏が少ないがそこから北に住んで

る人はこの場所を挟んだ反対の方にしか駅がないの

でその方向にしか動かないこと。
大きな道路で分断され守られた商圏であること。

以上のことから適してると判断したが、当時通りには

畑ばっかりで何もなくアイスクリーム屋がメーカー支

給のケースを持ってくるときにあまりの場所にだめだ

と思いケースを持って帰った。
大手の問屋さんは私が初めて店をするにもかかわ

らず、私のあまりの自信の口ぶりにだまされ納品し

てきました。
小さい問屋さんも大手が入っているので安心して納

品してきました。
でも生鮮関係は違いました。
毎日現金払いにしてほしいといってきました。
私は「確かに私はお金がないです。でも失敗したら

相当な借金ができる。それだけのリスクを背負う覚

悟で店を作った。

こっちもリスクを背負ってやっている。

こっちのリスクに比べたらあなたのリスクの方が小

さいでしょう。

それだけのリスクも背負えないのなら入れてもらわ

なくてもけっこうです。」と言った。
すべての問屋が納得して長い締めで納品してくれ

ました。
金がないので保証金を取ってテナントに肉屋を入

れたんですが、まーそこも私の入らないと損だと思

わせるあまりの口ぶりに思わず入ったというところ

です。

こうしてわたしの変な勘違いした自信から会社は動

き出しました。
そうそう会社ができて2年ぐらいしたとき別れてくれ

と親にいわれた昔の彼女(住宅会社勤務)から電話

がかかってきて私は彼女の母親にわからせるために
彼女に家を注文し100坪以上の土地と一番大きい

家を買いました。
これで見返すことができると思いましたがいつの間に

かその子と結婚するはめになり苦労をさせているし

だいです。