3.11 〜あの日  | 音楽の仲間たち

音楽の仲間たち

ピアノやコーラスを中心に様々な事を書いて行きたいと思います。

あの日

時々雪がちらつきとても寒かったと記憶している

我が家には私と愛犬のととしかいなかった。

突然ガラスがガタガタ鳴り始めた。

すぐ収まるだろうと思ったら

なかなか収まるどころか段々酷くなっていく

怖くなってととを抱っこしてトイレに避難していた。

地震が来たらトイレに避難するのが一番だと

誰かが言っていたのを思い出したから.....


相当長い時間ガタガタ揺れた。

やっと収まったと思ったら停電していて

家の中の暖房は全て消え使えず〜


主人と娘はそれぞれ病院の違う科にいた。

真っ暗になり自家発電で直ぐに電気がついたそうだが

これほど不気味なことはなかったと振り返る


ガスは点いたが水道は止まった。

何も出来ず、非常食があるわけでもなく

家にある食べられるものでその日をしのいだ。

兎に角寒くて布団に潜るしかなかった。


主人の携帯ラジオだけは電池なので聴くことができた。

そのラジオで大津波警報が沿岸に出ていると知った。

大津波が押し寄せ大変な事態になっていて

場所によってはほぼ壊滅状態にあると

だが映像がないのでその凄まじさは全く理解できなかった。


三日間停電しその間寒さを凌ぎ

電気の回復を待っていた。

やっと電気がついた。

世の中電化製品が溢れているので

電気がないと何も出来ないと

あらためてありがたさを感じさせられた。


電気が来て初めに

パソコンを開きアメブロを見たら

なんと沢山のブログのお友達から

大丈夫ですか〜? 

とメッセージを頂いていた。

とっても嬉しかった。

ブログの有難さをとても感じた。


そして次にテレビを見た瞬間

この世の地獄のような光景が映し出され

その凄まじさに息を飲み言葉にならなかった。


沿岸には多くのピアノの仲間もいるし

みんな大丈夫だっただろうか〜 と


段々情報が入ってきて、仲間たちは全員無事だったことが分かったが

家を流されたり、身内が亡くなったりした人が沢山いることが分かった。


我が家は山を切り崩した粘土質の上に立っているので

CDが崩れ落ちたぐらいで、ピアノも1㎝たりとも移動しなかった。

多くの人たちから心配して頂いたが

申し訳ないほどなんでもないんですよ〜

と答えていた。



沿岸はピアノがとても盛んで将来楽しみなお子さんが沢山いる

その人たちが一瞬のうちに家財道具と共にピアノも流され

途方にくれ〜........


折角ピアノを好きで習っていたのに

諦めないで欲しいとの願いから

その子供達のために何か出来ないかと試案していたら

全く関係のない大阪の先生から電話があり

楽譜を全国から集めて被災地に送りませんか?

とお誘いを受け二つ返事で承諾し

早速ホームページで楽譜及びピアノの寄付を呼びかけた。

ブログで仲良くして下さっている方からも

沢山の楽譜をお送りいただいた。

楽譜は1000冊ほど集まり、電子ピアノや、アップライト

中にはグランドピアノの寄付もあった。


沿岸の仲間を通して楽譜をあちこち欲しい人誰でもに差し上げた。

中には電子ピアノ20台寄付したいけど

どこに持っていけばいいですか?

などの問い合わせがあり

被災地のピアノの先生を通して主に仮設住宅に入っている

お子さんを紹介し、その家に届けてもらったりした。



あれから6年

まだまだ復興は先の話で、仮設住宅に住んでいる人は

中々出られないでいる

普通の人が震災前のような生活に戻れて

初めて復興したということになるんだと思う


家を建てようと思っても山の持ち主が見つからなかったり

民間には売らなかったり

あるいは相当高値で売ったりと

色々な現象が起き

ままならない状態が続いているようなのです。


津波さえなかったらとっくに復興しているのにね〜

と仲間でよく話し合う


今後1日も早く被災した人たちが

普通の生活に戻れるように心からお祈り致します。


G.フォーレ レクイエム