今回の地震、東京にいた私でも、揺れている時には、『死ぬかもしれない』と思いました。

それぐらい大きな地震でした。

震源地を確認すると、三陸沖、東北地方。

『東京でこの揺れ、この震度なら震源地に近いところはかなりの人が亡くなっている。』

私を含め、阪神大震災経験者の人は皆、すぐにそう思ったと思います。


阪神大震災の時、私は20歳。成人式の2日後だったこともあり、今でもよく覚えています。

揺れが激しすぎて、発生時に寝ていた私は、起き上がることもできないまま、ただただテレビや本棚の下敷きになっていました。

できたのは叫ぶことだけでした。

幸い大きな怪我はありませんでしたが、周りの家では何人か亡くなりました。

同じことが起こっていることは、容易に想像できました。


今の時代、TwitterやFacebookがあり、スマホにwifiがあり、携帯電話がつながらなくても情報を取る手段、提供できる手段がたくさんあります。

そして実際、大活躍しています。

ネット上での寄付や、モノを送ることに対して、CGMで議論が始まっていますが、これは素晴らしいこと。


『ネット業界にいる人は、ネットを使いこなせていない人も巻き込んで、被災地を支援するためのアクションをもっとしよう!』


現地ボランティアに行くことはできなさそうですが、ネットサービスを通じての支援活動には積極的に参加していきたいと思います。かお

GWを利用して岩手県平泉に旅行に行ってきました。


本日は晴天なり。


ここで有名なのは、やはり中尊寺金色堂。

このお寺は、藤原氏の初代藤原清衡が建てたお寺です。

訪れてみて解説文を読み込むと、小中学校の時には無機質に丸覚えをしていた、歴史上ので出来事が、生気のあるもの、現実のものとして、この時を生きていた清衡の想いが勝手に伝わってくるような気がして、非常に感慨深いひと時となりました。


清衡は、前九年の役、後三年の役をを通して数奇な人生を歩みます。

父親を殺した清原氏に母と共に育てられ、また、親族・兄弟間での争い等に巻き込まれ、勝ち残りはしたものの、何かぽっかり心に穴が開いたようなそんな感情を持ち続けていたように思われます。

そんな穴を埋めるために、争いで亡くなった人を弔い、未来永劫このような不幸な時代が来ないように、心安まる極楽浄土の世の中が来るようにという深い思いを込めて建立する姿が、当時の光景が生々しく思い浮かびました。

金色堂の輝きは、そんな清衡の尊い思いの表れであるからこそ、今日まで現存し、今もファンを引き寄せるのでしょう。


その他、高館(源義経の終焉の地)、毛越寺(二代基衡が建立)等の名所も見てきましたが、本当、

『夏草や兵どもが夢の跡』

と詠った松尾芭蕉の句が今日まで語り継がれるのがよく分かる、そんな旅行になりました。


時代を懸命に生き抜いて来た、これらの人々のパワーをもらって、GW明けからまた頑張りたいと思います。

連休中、この『最短距離』について考える時間、本を読む時間をとることができました。



ここでいう『最短距離』というのは、仕事、プライベートも含め、目指す成果に対しての、最短距離でのアクションがとれているかということ。



頭では分かっていながら、アクションに反映できていない、私にとっては今、一番重要なテーマであります。




今まではどこか、


『アクションに無駄なものはない。一見無意味に見えるアクションでも、将来、必ず成果として帰ってくる!』


という変なプラス思考が勝っていました。シラー



バランスが重要ではありますが、一旦、この発想は封印して、明日から最短距離を目指して行きたいと思います。



・MISSION毎に時間の割り振りを決める

・時間を細切れに使わない

・『捨てる』を強く意識する

・振り返りを習慣化し、改善させ続ける



最短距離実現のためのポイントは上記4つ。


まず、これらを強く意識し、常に『最短距離か?』を自問自答し続けます。メモ