=プロローグ
“僕の分まで生きてください。さがさないでください 晶”
世の多くの人がこれを見て想像することは皆、似通ったものだろう。ただ、晶自身の考えは少々異なっていた様子であり、またそれがゆえに、今からおこる悲喜劇はだれもが予想しうるものではなく。
それは記した晶自身でさえも。
晶の「書置」にまつわる舞台が幕をあける。
202×年 マイノリテイを庇い、いたわり、甘やかす『マイノリティ無条件庇護法』が成立した。庇護勢力とでも呼ぶべきか。異様な圧がはびこるきっかけは少年への同一性的虐待問題だった。隠蔽というやましき沈黙。日本の伝統的大人社会のコミュ術を、国際基準は一蹴した。庇護圧力の権利主張は性被害少年という限定されたものから、様々なマイノリテイへと飛び火するのに時間はかからない。
ジェンダー、LGBT、新興宗教、精神サバイバー…。マイノリテイは声高になる。対して大衆は沈黙に座す。腫物扱いされる空気感をマイノリテイは武器にする。世俗はこのあいまい歪な無言の圧に無意識下で脅えている。
「書置」は、そんな時を背負っている。
晶は精神障害者だ。
“精神がなんとなくよくない”という曖昧な、この武器は、自己申告で手にすることができる。開示するかは本人次第であるのも武器の特徴だ。だれがそうなのか見分けがつかない。大衆からすればステルス戦闘機のような不気味さを奏でる。
ならば何がどうよくないのか、そんな質問をぶつける事さえタブー視され、それがゆえに大衆の理解は得られない。「なんとなくですが心があまり調子よくないのです、だから生きづらいのです」そう発言する勇気があれば、誰でもこの武器を手にすることができる。「いきづらさ」は彼らの免罪符であり、言葉は闊歩し、暗躍する。
「書置」に関わった者は混乱した。作者はそんな人間たちの証言を記録する。数奇で狂気な晶のエポックを読者に目撃してほしいと願う。
=刑事Aとその部下Bの会話 書置発見から1時間後
部下B:何で俺たちがここまでやんなきゃいけないんすかね。精神障害なんて医療か福祉
行政の仕事でしょう。
行方不明者の捜索なんて普通はほったらかしでしょ、精神障害だからって特別扱いなんすか。俺の家は極貧だったけど、親父が失踪したときはこんな手厚くなかったす。
刑事A:少しは法律勉強しておけよ。左側の先生がつくった法律できただろ。精神障害者
が行方方不明者になったら、関わる人間の聞き取りを桜田門が48時間以内にやるんだよ。コロシでもねえのにな。みな、ぶっこわれた奴、怖えんだろうな。
逮捕から送検までの時間が48時間だろ、それまでに見つかるよ。でなきゃ、仏様行
かもな。その間は探しました、というポーズは必要だろ。
人騒がせな遺書だぜ。いや、遺書とか言ったら罰せられるからな、気をつけろよ、生死確定前は「書置」と言うのだとさ。さて第一発見者からいくか。
お前は俺の右に座れよ、文字が書きにくいからな。
=グループホームの当直バイトのはなし 3時間後
僕がが見つけました。夜、晶の部屋から物音したので見に行きました。もう晶は部屋にいなくて、あの遺書だけがあったんです。あわてて正職員の人に電話しました。
皆、電源切ってたり、「遠くにいる」とか言訳して逃げちゃうんです。一人だけ、ケースワーカーの携帯番号知っている人がいて、そこにかけるように言われました、ただ、ネチネチくどくどと「自分から番号教えたことは絶対に言うな」とか言われるんです。自分の立場だけは敏感なのに、晶の遺書にはまるで関心なし。というか、自分に危険さえなければあとはどうでもいいんでしょうね。もう泣いてお願いして番号聞いて、すがる思いでケースワーカーに電話しました。
晶ですかあ、性格は最悪ですね。弱そうでおとなしそうなヤツを見つけて使い走りとかにするんですよ。バカ扱いして蔑み、優越感にひたる。僕みたいな年下の職員には敬語をつかわせるかと思えば、エリアマネージャーが見回りにきたりすると、従順なんです。卑屈な奴ですよ。自分が偉いと感じていたい”かまってちゃん”なんですよ。
障碍者サービスはうけられるもの、すべて受けてます、なにせ診断書さえあれば、家事や食事の面倒は福祉がみてくれるんですから、テキトーなもんなんです。
ナマポ受給者です。ああ、生活保護のこというのですけどね。生保と書くでしょ。精神障害者が働かなくても食っていけるのは、障害年金かナマポの受給者が殆どです。年金の人はまだましですよ。なぜかって、以前は働いて年金を納めていた人だから少しはまともなんです。ナマポは要注意です。悪知恵あって受給にこぎつけている人も正直少なくないんで。そういう輩は厄介なんすよね。
70年代の「カッコーの巣の上で」という映画知ってます、ジャク・ニコルソンが囚人の役なんですけど、懲役労働から逃げるために精神病を装って保護入院受けて、行った先の病院をめちゃくちゃにする話なんです。晶を見るたび思い出すんですよね。
いえいえ、詐病なんて言葉は口が避けても言えませんよ!今の時代、即人権問題にされちゃいます。もともとが実体のないような”ご病気様”ですから。発達障害ってめちゃくちゃ曖昧で便利なんですよ。精神病白書みたいな医学便覧本で、ICDやDSMってのがあるんですけどそれに載っちゃってるんですから、世話ないですよ。
だから、皆、職員は怖がって沈黙するんです。いや、晶が怖いんじゃなくて、面倒くさいだけなんすけどね。みな、見たくないものは見ないフリして蓋かぶしちゃうのです、でも蓋の下で怪物は息をひそめながら成長しちゃうんですよ、やがてモンスターになって牙をむいたりする。業界ダークサイドですよ、狂気発生のメカニズムですね。「グレムリン」って、スピルバーグの映画ご存じですか、架空のペットの話です。愛情かければおとなしくてかわいい生物なんですが、放置するとモンスターに変身しちゃう、という話です。晶たちを暗示してますよ。
やつら皆、競馬はやる、風俗には行く、やりたい放題です。部屋をみてください。45型テレビに光通信、大画面モニターにゲームチェア、ひきこもりのエキスパートですよ。
前に僕、晶にほかの職員の文句を、つい愚痴っちゃったときがあるんです。それから、弱みを握ったとばかりに、付けこまれてセクハラされました。
あの夜も、僕の体を舐めまわすように見るんで、もう、キレて、”ナマポ生活者が調子のんじゃねえ”と一喝したんです。そしたら急にしゅんとして、おとなしくなっちゃいました。皆、怒られる経験なくて、甘やかされ続けてますから、恫喝には弱いんですよ。
いや、でもねえ、本当はそれを望んでいるのですよ。ええ、”きちんと叱ってくれ”と叫んでるんですね。ただ、沈黙する職員にその思いが届くことはないんです。ほんとに死ぬ気かどうかですかって?まあ、ないですね。ワーカーさんにも聴いてみてください。晶のこと冷静に見ていると思いますよ。
=ソーシャルワーカーのはなし 10時間後
私が晶の担当ワーカーです。
グループホームの当番がバイト女の子で、たらい回しにされたみたいで、私の所にかかってきた時は涙声でしたのでねえ・・・ホームまで行きました。
いや、晶はよくやるんですよ。ええ、狂言をね。だから、死ぬといえば、職員が大騒ぎしてくれることをよく知っています。よく文章を見てください。
「僕の分まで生きてください」ってギリギリの言い訳ができるの、わかりますか。つまりね、見つかったとき、死ぬつもりではなかった・・・と言える、極の曖昧さを持つ言い回しなんですよ。遺書に見えて、そうでないともいえる。連中のマニュアルなんですよ。希死念慮といってね、言葉の中に「死」を想像する言葉があれば、我々専門職は動かざるを得ないのです、たとえ嘘とわかってもね。
え、そんなことして何が面白いのか?ですって。
「ショーミー(show me)系」と僕らは言ってます。「みんな僕に注目してくれよ」という動機なんです。
ほら、迷惑系ユーチューバーとかいるでしょ、飲食店で箸舐めたりする奴とか。あとは、無差別巻き込み殺人事件が一時期連続したでしょ、秋葉原で歩行者天国にトラックで突っ込んだ奴もいれば、介護施設の職員が、入所者を襲った事件とかあるじゃないですか皆、この類の人間なんですよね。
病名?発達障害といえば、わかりやすいのですかね。
業界では常識なんですが、皆、声を押し殺していますね、発達障害批判はタブーなんですよ。刑事さんだから言うのですよ、守秘義務守ってくださいね。
家出のフリですよ、バイトの子の声の大きさにびっくりして、すねたのでしょう。皆を困らせてやれ、みたいな、ね。世捨て人(ペシミスト)を気取るとこ、がありましたね。ホームレスやボヘミアン、ノマドの本読んで、よく話していました。
見つけたとき、メンツを守ってやんないと、とんでもないクレーマになります。ええ、「生きていてくれただけでありがとう」とか甘い言葉の限りを尽くしてやらないとね。
連中は権利をよく知ってます。人の都合おかまいなし、自分の利になることは、とことん調べつくしてます。
利己的な権利の収穫に執着してます。権利が満たされることで、ショーミー欲が瞬間、落ち着くのでしょう、そうやって綱渡りで自分を支えているんです。
増え続けますよ~こういう輩。
マイノリテイって少数っていう意味でしょ。でもねえ、もはや、こんな連中は多数派です。増殖しています。少数派が束になって連合化してる。ええ、ネットでね。マイノリテイは大集団になりつつあるんです。
脅威の集団に大衆は皆脅えて、沈黙するだけです。対応がわからないし、それを考えるのも面倒なんです。何か世の歯車、微妙に狂ってきてますよ。
もう帰っていいですか、透析にいかなきゃなんないですよ。
発達障害の話なら心理師さんに聞いてください。紹介しますから。
=刑事Aとその部下Bの会話 24時間後
部下B:晶って、とんでもねえ奴ですね。それを食い物にしてる連中もひどいもんだ。
刑事A:ああ、精神障がい者は300万人、生活保護者は150万人いるんだと。生活保護費は4兆円超える勢いらしい。防衛費が6兆円で、問題にされたりすんだろ、ミサイルから国民を守る事よりナマポを守ることが優先されるんだろうな。
おっと、余計なことは考えなくていい、24時間経った、半分すぎたな。
どうやらヤツに死ぬ気はねえのははっきりしたようだ。スイッチが入らねえうちで
ねえと、限界なんだよ。事故でも、誘拐でも行方不明者が48時間ででてこなければ、生存率はぐんと下がる。超えた力とでもいうかな、不思議ものが動く。試されるような得体の知れない力がな。
界隈のホームレスにあたるよう指示しとけ。明日朝一で公認心理師さんと面会だ。
=公認心理師のはなし 36時間後
発達障害といっても幅広いんですよ。ワーカーさんの言ってる「ショーミーー系」というのは、いわば二次障害的なことを言っているのだと思います。
つまり、彼らは、生まれたときからおかしいわけじゃないんです。「自分はこの世の中にいきていい」という安心感を親からもらえなかった方たちなのです。
子育てなんて、5歳までにやらないとアウトなんです。
どういうことかって?いいでしょ、説明しますね。
5歳までのこどもが親から受けとれるセンサーはふたつしかありません。「yes」
か「no」だけです。言葉の深いところなんて、乳幼児には伝わらないのですよ。この子供の心が想像できない親が多いんです。言葉だけじゃないんです、態度、姿勢で思い切り「yes」か「no」のメッセージ送っちゃってるんです。
肯定される「yes」を受ければ健全です、ところが反対に否定の「no」をこどもが受け取り続けると脳には破壊的なダメージなんです。このダメージを受けた脳の異常が発達障害の正体のひとつだと言われています。「no」をつきつけている親、最近ほんとよく見かけます。
親は普通こどもを命がけで育て、守りますよね、動物なら当然なんですけど、なんらかの欠陥により、こどもを慈しめない親が生物学的にも一定数は、いるんです。昔は祖父母がいたりして、親をカバーできたのですね。ところが、大家族制度は崩壊してしまった。核家族では、一親等の親が「no」なら、こどもの肯定感が育つことは絶望的なのです。
絶望を抱えながら、5歳を過ぎると、こどもは肯定を求めて彷徨いはじめます。すなわち自分の存在を認めてくれる人を探して、漂流し始めるのです。
ところが世間はそう簡単に、他人とかかわらない時代になりました。他人には極力かかわらない空気感じゃないですか。
それでも、彼等は肯定を求め、流され、もがきます。そんな中で起きる人間関係なんて最悪です。悪感情が生じて二次障害を起こします。
肯定してもらえる人を見つけられない限り大人になっても彷徨い続けます。「僕をみろっ!」てね。それが世間からしてみれば、極めて異様な我儘に映るわけです。
9歳くらいまでのこどもって、ある意味、欲の塊でしょう。欲望を発して親にそれを満たしてもらい、愛を感じ、利己欲から解放されていくのですけど。そうなってはじめて今度は自分が他人のために何ができるかという、いわゆる利他にめざめていく。こうした過程が大筋の人間が辿る路です。ですが彼らは利他にめざめることなく大人になった人間なんです。利己的なふるまいになるのわかるでしょう。
中2病ってよく言われるでしょう。権利だの人権だのと言い始める時期、そう、自己欲が肥大してコントロールできにくい思春期の一時。彼らはこの、自己欲の肥大化がいまだに膨張し続けて止まらないいわば中2病状態なのです。
普通、その年代ならば若い人間関係のからみあいで社会を感じ、自然に克服していくのです。彼らはそれを経験してないんです。揉まれてないのです。他人から肯定された経験もないから、自信がなく、自分を愛せない。当然、恋愛も体験できません。恋愛って最高の成功体験なんですよ、自分を認めてくれる異性との交わりですからね。
恋愛経験が抜け落ちると、自分と向き合いにくくなります。なぜって、大好きな異性を通じて相手を自分と同じように大事にする感覚が育ちますからね。恋愛が欠落すると決定的に想像力が育ちません。
そんな状態でも生きていかなきゃならない。しかも自分の中にある邪悪を感じながらも否定しにくいのです、醜いものはだれでも厭います、ましてや、自分の中にあるそれを見つめ、受け入れ、昇華する器は彼らにはありません。
肥大しすぎたエネルギーは、そのはけ口を求め、暴力に支配されたりします。
一、 肯定してほしいという欲望が肥大化してコントロールできない
二、 世の中はだれも相手にしてくれない
三、 服従できる相手をさがす
四、 暴力で服従させられる弱者とかを見つけ、欲望を満たす。
これが二次障害者、最悪ループの構造です。
暴力に陥れば、流れ着く先は精神病院です、薬を飲まされ、退院したら福祉支援の道に埋もれていきます。自分と向き合う機会にめぐまれる事は絶望的です。今の精神福祉業界で彼等の叫びに正面から向き会える人はほとんどいないんです。
医療や福祉に繋がれた方はまだいいかもしれません、世間には健常者のような仮面をつけてエネルギーをため込んでいる人間が増殖しています。
こうした負のメカニズムが長い事機能してしまっています。
かまって!と泣き叫んでいるのに、世間は沈黙を決めこむ。そうやって彼らのどすぐろい澱んだ感情エネルギーが今、世俗を覆いつくしているの、感じませんか。
社会は沈黙しちゃ、駄目だと思いますよ。しっかりと見てやらなければね。
マイノリテイ―が暗躍しているのは『怒りをぶつけても返ってこない日本への痛烈なアンチテーゼ』ともいえるのです。
自閉症だの、アスペルガーだの医学的分類は無意味です。皆同じか似通ったものです、感情に無力なだけな方群です。
抜本的な治し方、は自分と向き合わせてあげる力をつけてあげること。そこから逃げ自立はありえません。
え、まだわかりにくいですか性欲の代償といえばわかりやすいかも。
自分で対応できずに、彼女をつくる行動もしない。興味は自分にしか向かない閉鎖的な状況、それでも性的エネルギーはなくならない。人間はすごいもので、代替という所作を身につけてるんですよ。性欲のエネルギーをほかで消化する方法をさがすわけですな。
性欲のマグマは刑事さんたちの想像よりはるかに大きいのです。承認欲求の極ですからね。迷惑系事件をおこしたり、エスカレートすれば牙をむき、無差別巻き込み事件をおこす。実に単純なロジックです。
そうそう、ちょい前、「恋愛交際経験のない20代が70%もいる」という内閣の統計が話題になったでしょ、覚えてますか。この7割はみな、予備軍だと感じてます。今、精神危機状況なんですよ。
晶の場合は、狂言自殺で承認欲を満たしているわけですよ。
出てきた時の対応が問題でしてね。徹底的に甘やかさざる、を得ないだろうなあ。
晶の遺書、演出ですね。「さがさないで」と書いて、パラドクスです。必死にさがさないと承知しないぞ、という強迫です。
この後は、精神科医に聴くんですか。いや、何 いいお医者さんですかあ、まあ、いない事もないですけどね・・・。「a few good men」です。
面白い考えをしている先生がいるので、よければ紹介しますよ。
=精神科医のはなし 41時間後
わたしたちが避けたいのは患者に死んでしまわれる事です。後味わるいんですよ、死なれると。死刑執行のボタン押す係、鬱になるの知ってますか、同じです。
目の前にいる患者に対してとにもかくにも、「死なせない」ことが治療の再優先なんですね。大量投薬も死を避けるためにはやむを得ません。死に向かう判断エネルギーを削ぐ訳です。
精神科医と患者の関係。お互いにそのあたりの前提にした実に微妙な”危うい信頼関係”なんです。
それを皮肉にも証明する面白い実験があります。精神病者とそうでない人をまぜこぜにして生活観察を精神科医させるのです。結果。”見分けられない”、という衝撃的なデータがあるんです。『ローゼンハン実験』といいます。この意味わかりますか。それを5分ほどの診療で診断を下している現実です。精神病なんて多くが幻想、とまでは言いませんが実に曖昧でいい加減なものなんです。
彼ら、アキラたち二次障害者の生きづらさの科学的根拠をお聞きになりたいのですよね。結論から言いますね。
「デイスクレパンシー」という状態です。
刑事さんたちにも、苦手科目とか得意科目ってあったでしょ。計算は早いけど、文を読むのは苦手とかね。たいていの人間は得意科目で苦手科目をカバーして生活していきますよね。でもこれが、彼らには高いハードルなんです。想像力が乏しいという話は聞きましたかね。じぶんの能力を錯覚するのですよ。苦手科目が自分の中に存在することを認めたがらないのです。どういうことかって。いいですよ、詳しく説明しましょう。
知能検査ってあるんですが、ウエクスラー検査が代表的です。人間の能力を分類して検査します。簡単にいえば、得意科目と苦手科目を識別できる検査だと思ってくれればいい。
この能力の偏り、つまり得意と苦手の差、(凸凹)のことをデイスクレパンしーと言います。まあ、誰にでも、偏りはあるんですけどね・・・
これが一つでも、70を割り込むものがあると厄介なんです。70というのは一般人の平均値ではあるのですが、社会に参画するためのボーダーラインと言ってもいいのですよ。それを下回ると、世間はそいつをひとつの苦手分野の低レベルが全人格を支配していると思っちゃうんですね。簡単にいえば、「バカ扱い」するんです。
「三等分」てわからない子供増えてるのご存知ですか。ケーキを等分にわける方法がわからない子がいるんです。
こんな分け方をするこどもがいたら、仮にその子に音楽や運動の才能が隠れていても、社会はそれを認めなくなっちゃうんですね。
だから、学校でそれ、苦手を子供は隠しちゃうんですよ、恥ずかしいから。
で、授業ついていけなくて、面白くなくて、非行に走ったりする・・・
さらに厄介はね、その子の得意分野が100を超えて高いものがあるとするじゃないですか。すると本人はそれが、自分の能力と勘違いします。
どうなるかわかります?
世間はバカだと思う。本人はそう思わない
その”乖離が全く想像できないの事の病気”なんです。
俺はやればできる、なのになんで俺を認めないんだ、社会は!となってしまうわけですよ。
このクライアント、晶っていうんですね。うちの妻と同じ名前だ、なんか他人事と思えないなあ。
え、女性には珍しい名前ですって、いやあ、うちのヤツは元は男ですから。
=刑事Aとその部下Bの会話 39時間後
部下B:晶が死体で発見されたみたいです!
ホームレス地区です。どうやらナイフで自分の腹を刺したみたいですがね。
現場で職質かけたホームレスを重要参考人として連れてきています。どうやら他殺の線もあ
るみたいです。
刑事A:やれやれ、厄介な話になりそうだな。
=ホームレスのはなし 46時間後
名前なんて知らねえよ。あのおぼっちゃまの事かい、晶なんて洒落た名前だったのかい。
俺が殺したんじゃねえよ。ああ、俺のナイフだが、俺がやったんじゃない。おどかしてやろうと見せただけだよ。
あいつ、ホームレスの仲間にはいりたいと宣いやがった。俺らをなめてやがるんだ。俺は見透かしたね。2、3日ここで暮らして誰かが探しにくるのを待つ腹だろうに。すぐにわかったさ。こちとらにバレてるとも知らずに、あいつは「世を捨ててきた、死んだと同じだから、、、ホームレスとして暮らしていきたい・・」ときたもんだ。「世捨て」を気取ってやがる。俺っちにも一分のプライドがあらあね。俺はあいつを試したよ。ナイフを握ってあいつに、突き出したぜ。見せつけて俺は言ったんだ。
「仲間に入りてえなら、このナイフに飛び込んでみろ!できやしないだろ、一回死んでみろよ。運がよければ、生き残るぜ。ここで辛いことがあったら、またママの元へ帰るか、だった帰るにしても・・・傷跡ひとつぐらい残ってないとかっこつけらんねんだろうがっ!」
こちとら世捨て人のプロよ、相手が傷つこうが知ったこっちゃねえ、土足で世捨て人気取りのクソガキの心なんて踏みつけてやるのさ。追い込んだぜっ!逃げ場をなくしてやった。
あいつも後には引けねえよな、初対面のホームレスにここまで言われちゃね。飛び込んで来ようとしやがった。もちろん、本気じゃなかったさ、けど半端な覚悟を奴を神がためしたんだな。
けつまづきやがったのさ!
転びながら思い切り体重をのせてきやがった。ズブズブズブッとナイフが奴の腹に入っていったぜ俺もあわてて手をはなしちまって、そのまま飛びのけた。
アイツ、そのままうつぶせに転びやがった、ナイフを腹に刺したままね。すんごい声を上げたと思ったら、あいつバカだから、食い込んだナイフをあわててぬいちまいやがった、自分の両手でしっかりつかんでね。
即座に俺も、みなも逃げたよ、しったこっちゃねえからね。
いや何、なんか腹の収まりが悪い感じがして、こっそりとまた俺だけ見に帰ったのさ、そこで刑事さんに見つかって即捕まっちまった。ああ、全部、本当のことだよ、俺は1mたりとも刺してなんかいない。裁判にでもかけられるのかい、こちらは怖いもんなんか何もねえ、どこでも同じことを話してやるぜ、その間は飯食わせてくれんだろうな。
=刑事Aとその部下Bの会話 48時間後
部下B:さて、どうするんです?
刑事A:晶のメンツをたててやるかな。
部下B:え、それって・・・もしかして。
刑事A:自殺ってことにしてやろう、このままでいいよ。ヤツも怨みやしねえだろ。
ナイフにヤツの指紋バッチリついてんだ、何も問題ねえよ。
ほう助で起訴できる、だと。バカか、お前は。
刑事事件にすればホームレス爺さんの言葉固めなきゃなんねえ、その後 起訴、送検、裁判まで。気が遠くなるぜ。このくそ爺の言うことは本当だとして、だれが信じる。おれたちが証明してやったとして誰がよろこぶ。下手うてば、検察から怒鳴られるぜ、”汚えじいさんなんか起訴すんなっ”てな。そんな暇も義理もねえ、だろ。
あのホームレスの爺さんか、返してやりな。生い先短いし、大丈夫だろ、口を割っても耳を貸す奴なんて誰もいやしねえよ、釈放しちまえ。晶も面子がたつ、爺さんも帰れる、ウィンウインだろ。
部下B;はっ、はい・・・。わかりました。なんか、アキラのやつ、無意識に願いを叶えたんですね。
プライド守っちまいやがった。
=エピローグ
報告書には自死と記載された。書置が添付されて。
死因の特定精査を経ても、決済まで時間はそうかからないだろう。終われば書類は語らない。沈黙が支配する。
沈黙に埋もれ歪んだ感情が肥大を続けるように、何も言わない処理理済み書類の嵩だけが加速度的に増していく。今にも崩れ落ちそうに。
書置き発見から48時間を超えようとしていた。 おわり
以下 余白
=『いい感じはどこから来るのか』 史実から「木を見て森をみす”」という教訓は生まれました。 この諺の教えは「近視眼的に見てはいけない、巨視的な視野 をもて」という事なのでしょうが、ここにきて一風を感じます。木と森の関係は巨視的か否かにとどまらず一念的ではない多様を関係性にあてはめる必要性を感じるのです。 たとえば ミクロ経済(学)とマクロ経済(学)の関係にもあてはまるでしょう。 西洋医学と東洋医学の関係にもあてはまりそうです。 どちらも否定せず、バランスの問題になります。 当然、人生でも同じような関係性は多々あります。 たとえば人間関係。 味方だと思っていた人が、実は敵だったり、その逆も場合もまた然り。 ただ、「一生」という言葉が示す通り、人生は一度きりです。 見誤っても、人間関係はやりなおしが効かないことすらあります。 だから、今なのです・・・。 心の病でも同じことがいえます。 「いきづらさ」と「いい感じ」の関係です。 今、私たちの心に横たわっている、漠たる「不安・恐怖・怒り・悲しみ・嫉妬」、 実は皆同じか、似通ったものですが、「症状」にばかり目をやると「いきづらさ」 になります。 でもふと、同じものがあるのかな~と社会に向けて視点を変えてみます。 びっくりするくらいに瞬で「類」と出逢えるでしょう。 出逢うことによって「欠点」だと思い込んでいたものが「才能」に変幻するかもしれません。 才能と確信した途端に「不安や恐怖」は「希望と誇り」に変幻します。 「木(自分)だけを見て。森(自分以外の人)を見ず」状態からの覚醒によって可能になります。 すなわち、「わたしたちの(この繊細で秀逸な)辛さ」は世間にもある「汎用されたモノ」かもしれない、という視点変更です。多少の覚悟は必要です。 出逢う事で「木」は「森」に、「森」は「木」としてみる自由をわたしたちは 得ることができます。 これもまた「いい感じ」の創生です。 さらにもっと「いい感じ」になるために「本書」は伝えていきます。視点変更にとどまらない自己改革です。 今、具体的な事は伝えません。 ですがカンタンな『覚悟』が必要な事だけお伝えさせていただきます。 『いい感じ』になるため、古い脳のバイアスを捨てる覚悟です。 (本書では)覚悟して、ある行動を起こすことによってより「いい感じ」に近づく可能性が伝えられています。 「木をみて森もみる」という時代です。 そして私たちは同時に 「機を見て杜を創る」 時代を覗いています。 -----------pppp