操りとは、
相手に何かさせたい時、
『 まるで、相手自身の気持ちが、自らそれをしたいと欲していると錯覚させるように 』
働きかけするやり方で、相手の意識を乗っ取りすることです。
頼み事があるとき
相手の意識の、
正面玄関のベルを鳴らして、相手の気持ちを確かめた上で、頼み事をするのではなく
いつの間にか、相手の気持ちの中に入り込むやり方といえます
相手の、眠ってる意識の隙間から、
あるいは無防備な裏口から、入り込むスキルです。
"騙し"や"洗脳"の要素があるともいえます。
◇◇◇
人になにか頼む時、操りの無い言葉づかいはこんな感じです。
■(ぼくは)○○して欲しいので、お願いします。
・前半部分は自分の気持ち
・後半部分は相手へのストレートな依頼
■(ぼくは)○○して欲しいですが、出来ますか?)
・前半部分は自分の気持ち
・後半部分は、相手の気持ちを問うて確認してます。
(日本語のお約束として見れば"頼みたい"も兼ねてます)
上の言葉はどちらも、自分の希望/気持ちを正直に表現してから、
相手への頼み事を、真っ直ぐに伝えています。
こんなふう伝えたら
頼まれた相手は、出来る場合は、気持ちよくしてくれるし
出来ない場合は、出来ない旨を丁寧に伝えてくれると思います
これらの表現には"操り"がありません(言葉遣いの上で)。
正直でストレートです。
◇◇◇
遠回しの表現を使って人に頼み事をしている時
そこに"操りのエネルギー"があることがとても多いです。
「○○してもらうことなんて絶対無理だよね?」
あくまで、" 無理であることを確認したい " という意図で、この言葉を言うなら、操りは無いといえますが、
たとえばとても困った表情や口調などと組み合わせて、頼み事を押しつけるようなエネルギーで、この言葉を使うなら、操ろうとしています
◇◇◇
困ってますという表情や口調で人に頼み事をする
これは、相手の中の ” 怖れ ” を利用した操りです
操っている人は、たいてい無自覚にやっています。
( わたし困ってるの~
もし、わたしの頼み事をきいてくれないのやったら、あなためっちゃ薄情やわ )
こんな感じの無言のメッセージが隠されているといえます
巧妙に自分の本音を隠した " 脅迫行為 " ともいえます
◇◇◇
” 私はいつも善い人と思われていなければならない ”
” 嫌われることが怖い ”
” 嫌われたら生きていけない ”
このような怖れに、とらわれている人は
困り顔で頼み事をされたら、操られるでしょう
◇◇◇
依存心があると、操りを受け入れてしまいます
依存していたい相手からの操りを、受け入れてしまいます
◇◇◇
では、
操りやコントロールのエネルギーを使う側の動機は何でしょうか?
操り/コントロールは
ありのままの結果を受け取ることを拒む態度から出たものです
’’ どんな結果も受け入れよう ’’
これの反対
’’ 気に入る結果だけしか受け入れたくない ’’
ここから来ています
自分の世界に起こる、どんな結果も受け入れる在り方
これが、本当の意味で、あらゆる苦悩からの解放される在り方、悟りの態度ですが、
多くの人は、どんな結果も受け入れるなんて、
そんな辛いことは嫌や、という思い込みがあります
自分にとって都合がよく、好ましい結果だけを受け入れたい
●望まない結果を受け入れたくないという拒絶の気持ち
●ありのままの結果の受け入れに対して怖れがあります
これらの気持ちは、自覚されていません
この自覚されていない、怖れの気持ち、拒絶の気持ちが、結果を思い通りに操ろうとする行動へ駆り立てているのです。
無自覚にそれをやっています。
逆説的ですが、
操り/コントロールをエネルギーを使う在り方には、苦悩がつきまといます
操り/コントロールをする意図は
望まない結果を受け入れる苦悩を避けようとしているわけですが、
その意図に反して
操ろうとすればするほど、苦悩を増していくのです
それはどんな苦悩かというと
” 絶対に受け入れたくない結果がある ”
これになります
◇◇◇
” コントロール ” と ” 依存 ”
これはひとつのものといえます
コントロールする側は
思い通りにしたいその相手に依存しています
依存する側は、依存し続けることのできる思い通りの相手であってもらえるように
依存する相手を、コントロールしようとしています
◇◇◇
◇◇◇
操る人も無自覚
操られる人も、無自覚です
操ろうとしていることに気がついた人は
操ることへの違和感を感じ始めた人は
操りから離れていきます
操られていたことに気がついた人は
その違和感や、辛さ、悔しさなどの感情を解放して
操りを受け入れるという依存/コントロール
から離れる決意をしていきます