世の女性を敵に回した議員の「セクハラやじ」発言問題 | 「365日の言の葉」

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【自分がこの事を知ったのは日曜日だったが、「議員たるものなのに…」と呆れ返るだけである】




丁度今日で一週間が経つが、事態の収拾はつくどころか曖昧になりそうな空気が醸し出されていることから、国民からの冷たい視線は一層厳しさを増す。事の発端は、18日の東京都議会内に「みんなの党」会派の塩村 文夏(アヤカ)議員が一般質問で、妊娠や出産、不妊に悩む女性への支援の必要性を訴えた際、男性の一人だけではない複数の声で「自分が早く結婚すればいい」や「子供を産めないのか」などといったヤジが飛んだことが、今問題となっている。実際に昨日の朝日新聞の「天声人語」には、その事について書かれていた。一部を抜粋すれば
『晩婚化対策を質問で取り上げたみんなの党の塩村 文夏議員が「自分が早く結婚した方がいい」などとヤジを浴びた。(中略) macho(マッチョ)という英語が、日本でもいつしか普通に使われている。手元の国語辞典によれば、男っぽい男という意味のほかに、男らしさを誇って女性を軽んじる男、という意味もある。ヤジを飛ばした面々は、きっとマッチョ志向だったのだろう。そういう政治家はなぜか外交面でも強面に出たがる人が少なくないようだ。真面目な政策論としてなら対外強硬論もありうるが、女性を軽視して恥じない政治家には居場所はない』
そう書かれていた。同じ男性として、情けないや恥ずかしいの一言だ。



「セクハラやじ」といえば、生温さや優しい言葉の類いに聞こえるが、もはや「やじ」の域を出た単なる「セクハラ」でしかない。行動までしていないにしても、言葉で世の女性を敵に回した議員の粗悪さが露呈した。ましてや「議会」といった立派な場所や、安倍首相が「女性が働きやすい環境を…」と打ち出している矢先に、内部から諍いが起きた。一般企業や会社内でこのような事由が起きれば、即刻クビにだってなりうることである。塩村さんは議長席前の演壇でヤジを浴び、涙ながらにそして時に声を詰まらせる場面もあった。ヤジは自民都議らが座る一角から上がり、映像に納められた一部始終では、塩村さんが視線を向ける方向からも分かる。その議会終了後、自民党の石破 茂 幹事長は、「誰であれ『自分でした』といってお詫びすべきだ」と述べた上、陳謝をしていた。立場や地位どうこうではなく、誰か分からない議員の尻拭いとして他の議員が謝っておいて、一週間経っても自民党の鈴木 章浩 都議たった一人しか名乗りでないという、議員の醜悪さに国民からは憤りや信頼に値しないという声が相次いでいる。そしてその波紋は日本だけにとどまらず、国外でも関する報道が相次いだ。



「日本では職場の性差別が当たり前」「女性議員が少なすぎる」などと揶揄した上で、日本社会に根深い問題だと報じている。
アメリカのケーブルテレビ局CNNでは20日、「都議会の性差別主義者の発言で怒りが爆発している」と報道
イギリスの通信社「ロイター」も速報で伝え、「2020年に夏期オリンピックを開催する日本政府は、非難の洪水を浴びている」と五輪開催地としての立場を強調した。同じくイギリスの新聞社「ガーディアン」も同日、「女性議員が、性差別的な虐待を別の議員から受ける」と報じた
報道されたのは、欧米圏だけではない。「ハフィントンポスト韓国版」は21日、ヤジを浴びせた政治家への厳罰を求めるネット上での署名が、6万3000人に達したことなどの事実関係を説明した後、「日本の地方議会で出産支援策を訴える女性議員に、ヤジを浴びせかけた政治家を捜し出して懲戒せよという世論が沸騰している」と熱を帯びていることを紹介している。



とっとと名乗り出ればいいものを、名乗り出もしないために「声紋分析」にまで発展している。「誰が」とまではっきり分かることがなくとも、その筋の専門家の手にかかれば年齢や体格などをある程度絞り込むことが可能だという。逃げ場を自分達の手で封じておいて、この期に及んで名乗りでないとなると往生際が悪い。唯一名乗り出た鈴木議員は、「ヤジなんて気にしていられない」と発言していたが、少なくとも隣の人や自分の周りで「この人が言ったな」くらいは分かるはずだ。それを「知らない、分からない」の一辺倒で貫き通すことから見ても、組織的に示し合わせたような隠蔽意識があるとしか思えない。鈴木議員一人が名乗り出ることも予め内輪で決めておいたことで、あわよくばそれを盾に幕引きをも図りたいという思惑さえ感じ取れる。最近は、石原 伸晃環境相の「最後は金目でしょ」発言もあり、口を開けば失言し謝罪する議員の姿をニュースで目にする。普段からそう思っていたりすることを言葉にしているのではとさえ思えるのだが、大の大人それも議員たる者が「言っていいこと」と「言っていけないこと」の判別がつかなければ、仮にも理性が働けば口にはできなかったのではと思う。今回は相手が女性だっただけに「セクハラ」といわれても仕方がないが、子供たちや若者らはこんな大人を見てどう思うのだろうか…?