今度はやりきったハンドボール
今回は『ゆめ半島千葉国体2010 ハンドボール 少年女子』に出場した、
Yさんのエピソードをご紹介します。
小学5年生だったYさんは少年団でハンドボールと出会った。
彼女の地元には、社会人の強豪ソニーセミコンダクタ九州があり、
30年ほど前に国体で優勝したメンバーたちが普及に取り組んでいたりしていて、
ハンドボールの土壌があったのだ。
「でも影響が大きかったのは中学校」とお母さんは考えている。
Yさんが中学校へ入学した年に、熱心なハンドボールの指導者で、
厳しくも的確な指導をする顧問の先生が赴任してきたのだ。
「あの先生に認められたい」
Yさんたちの成長は目覚しく、県大会、九州大会と勝ち抜き、
全国中学生選手権大会の舞台まで辿り着いた。
それは、中学を卒業したらハンドボール部のない
高等専門学校に進むつもりのYさんにとって、最後の大会になるはずだった。
結果は一回戦敗退だった。
「もっと上にいけるだけの実力があると思っていたのに、
アクシデントが重なっての一回戦負けで。
遠くまで応援に来てもらったのにごめん」とYさんはお母さんに謝った。
その後Yさんは高等専門学校進学をやめ、
チームメイトたちと揃って地元の高校に進学し、
1年生にしてレギュラーとなった。
Yさんがお母さんとハンドボールの話をすることはほとんどない。
お母さんが色々と聞いても、「お母さんにはわからないことだから」
とかわし、話したがらない。
そんな家でのYさんの様子をお姉さんは「遅れてきた反抗期」とからかっている。
高校3年となった今年、ついにYさんたちの高校は
沖縄インターハイの出場権を勝ちとり、
千葉国体では鹿児島県代表にも選ばれた。
これが最後だからとお母さんも観戦に参じた。
3年ぶりの全国の舞台は、
素人目のお母さんから見ても、
想像以上にレベルが高いように感じた。
インターハイでは2回戦で優勝候補の強豪校と対戦し、
前半で10点以上の差をつけられる。
それでも後半、主将のYさんを中心に集中力が高まったのが客席にも伝わった。
敗色濃厚となってもなお、点差を縮めようと力を尽くしている。
結局、Yさんたちの高校は2回戦敗退となったが、素晴らしい試合だった。
Yさんは教職をとることを目標に、短大への進学を決めた。
ハンドボール部はない短大だけれど、クラブチームでのプレーはできるし、
いつかは指導者になりたいという想いもある。
選手としてのハンドボールには区切りがついた。
これからはYさんが指導者としてハンドボールの楽しさを教える番だ。
(文責:スポーツライター金子塾 小林)
Yさんのエピソードをご紹介します。
小学5年生だったYさんは少年団でハンドボールと出会った。
彼女の地元には、社会人の強豪ソニーセミコンダクタ九州があり、
30年ほど前に国体で優勝したメンバーたちが普及に取り組んでいたりしていて、
ハンドボールの土壌があったのだ。
「でも影響が大きかったのは中学校」とお母さんは考えている。
Yさんが中学校へ入学した年に、熱心なハンドボールの指導者で、
厳しくも的確な指導をする顧問の先生が赴任してきたのだ。
「あの先生に認められたい」
Yさんたちの成長は目覚しく、県大会、九州大会と勝ち抜き、
全国中学生選手権大会の舞台まで辿り着いた。
それは、中学を卒業したらハンドボール部のない
高等専門学校に進むつもりのYさんにとって、最後の大会になるはずだった。
結果は一回戦敗退だった。
「もっと上にいけるだけの実力があると思っていたのに、
アクシデントが重なっての一回戦負けで。
遠くまで応援に来てもらったのにごめん」とYさんはお母さんに謝った。
その後Yさんは高等専門学校進学をやめ、
チームメイトたちと揃って地元の高校に進学し、
1年生にしてレギュラーとなった。
Yさんがお母さんとハンドボールの話をすることはほとんどない。
お母さんが色々と聞いても、「お母さんにはわからないことだから」
とかわし、話したがらない。
そんな家でのYさんの様子をお姉さんは「遅れてきた反抗期」とからかっている。
高校3年となった今年、ついにYさんたちの高校は
沖縄インターハイの出場権を勝ちとり、
千葉国体では鹿児島県代表にも選ばれた。
これが最後だからとお母さんも観戦に参じた。
3年ぶりの全国の舞台は、
素人目のお母さんから見ても、
想像以上にレベルが高いように感じた。
インターハイでは2回戦で優勝候補の強豪校と対戦し、
前半で10点以上の差をつけられる。
それでも後半、主将のYさんを中心に集中力が高まったのが客席にも伝わった。
敗色濃厚となってもなお、点差を縮めようと力を尽くしている。
結局、Yさんたちの高校は2回戦敗退となったが、素晴らしい試合だった。
Yさんは教職をとることを目標に、短大への進学を決めた。
ハンドボール部はない短大だけれど、クラブチームでのプレーはできるし、
いつかは指導者になりたいという想いもある。
選手としてのハンドボールには区切りがついた。
これからはYさんが指導者としてハンドボールの楽しさを教える番だ。
(文責:スポーツライター金子塾 小林)