四国遍路徒然 ときどき神社と御朱印も
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どうなるどうしよ歩き通し遍路

四国八十八ヶ所遍路の通し打ちをどうやって実行しようか。七月から悩みっぱなしです笑 体調は一向に優れずにも関わらず未だに病院にも行かないんですからそこは自業自得ですね。


まだまだ若い内に入るとはいえ何となく自分で死期みたいのが見えるって言うんですかね。今病院に行ったらゴールを言い渡されるんじゃないかなという気持ちはあります。


じゃあもしそうなったら、そうじゃなかったらとしても歩ける内に動ける内に今度は八十八ヶ所を自分の足で歩いてみたい気持ちは日に日に強くなるばかりです。


2021年に何度も何度も歩き、鉄道、バスを使い区切ってようやく八十八ヶ所を結願しましたがそこから生きている内に次は歩いてお遍路をするんだと思ってきました。日々元気だしまあその内なんて思ってのんびり過ごしてきましたが急激な体調不良にいよいよのんびりしてもいられないと。。


体調不良に騙し騙し過ごしてきましたがいよいよお盆明けに病院に行きます。間違いなく精密検査になるのはもう分かっています。そこでどういう結果になるにしてもやっぱり今出来る事をやらないとって思ってます。後悔して死ぬのはゴメンだぜ!

歩き通し遍路



死ぬ前にどうしてもやっておきたい事。それは四国八十八ヶ所巡り お遍路の通し打ちである。2021年に歩きと公共交通機関を使ってのお遍路で結願はしたもののずっと心に引っ掛かるものがありました。


今、現在も二週目のお遍路として前回歩けなかった区間を歩く落ち穂拾い的に行っていますがどうにもスッキリしないんですよね。やっぱりやるからには一番から歩きで通し打ちがしたいと。死ぬのが先か歩いての結願が先かってのは今の時代は決して大袈裟な話じゃないと思うんですよね。


それにわたし自身が体調が今ひとつってのもあります。まだまだ若い内に入るとはいえホント何があるか分からないじゃないですか。後悔して死ぬよりかは行動に移して死んだ方がよっぽどマシとは簡単に言う事は出来ますがね。


単純に歩き通し打ちで40日から50日ぐらいですか。費用は50万ぐらいですか。今やらないとマズイ気がひしひしとしてしている。決断の時が来ていると思います。


生きていたこのアカウント!

超超久しぶりにアメブロにアクセスしてみた。もう垢バンされていたとばかり思っていた。今から四年も前に四国八十八ヶ所、四国遍路の備忘録を書き始めたもののものの見事に挫折w  ホントに恥ずかしい限りです。


結局、四国八十八ヶ所遍路はその後も続けて二年前の三月に結願しています。最後の八十八番大窪寺では涙涙のお参りでした。


で、なんで今さらアメブロにアクセスしたかと言うとまた出来れば四国八十八ヶ所お遍路に行こうかなと思ったからです。そうは言っても順番に打っていくのはちょっと辛いのでもう一回行きたい所を数日回るスタイルにしようかと思っています。あとは別格霊場とかね。


今、自分のTwitterでは日頃から御朱印等をアップしていますが備忘録となるとTwitterではもちろん不可能なのでやっぱりブログになっちゃう訳です。


コロナもまだまだな感じですが流石に今年はお遍路さんも相当戻るだろうし初めて挑戦したいと思っている方もいるでしょう。お遍路に興味がある方もたくさんいるでしょう。そんな方達とまた交流したいなんて思ってもいてアメブロに戻ってきました。


何だかよく分からない文章になってしまってすいませんw 





令和二年七月十九日 四国遍路 浄土寺〜繁多寺

西林寺からタクシーで浄土寺までピューっと来てしまったがここから石手寺までは歩き遍路となる。四国はまだ梅雨明けしていなかったが雨の予報はなく一安心だ。もちろん夏なので朝から暑い。早朝だが境内には既に地元の方々の姿が見える。ご挨拶しながら私も中に入る。

 
立派な仁王像の姿に圧倒される。カッコいいです。
境内に入るが七時前なので鐘は鳴らせない。札所では鐘を鳴らすのを楽しみにしているがこれは仕方ない。鐘の音を聴くと何とも言えない清々しい気持ちになる。

地元の人がのんびりとベンチで寛いでいる中、早速本堂でこの遍路最初のお参りと読経を行う。世の中が大変な状況ですがまた四国に戻って来る事が出来ました 今回のお遍路もお大師様どうぞよろしくお願いいたしますと感謝の気持ちを持って般若心経を唱える。続けてすぐ隣の大師堂にもお参りさせていただく。

納経所が開く七時にはまだ時間があるのでのんびりと境内を散策することにする。一人二人と地元の方がお参りに来る。七時になったので納経所に向かうとありゃまだ開いてない。五分ぐらい待っても人の気配が無いのでちょっと心配になる。そうこうしていると納経帳だけを手に持った男の人もやってきた。その人は迷うことなくインターホンをピンポーンと笑 慌てて中からお寺の方が出てきた。なんだインターホンで呼んでよかったんだ。。私も無事に納経を済ませ次の繁多寺へと向かう。

次の五十番札所繁多寺までは二キロも無い。軽いウォーミングアップだ。先程見た男の人は名古屋ナンバーの車に乗っていてあっという間に抜いていった。私の方もスイスイと歩いていくが道中の景色は何とも退屈だ。松山市郊外ということで普通の街並みを歩いていく。実は今回のお遍路では山間部を歩く事は少なくいたって普通な景色を歩いていく事が多くなる事をこの時はまだ知らなかった。十五分も歩けばもう繁多寺に到着である。

一休.com

令和二年 七月十九日 四国遍路〜一年振りの四国


前日に松山駅前に宿を取り明けて七月十九日 早朝六時駅前からタクシーで去年区切り打ちをした四八番西林寺へと向かう。タクシーの運転手さんが話好きな方だったので話題は直ぐにコロナになる。運転手さんによるとお遍路を乗せたのは三カ月振りだと言う。緊急事態宣言の前に乗せた後は誰も乗らなかったのだ。と言うよりそもそもお遍路自体の姿を見なかったと運転手さんは言う。GWの時も寺自体が閉山していたり納経所が閉鎖していたし外国からの入国も禁止になっているので外国人遍路も居ない。お遍路以外にも観光客も来ないのでとにかく公共交通機関、宿泊施設、飲食と大変厳しい経済状態だと訴える。今回の夏遍路では少しでも四国にお金を落とす事も目的にしている。

松山駅前から二十分も走れば懐かしい西林寺に到着だ。一年前と何も変わらない景色にホッとする。タクシーを待たせて本堂と大師堂にご挨拶する。今回は何処まで打てるか分からないが道中の無事を祈っておく。


西林寺の次は四十九番 浄土寺だがここまでタクシーを利用してしまう。本当は西林寺から歩くつもりだったが体力温存の言い訳をして車利用とする。西林寺からは二キロ程なのであっという間に到着する。松山駅前から浄土寺まで三十分近く乗ったが運賃は四千円もしなかった。安くて申し訳ない気持ちになる。売上に少しでもなればいいんだが。。運転手さんからの激励の言葉を背に受け浄土寺に降り立つ。コロナ禍という特別な環境の中いよいよ本格的に夏遍路がスタートする。

令和二年 四国遍路〜松山に向けて出発

令和二年 七月十八日の夕方 羽田空港の出発ロビーに足を踏み入れた瞬間、私は唖然としてしまった。緊急事態宣言が解除され少しずつ空港利用も増えてきていると聞いていたが目の前に広がる光景はほとんど人のいない地方空港を思わせる羽田空港だった。出発待ちの乗客より空港職員の方が多いのではないか。。バックパックに金剛杖を持つ私は明らかに浮いている。これはもしかしたら四国に行くのはまだ時期尚早だったのではないか?今からキャンセルするべきなのではないか?と疑心暗鬼にさせるには充分過ぎる光景だった。

とにかくグラつく気持ちを抑えて出発手続きをしてしまおう。そうすれば落ち着くだろうと足早にチェックインをし荷物を預ける。人は全く居ない訳だからあっという間に手続きも終わる。松山行きのフライトまでまだ一時間以上あるので食事でもするかとエスカレーターで中二階のレストラン街に上がるとまたそこも悲惨な光景が広がっていた。店は開いているものの客がほとんど居ない。そりゃそうだ。余りのガラガラさに入店するのも躊躇う。レストラン街を二往復して牛タンを食べさせてくれる店に意を決して入る。店員の元気な挨拶が逆に悲しくなる。

牛タン定食とハイボールを頼む。テーブルに置いてある観戦予防済みの札が虚しい。食事が出る前にハイボールを飲み干してしまったのでもう一杯頼む。飲みながら果たして今日は何人目の客だったのか?この後客は何人来るのか?そんな事ばかり考えてしまうので全く酔わない。こうなったら少しでもお金を落とそうと更にもう一杯ハイボールを注文する。私が食事をしている間、他の客は来なかった。。会計は五千円近かった。焼け石に水かも知れないが少しでも売上になればと思い店を出た。

松山行きの出発ロビーに着くと三十人ぐらいだろうか 乗客が待っている。土曜日の夕方だ。本来なら沢山の人でごった返している筈だがこの有様だ。松山行きの優先搭乗のアナウンスが流れても立ち上がる人はなく程なくして一般搭乗も始まるがガラガラなので皆慌てるでもなくゆっくり移動を始め私も後に続く。人数が人数なだけに直ぐに機内は落ち着き出発を待つだけになった。定刻通りに松山空港行きは羽田空港を飛び立った。


令和二年七月は四国お遍路に行っていました

もう二カ月近く前になりますが七月の中旬に一年振りの四国遍路に行きました。コロナコロナと世界中が大変の中、日本も緊急事態宣言が解除されたとはいえ果たしてそんな中四国遍路に行くべきかどうかはギリギリまで悩みましたが思い切って決行しました。激動の2020年に四国お遍路をやった記録は残しておいた方がよいだろうと勝手に考え過去の記録も完結していませんがひとまず書いていく事にします。。

令和元年7/15 四国遍路~延光寺に向けて2

さあ今回のお遍路出発まであと二日。梅雨明けすると思っていましたがどうやら去年と逆で全く晴れ間は期待出来なさそう。こういうものですよ人生は(笑)

さて延光寺に急ぎます。中村駅からは土佐くろしお鉄道で最寄りの平田まで向かいます。中村で温かいお接待をして下さったご婦人も乗っています。


出発してすぐに雄大な四万十川を渡ります。もっと上流部も見てみたい。


中村から平田まではあっという間に到着。お接待をいただいたご婦人にご挨拶して下車。長閑な風景におよそ似つかわしくない高架線を見上げます。中村から宿毛までは全線高架です。手持ちの遍路地図はとっても近くに寺が見えたがいやいや三キロ近くはあります。


長閑な景色を眺めながらのんびり歩きます。40分程で高知県最後の札所 三十九番延光寺に着きました。


鐘を一突き。広々とした境内です。地元の方もお参りに来てました。


本堂と大師堂でゆっくり読経をします。高知県もこれで終了。 ここからはまた駅まで戻り土佐くろしお鉄道とバスを乗り継ぎ四十番札所 観自在寺を目指します。

令和元年7/15 四国遍路~延光寺に向けて

足摺岬にある金剛福寺からはいよいよ高知県最後の札所 三十九番 延光寺に向かう。私の場合はバスで足摺岬往復をしたので楽だったがここを歩いて行くのは気が遠くなる苦行ではないだろうか。でも次のお遍路の時は歩くつもりです。バスは行きと同じ道をひたすら走っていく。うとうとしながらのバスの車内だが土佐清水市に入るとハッとするような海と空の青さに目が覚める。


昨日も同じ海を見ているが夕方だったからか天気の関係なのか全く別な海に見える。とにかくきれいだった。


美しい海の景色が終わるとまたうとうと(笑) 二時間掛けて9時前に中村駅へと戻ってきた。ここからは土佐くろしお鉄道に乗り換えて平田駅に向かう。



宿毛行の発車までホームで写真を撮ったりぶらぶらしていると背後から「お遍路さーん」と声が掛かる。振り替えるとご婦人の姿が。「さっきお遍路さんの姿を見掛けたので」「これ中村の名物のちりめんじゃこ弁当です」とお弁当とお菓子のお接待をいただく。ありがたい。私からは収め札と「なむだいしへんじょうこんごう」と三回唱え合掌しお礼を申し上げる。お遍路中にこのようなお接待や温かい言葉を掛けて頂けると気合いが入って力が沸いてくるのです。



令和元年7/15 四国遍路~金剛福寺から中村へ

今年のお遍路は今週土曜日に前泊の為に松山に向かいますがお天気やらコロナやら色々心配ではあります。とにかく四国の方に迷惑を掛けないようにマスク、手洗い、消毒はしっかりやります。

さてこちらの備忘録はようやく金剛福寺に到着。。まだ六時半ながら境内には人の姿も見えます。




金剛福寺と言えばお大師様と亀でしょうか?その昔、お大師様が足摺岬で亀に乗って修行されたとか。。。



亀を撫でるとご利益があるらしいですよ。私は撫でるの忘れました(笑)




早速、本堂と大師堂でお参り。大師堂では地元の方がお掃除されていました。きっと毎日欠かさずお掃除されているんでしょうね。お参りが終わったら暫し美しいお庭を散策します。


7時前でしたが納経所の方がどうぞと声を掛けてくれました。一番に納経を受けこれにて金剛福寺は終了。またこれから中村まで二時間掛けて戻るのです。バス停は金剛福寺を出てすぐ横にあります。ちょっとだけ時間があるのですぐ側にあるこちらの方にもご挨拶。坂本龍馬かと思ったらジョン万次郎でした(笑) 


発車時刻ギリギリにやってきたバスはもちろんノンステップバス。。またこれを二時間乗るのかと思うと気が滅入る。やる事もないので寝ながら行きますか。。
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