流星群明日は流れ星が見えます。毎年同じようにイベントがあり毎年、また見れることに感謝している。昨年は同じ時期に流れ星を一日に五個見れた。明日は何個か、欲張らずに一個だけ見れることに感謝したい。今夜、フライングで流れ星が見つけれやないか、駅から歩いてみよう。明日も遅い帰宅になりそうです。iPhoneからの投稿
一年に一度は。 秩父夜祭りはクルマで行くならば、秩父まで行かずに、西武秩父駅二つ前の駅前にクルマを停めていくことを勧めます。 西武秩父駅のロータリーにある屋台、屋台はきちんと仕事している屋台で買うべし。広島焼きを選びました。プラスチックのタッパの下まできちんとと広島焼きにあうソースをハケでまんべんなく塗る。その調理後の配慮が味に繋がります。 イカの半身焼き300円。美味しい。( ´ ▽ ` )ノ 冬の花火大会です。かなり近い。 今年の秩父は暖かい。年々、寒さがあまりなくなっているのかも。毎年、少しずつタイミングが違う時間に行き、毎年来年も行きたいなと思う。iPhoneからの投稿
タクシーたぶんこのドライバーさんと話をしなかったら穏やかな時間、たわいない会話、ないまま一日がおわったんだ。5分たりとも、穏やかでなかったをだと手帳みて感じる。師走を走りぬけよう。明日は5時起き。顔ハロー。おやすみなさいiPhoneからの投稿
本音を年賀状に書くか。いや、書かないけどね。ここだけの話。年賀状は、来年からやめませんか。今年も去年と同じこと考えています。今年はさらに強く年賀状は要らないね。贈る必要ないね。贈るのやめようってまだ年賀状買っていないけどあと20日間は悩む。年賀状出さないことで切れる絆なんてあり得ない。年賀状出さないことで絆がなくなる?最初から繋がりなんてないんだと。悟ったほうがいい。確かに年賀状は出すのが大変。貰うと嬉しい。枚数数え安心する。でも、年賀状貰わない方ともきちんと繋がっています。メールでの年賀状、流行ってほしいな。今年書く年賀状にはおめでとうとかは入らない年賀状が主流らしい。来年も皆様にとって素晴らしい一年でありますように。というのが無難らしい。ということで皆様にとって素晴らしい師走でありますように。2011年12月1日。iPhoneからの投稿
懐かしい音になるかも。懐かしい音、静かな眠い朝に新聞をめくる音は、最近聞かなくなったねと、あと数年で懐かしい部類になるはず。携帯のキーをカチカチならし入力する音もなくなったみたいに。昨日に引き続き、日経新聞、新聞自体をやめることについて、さらに追記したいと思ったので、また書きます。私が今、新聞を否定しはじめたのは、記事や内容よりも、もう紙で情報を得るということがスマートフォンの恩恵もあり不要になってきているんだと感じることが増えてたからです。朝、満員電車の中で新聞を幾度もめくりながら記事のゴシックをななめよみをしているサラリーマンは減ったと思う。そして、帰りの電車でも新聞をめくる人は新聞を読んでいますよ的な威圧感がある人もいるけど、これも少ない。私はというと、朝の新聞を夜読み直ししてまで古い情報をまともには読めずiPhoneを操作しながらネットでニュースを読むくらいに新聞を少しからかもしれないが依存度は低い。スマートフォンやタブレット端末があれば紙での情報は何割も削減できると見ている。明後日からは、iPhoneで産経新聞webを読み、毎月、銀行引落されて自動的な感覚でポストから新聞取り出して数分読む習慣はなくなる。別にさみしいとかはない。新聞はwebで読めばいい。会社に日経はあるから昼読めばいい。その熱意があれば。新聞の自動引落していた分、定期購読はしないにしても読みたい雑誌とか、DVDとかをプラスαとして買い足すのもいい。なんだか、最後はケチな話になりそうのでまとめると、惰性での習慣になっている新聞とか、昔ながらの習慣で依存していた、あまり温まらないストーブへの石油を買い続けるよりも、なになにありきをやめることで楽になるはず。本当は電気に依存しなくなるくらいのことができればいいのだが。できれば省電力でいろいろと起動する世の中になればいいと思う。石油ファンヒーターを洗面所以外は廃止したため、石油の買い出しが減ることでのゆとりの時間がうまれることも新聞の話と少しかぶります。共通しているのは、静かになること。と得たいものはえることが変わらずに維持していくこと。二日にわたり新聞話をお読みいただきありがとう。つまらない記事も封印できればいのですが・・・。ではまた。iPhoneからの投稿