『アミ 小さな宇宙人』を読みました! | 杯と白い羽

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さかずきとしろいはね:見えない存在なら死霊から天使まで会話できる、チャネラーもどきの現在と昔話(経験談)。
日常よりも霊的な話メイン、更新頻度は低め。


またまたお久しぶりです、雨崎こたろです。


どうにも、今月10日を境に、大きく周囲と自分が変化していて、

目下の問題だの色々、その変わりように目を見張ります。

変容の波、なのでしょうか。


変化は、大きいのも小さいのもあるうち、スピな変化も多く、

少しずつですが、スピへの抵抗感もなくなりつつあります。

ただ、多忙になりそうなので、これからは時間を作る練習をせねばなりません^^;

メタトロンさん、優先順位のつけかた教えて…!←




今回は、先月に読んだ書籍「アミ 小さな宇宙人」の感想を少し。


なにみえの記事で知った時は、あまり気にならなかったこの本、

先月頭、唐突に気になって、図書館で検索したらありました。

実は寄贈図書だったり、古い方も文庫の方もあったのが嬉しい♪



すでにスピ界でノンフィクションだと囁かれているので、

そうなのだろうなあと思いながら読んだのだけども、

想像以上に素晴らしかったです。


この本を読みながら、誰かに紹介したいと心底考えている自分がいました。

子供向けなので、10歳(主人公年代)の子どもには

ぜひ一読を勧めたい(というか贈りたい)し、

夢のある話を好む友人にも、スピの入り口に立っている友人にも紹介したいです。


読み進める中で、何度もはっと気づかされることがありました。

それはきっと、読み手によって気づく部分や思うものも違うので、

無闇に挙げ連ねるのは控えます。

ぜひ、各々手にとって、見つけて欲しいです。


でも、少しだけ。私が序盤に気が付いたことをひとつ、紹介しようと思います。

小さな宇宙人アミ(amigoのami)は、本書で

『ほんとうの知性とか善意とか美しさは結合している。

これらは、みな愛へむかっての進歩がもたらしたものなんだ』

と述べています。


その一文を読んだ時、私が思い出したのは、ずいぶん前に人づてに聞いた、

“色んな国の人間の顔をCGで混ぜ合わせると、必ず美人になる”という話でした。

何かのテレビで紹介された実験だったのだと思いますが、

それはつまり、こういうことなのだと気づいて、愕然としました。


混ぜ合わせるというのはつまり、差別などをせずに種族……種族?間で

混合するということ。

○○人だからどうの、違う種族だから結婚しない、なんて判断がなくなれば、

自然と世界的に特徴、DNAは混ざりますよね。


 その根底には、きっと愛があります。


結婚とは、夫婦とは親子とは、動物だって充分持っている、愛のひとつの形ですから。

(ミンゾクジョウカなんて、残酷極まりないかの国の行いは、

根本は破壊なのでまた別の問題になりますが……)



地球が本当に平和になって、人々が愛を基準に活動するようになると、

きっと地球人は美しい人ばかりになるのでしょう。

見目が、特徴が、ではなく、魂が「美しい」と感じられるような、

そんな人ばかりになるのでしょう。


それは、なんて素晴らしいことなのでしょうか。



また、アミは『真実だけが美しいんだよ』とも言いました。

それはつまり、真実が愛をもたらすということのように思います。

愛は美を伴い、知性を伴い。

真実は、私たちの目を覚まさせ、愛へと導くでしょう。


(『』内出展:エンリケ・バリオス.『アミ 小さな宇宙人』,徳間書店,2005,42p,179p,)




今月12日、ミカエルブレイズの記事 にて、

大天使ザドキエルからのメッセージが紹介されていました。

一部引用します。



>結局、あなたがたの世界は、奪われた記憶を持つ者同士が

無自覚のまま、怒りと悲しみの表現として、争うことで

その感情を癒そうとする歴史の繰り返しでした。

終わりの見えない奪い合いです。

しかし、もし、あなたがた一人ひとりが

自らの意識の奥底の怒り、悲しみ、そして深い闇をみつめて、

その声を受け止め、理解しはじめるなら、

闇のなかで怒りつづける「もう一人のあなた」は

急速に振り上げつづけたその拳を降ろしはじめるでしょう。

なぜなら、怒りつづける「もう一人のあなた」は

ただ理解し、ほんとうな赦しを受けたいだけだからです。

ただ理解してほしかっただけなのです。

ですから、もし、あなたのなかの怒りつづる「もう一人のあなた」の存在に気付いたら

とにかく封印しつづけるのではなく、

その両腕で抱きしめて、涙を受け止めあげてください。

癒せるのは、あなた自身しかいません。



引用以上。

(全文はたんたんさんのブログ にてどうぞ)



この部分を読んでしみじみと、振り返ることの必要性を感じました。

怖い感情だから、悪い考えだから、負の要素だから、見ないでおく。

それは、自分自身にささったナイフを、見ないで隠してしまうようなものかもしれません。


隠して見えなくなっても、ナイフは消えません。

ナイフを見て、原因を知って、自分がどう感じているか、

どんな風に痛いのか、どんな傷を負っているのか、知って。

そして、悲しかった自分、傷ついた自分を、認めてあげる。


それが、今の私に必要なのかもしれません。

ここ半年の私は、変容の流れに揺さぶられ、振り返ることを

促されていましたが――同時に恐れ、逃げ惑っていました。

ずうっと、ずうっとです。


逃げ続けている限り、それが力ないハリボテだと知ることもなく、

本当に力を持つ“愛”にも“光”にも気づかない。

それを様々な形で聞かされながらも、頭でわかったつもりでいました。

そして、逃げ続けていました。



私は今月の10日以降、なんだかずっと、力を感じています。

心細い思いをしながらも、それでも歩くだけの力をもらっているような。

これまで注がれていたのを受け取れていなかったのに、

私にもらう準備ができたような。


なにが変化したのかまではわかりませんが、

できることから積極的に動いていこうと思います。



『ありがとう』『愛しています』

『あなたに愛と光の加護がありますように』

これらの言葉を、あなたと、私に縁のある方すべて、

それから世界中のあらゆる存在に送ります。


雨崎こたろ