憧れのビーフステーキ、‘ニューヨークカット’の思い出。 | フィリピン良いとこ、一度はおいで ~不良ジジイのフィリピン日記~

フィリピン良いとこ、一度はおいで ~不良ジジイのフィリピン日記~

フィリピンは住めば住むほど人生気楽になるよ、まずは僕の話を聞いてから一度遊びにいらっしゃい。

僕は戦後育ちで、子供の頃は食う物さえあまりなかった時代だった。母親や叔母貴がリュックに着物等を一杯積め込んで、田舎の農家に出かけては、物々交換を行って、食いつないでいた。今になって見ると、信じられない様な酷い時代だったね。僕はトウモロコシやサツマイモが大嫌いなんだ、その理由は至極簡単だよ、僕の子供時代は食べる物と言ったらサツマイモ、ジャガイモが主体だったからだ。味つけなんかありゃしない、ジャガイモには塩ぶっかけて食っていたぜ。それにトウモロコシを粉にして作ったキリパンと称するものがあった、こいつは子供の僕には、飲み込むのが大変なほど、粗っぽい食いもんだった。大人に成ってから、サツマイモで作った高級菓子なんてものを出されたが、‘本当にふざけやがって’とそっぽを向いていたよ。また屋台でトウモロコシを焼いて売っているのを見ても、食べようなんて気になった事が無い。食糧事情が何とか良くなって来たのは、僕が中学生になった頃からだね。だからと言って、今みたいに好きな物が食べられる状況には、程遠かったな。

僕の子供の時代は、日本はアメ公に占領されていた時代で、駐留軍の兵士たちが、そこら中を我が物顔に歩いていた。僕は、あのでっかい、青い目の連中を見ながら、育ったが、敗戦国でしかも占領されている日本だったので、欧米の連中に対する劣等感の中で育って来た訳だ。あの頃の進駐軍の連中は正にアメリカが最高潮の時代だったんで、肩で風を切って歩いていたよ。当時の普通のサラリーマンの初任給が1万円程度の時代に、あいつらは最強のドルを貰っていたので、チンピラの兵士だって日本人の10倍近い円を持っていた事に成る。誰もが日本人を見下すのは当たり前だよね。正に金こそが人間の地位をあからさまに示してくれた時代だった。

僕が欧米人に対して敵対心ではないが、凄い対抗意識を持つのは、こう言った屈辱の時代が有ったからだね。この歳になって、あの栄華を誇った欧米が見る影もないほどに凋落してきているのを見ると、不思議でたまらない。僕が子供の頃のアジアは、植民地で有ったり、漸く独立を与えられたが、まだ植民地の影を色濃く残していた時代だったので、繁栄を謳歌していた欧米の連中に見下される時代だった。それが今じゃ経済の中心はアジアに移ってしまっている。日本の自動車メーカーも欧州のオペレーションをどんどん縮小しながらアジアへとシフトしてきているのを見ても、もう欧州の凋落を止める事は出来ないなと思えてならないね。

平家物語に‘祇園精舎の鐘の声・・・、奢れる者久しからず、ただ春の夢のごとし’ってくだりが有るが、日本が第2次世界大戦で完膚なきまでやられた事を見れば正にその通りだって分る。今の欧州がこの言葉通りの姿になってきているし、是からこう言った状況に来るのが間違いなく中国だと思えてならない。歴史は正に繰り返すだね。人間が高等な動物だなんて到底思えないよ。

さてそろそろ憧れだったビーフステーキの話しに入ろう。

僕がビーフステーキを初めて食った時に、何に感激したかって言うと此の名前だよね、こいつが‘厚切り牛肉のフライパン焼き’なんて名前だったらなんて事が無いが、「ビーフステーキ」って名前だよな、やっとこアメ公と一緒の物が食えたって気持ちで、それだけで興奮していた。言って見れば豚肉を焼いたのとあんまり変わんないのに、英語になっているんだぜ。

僕の子供の頃は、アメリカ映画の全盛時代でさ、連中がでっかいステーキをほおばって居る場面が良く出て来たんだよ。僕は、お腹がぐうぐう言うのを堪えながら、映画に見入っていたね。ああいった場面を見ているだけで、‘アメリカってのはスゲー国だ’って思ったもんだ。それにどいつもこいつも自動車を乗り回しているし、家のでかさだって、日本とは比較にならない。あの頃の日本は誰もが貧乏人だった、「日本国総貧乏人」って事に成るよね。僕が羨ましいと思って見ていたのは当たり前だよね。‘いつかはああなりたい’じゃなくって、‘絶対に成って見せるぞ’ってのが、僕の思いだったね。殆どの日本人が僕と同じ思いだったと思う、だからこそ戦後は、世界が驚嘆する経済発展を日本はして来たんだ。現在は世界でも最も恵まれている国となったので経済成長が鈍化するのは仕方ない事じゃないのかしら。

僕は大学を卒業してから商社マンに成った、そして初めての海外出張が、憧れのニューヨークだったんだ、もう40年以上も前の事だった。学生時代は英語会と言うクラブに所属していて、4年間英語をかなり鍛えてきたし、日本では、僕の英語でも、外人にかなり通じたんだよね。そこで自信満々でアメリカに渡ったんだ。入管の手続きで窓口に立って、パスポートを差し出した。担当官が黒人のでっぷりと太った叔母ちゃんだったよ。叔母ちゃんがでっかい声で僕に何か言っているが、まるで宇宙人が言っている言葉の如くに何がなんだかさっぱり分らない、僕は凄いショックに打ちのめされたね、正に呆然自失だったな。本当にどうしようかって思っちゃた位の打撃を受けたぜ。なんとかかんとか通関出来て、アメリカへの入国を果たしたが、今度は予約して貰ったホテルに行かなくてはならない。入国した時点で僕の英語の実力の低さを嫌ってほど味合わされていたんだ、そしてお次はタクシーに乗ってホテルに行かなくちゃならない。タクシー乗り場に行って、おずおずとホテルのの名前を言ったら、今度も全く通じないんだよ、そこでホテルの名前を書いて、運ちゃんに渡したら、漸く分って貰った、全く冷や汗のカキっぱなしだったぜ。

あの頃ニューヨークは凄く危険な街でね、ホテルに着いてまたビックリだ、そこらに有る安宿で、売春婦がうろつくようなホテルだったんだ。薄汚いホテルで、ニューヨークのパンナムのビルが眼の前に見えるホテルだ。名前だっていまだに忘れないぜ、「シーモアホテル」って名前だよ。レストランなんて洒落たもんは全くない、言って見れば学食みたいな薄汚い店が有ったね。部屋に案内して貰った、入って見て是またビックらこいた、何とこの部屋の扉だが、内鍵が5個も有った。僕は納得したね、此処は偉く危険な所なんだってさ。

僕は憧れのニューヨークで、まず最初に食べたかったのが、ビーフステーキ、それも「ニューヨークカット」って言う奴だ。こいつはバカでかいステーキで、しかも分厚いステーキなんだ。日本では映画でよく見ていたんで、‘ニューヨークに行ったら、こいつを食ってやるぞ’って思ってっきたのが、今実現する訳だよ。なんかワクワクしちゃったね。

レストランに入って行って、メニューを見ながらステーキを注文したんだ、それも‘400grのニューヨークカット’って威勢よく言ったよ。掛かりの若い兄ちゃんが‘お前さんには、でかすぎるから、もっと小さいのにしな’って注意してくれたが、僕は夢にまで見た此のステーキに固執した。ステーキが焼けるまでサラダやフレンチフライがドーンとテーブルに置かれたんだ、僕はアメリカの最初の晩で有る事に舞い上がっていて、ビールをがぶがぶ飲みながらフレンチフライに手を伸ばしていたら、僕の注文を取ってくれたアンちゃんが‘おい、フレンチフライに手を出すな’ってしきりと言ってくる、僕は‘何を言ってやがる’とばかりにこいつを食っていた。

やがて、湯気を上げながら焼きたてのステーキが出てきた、‘でっけー!’ってまず思ったな。ナイフとフォークを手にしてステーキにナイフを入れながら‘なんて分厚いんだろう’って思ったね。ビーフの臭いが鼻にまとわりついていた。普通だったらビーフの臭いをかいだ途端に‘食うぞ’って気持ちに成るよね、所が僕はこの臭いをかいだ途端にお腹が満腹になっちゃたんだ。一口食って、先ず肉が固いので‘何だこりゃ?’って感じだったね、それに味もあんまり美味くなかった。何度も肉を噛みながら最後にビールで流し込んだ途端にステーキへの興味がぶっ飛んじゃったんだ。第1の原因はフレンチフライを食い過ぎて、お腹が一杯だった事、お次は期待に反してステーキがまずかった事だ。僕は一切れ食って、後は手が出なかった、若い兄ちゃんが‘それ見た事か’って僕に眼で合図してきたよ。

憧れの「ニューヨークカット」は‘あんまりうまくね-な’ってのが僕の感想だったね。それから数日間に渡ってアメリカの東海岸から西海岸のロスまでビジネスで旅をしたが、とても気を使う旅でくたびれ果てて帰ってきたのが初めてのアメリカ旅行だった。

あの最初の出張以来、数えきれないほどの海外出張を繰り返してきて、何処にでも平気で行けるようになって、行く先で美味いと言われる物は何でも試してきたね。ステーキで言うなら、日本の和牛ステーキは誰が何と言っても芸術品の如くに美味い、ただし高いのが玉にきずだね。僕はニューヨークカットの失敗以来あまりステーキには興味が無くなった、特にニューヨークカットはあれ以来一度も手を出した事が無いよ。今じゃステーキを注文しても精々150gr程度の物だね。

随分昔の事だが、中華料理のメニューを見ながら豚、鳥、エビと夫々いつもの如くに選んでいたんだ、そこに中華風ステーキと言うのが眼に入った。中華料理でも‘ビーフステーキを食わせるんだな’って思ったよ。中華料理には、牛肉を使った料理は沢山あるが、メニューでは「中華風ビーフステーキ」と成っていた。僕は注文の1品にこいつを入れたんだ、注文した料理が次々と運ばれてきた、その中に成程ステーキと呼べそうな料理が出てきた。片栗粉でとろみを付けたもので、一般のビーフステーキとはかなり異なるもんだよね。早速一切れを皿に取って食おうとしたが、ナイフが無いんだ。ステーキを箸で突っついてみると、こいつがかなり柔らかい、それで箸でそのママ肉を口先に持って行ったら、簡単に食いちぎれるほど柔らかい、しかも弾力が有るんだよね。いわゆるビーフステーキとは全く違った食感だ。

先ず気に入ったのが柔らかい事だった。味付けはウースターソース、トマトケチャップの他に幾つかの材料が使われている事が分ったよ。牛肉は和牛でもない限り、柔らかいって感触は先ず望めない、所がこいつは凄くやわらかい、しかも和牛とは全く異なる柔らかさなんだ、言って見ると弾力と滑らかさが感じられる一品だった。僕は牛肉のどの部位を使ったか聞いたんだ、すると‘テンダーロインだ’って教えてくれた、成程柔らかい訳だと思いながらその夜は高級な中華を堪能して帰って来た。

僕は、こう言った物を口にすると、作って見たくなる、そこで数日して中華風ステーキに挑戦したが、店の味、食感とは到底比較にならない、しまりの無い味だし食感だったね。僕は探究心が強くてさ、そこで本屋に出かけて中華料理の本を色々と物色していた、そこに、目に飛び込んできたのが‘秘密の中国料理’(楊萬里著)と言う本だ。そいつをペラペラとめくって行ったら、中国式ビフテキと言うのが有った。楊先生の本では、是は高級な一品に成っていた。こいつは良いと本を買い込んで、家に帰ってきて、さて柔らかくする秘密はと見たら、ベーキングパウダーを溶いた水に数時間つけると柔らかくなると書いてあった。この本を買ったのは1981年だよ、も30年以上も前の話しだ。

僕は早速試してみた、すると見事にあの柔らかさと弾力が出たんだ。楊先生は‘肉を焦がさないようにしなさい’と書かれている。ステーキは一般に言うなら、強火で表面に焦げ目をつけて、後はレア、ミディアムレア、ミディアム、或いはウェルダンと成るが、中国式では、ウェルダンオンリーとする事も十分わかったね。

料理というのは正に秘密が有るんだよね。それ以来、僕は、固い牛肉には此のベーキングパウダーを頻繁に利用するようになった。厚切りの安いステーキをベーキングパウダーを水に溶いた物に漬けこんでも、簡単には柔らかくならないが、こいつをミートパンチャーでぶったたいて、ベーキングパウダーを此の上に振りかけて、良く揉み込み、3時間ほど冷蔵庫に寝かせておくとビックリするほど柔らかくなる。歯が立たなかった肉でも結構ビーフステーキとして食えるよ、でもこいつをレアで食うのはまず無理だね、精々ミディアムってところだ。ただし中国式ビフテキにしたいなら、あくまでもテンダーロインを使う事だね、失敗が無いよ。

僕はフィリピンで客を招待して、‘すき焼き’をする事が有るが、フィリピンで、すき焼きが出来るような上質の牛肉に有りつける事は、先ずないと覚悟しなければならない、でもベーキングパウダーにじっくり付け込んだ物なら肉の柔らかさは保証するね、ただし肉の赤身が黒ずんでくるんだ、だから買ったばかりの薄切りの赤身と比較すると見劣りがするのは避けられない。でもこの肉だけを大皿に盛って出したら誰も何とも言わずに凄く美味しいと感激しながら食べてくれるよ。

僕はスーパーでテンダーロインを買ってきて、すき焼きに良い厚さに切って、ベーキングパウダーを振りかけて良く揉みこんで、そのまま冷蔵庫に入れて数時間寝かせるんだ。客が来たら綺麗に盛り付けて、野菜、豆腐、糸こんにゃく、しいたけ等々を別皿に盛り付けて出せば準備完了だよ。牛肉で文句が出る事は絶対にないよ。フィリピンのローカルの牛肉でもテンダーロインなら大丈夫、少し気を使うなら、筋を取っておくことだね、お客さんは凄い豪華なすき焼きを頂いたと感激して帰る事は間違いないね。

僕の食べ物の話もそろそろ品切れになったな、また何か面白そうな話を探してブログを続けるようにするよ。


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