残念でしたね..... | 同じ月をみてる

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44歳おやじの日記


はい!こんばんは(〃ω〃)

ボクシング

村田、男だね(T_T)

言い訳しないところが、男ですね。

俺も後から見てみたのですが、素人目に見てもうーん(+_+)負けたとは思えませんでした。

自分を評価するのは、ボクシングであれば審判であり、人生であれば他人が評価する。

それを理解してるというか、苦しみの中で立派だと思いました。村田頑張って欲しいな.....

生きてると同じようなことが、誰にでもありますね。

ボクシングの世界のことはなにもわかりませんが、チャンピオンがアウェイの日本にやってくるシステム、普通逆ですよね.....興行的な資本の話などなど、裏は興味深いですね。。

ミドル級の世界戦を実現させることがとても難しいとのことで、それを挑戦者の国でやるチャンピオンは勇気はあったと思う。ファイトマネーなど複雑なのでしょうね.....採点したの一応第三者、ちょっと違和感があるのは

村田が挑戦者なの?的な.....日本の雰囲気セコンドの雰囲気

挑戦者がダウンを奪い、セコンドが勝ってると意識して、倒しに行かずに優位に安全に勝ちを取りにいったように映ったのですが、その姿勢が審判とのギャップを生んだのか?

全くわからないのですが、倒しに行けたのに、行かなかったのか、行けなかったのか、ガードして手数が少なく、いやコンパクトにまとめたのが、冷静さが逆に積極性をかいてるのか、挑戦者とチャンピオンの姿勢の違いがあるのか、しかしダウンとってクリンヒットあてての、この結果でありえないとの見解ですね.....

相手の手数をとったとして、圧力をかけていたのは村田、チャンピオンのフットワークが元気さを出しているような気もしないでもないですが、ダウンとって負けるのか?

判定は第三者がする

要はどこを見るのか


私達の世界でも、どこを見て評価するのか

曖昧な採点基準のなかで生きている


明確な採点基準が欲しいが、曖昧がプラスに働いたりマイナスに働いたり、人に助けられたり、人に裏切られたり、それは運のように揺れ動くのが生きていることなのかも知れませんね。

評価するのは他人としかいえない。

それは様々であり、それぞれが審判でもあり、自分の評価と相手の評価と結果が伴わないことは、生きているとでてきます。

そんな風に村田の世界戦を見てぼんやりと見ながら考えました。

紙一重の、時に勝っていても想っていても、負けることがありますね。

認めてもらえないことも、評価してもらえないことも、それは相手が評価するものであり、ボクシングの場合は審判だった、会社であれば上司や社長だった、恋愛であれば女性だった相手だった。

受け入れるしかない、そして、後にくつがえすしかないのです。

なにが一番問題だったかと考えると、他団体のような、ラウンドごとのオープン採点システムじゃないことが、結果としてお互いにファンも含めて、わかりにくくなってしまったのかな.....

これはなんでもそうですが、途中経過の自分なりの採点と相手の採点と第三者の採点が、見えないこと

見えることが全てよいことでもないから迷い悩む

諸行無常の響きあり

切ないですね.....





さて、日曜日お店オープンしました。

本日も何卒宜しくお願い致します。


皆さん体に気をつけて

自分を大切にしてください