壱の段 拾参 『奪われた夢』 | 仮面ライダー響鬼・異伝=明日への夢=

壱の段 拾参 『奪われた夢』

 山中にこの世ならぬ咆哮と狂笑が響き渡る。
 まるで木々や大気すら、怯え、恐怖に震えているかのように。

 それは、威吹鬼達『鬼』が放つ「響き」とは真逆のものだ。
 恐怖で魂を揺さぶる、忌わしくも圧倒的な「響き」

──それは冒涜だった。
 余りの忌わしさに冷静で温厚な威吹鬼さえ、心を怒りで揺るがすほどの穢れた「音」

「ひゃはははははははははぁあ!!」

 更に禍々しさを増したツチグモの上で『鬼(モノ)』が嘲(わら)う。

「堪(たま)らん、堪らんぜ! この『力』はよぉ!!」

 闇鬼は自らの身体から湧き上がる『力』に酔いしれるように身体を震わせ、両手を天にかざす。
──まるで天を挑発するかのように。

──全く。
 これであの「奴ら」に借りでも無けりゃ最高なんだが。

「──さて」

 闇鬼は身体からあふれ出す『力』を充分堪能すると、ゆっくりと威吹鬼と恐怖に目を見開いている香須実を見下した。

「お楽しみの時間だぜ? 威吹鬼坊ちゃん。
 征(い)け 『鬼蜘蛛』ォ!!」

 闇鬼の叫びと共に『鬼蜘蛛』が咆哮を上げて威吹鬼に襲い掛かる。
 その顔面は虎にも似たものに変貌を果たし、巨大な顎(あぎと)をかっと開いて威吹鬼に喰らいついた。
 激しい轟音と共に土砂が巻き上がり、大地を揺らす。

 だが──

「何?!」

 手ごたえが無い事を感じた闇鬼が思わず頭上を仰ぐと、そこには香須実を抱いて高々と舞い上がった威吹鬼の姿があった。
 しかもすでに烈風の銃口は闇鬼に向けられている。

「──消えろ」

 威吹鬼の静かな怒りと共に烈風の銃口が火を吹き、風を纏った銃弾が雨と闇鬼に降り注ぐ。
 だが──

「甘ェ!!」

 闇鬼は両手の武器を激しく正面で打ち鳴らした。すると大気が水面のように揺れて「音」の結界が現れる。 その結界は、威吹鬼の放った銃弾をことごとく弾き返した。

「嘘っ?!」

「莫迦なっ!」

 それはかつて、『鬼』達を苦しめた「ヨブコ」の技だった。
『鬼』達が攻撃の際放つ波動を上回る波動の結界で、一切の攻撃を中和する技だ。

 そしてそこに隙が生まれる。

「捕まえろ!」

 鬼蜘蛛はその前足を未だ宙に居る威吹鬼に向かって突き出した。
 その前足の先端には、いつの間にか鉤爪の様な手が生えている。
 威吹鬼は落下しながらも更に連射するが、硬い剛皮に覆われたその「手」は易々と弾丸を弾いてついに威吹鬼達の身体を捉えた。
 骨をも砕くかのような巨大な圧力が、威吹鬼と香須実の全身を襲う。

「があっ!」

「ああっ!」

 ギシリ ギシリ 
 威吹鬼達の肉と骨がきしみ、身体が悲鳴をあげていく。
 最早、圧力と激痛で声を上げることも呼吸すら儘(まま)ならない。

 ──殺される。
 冗談じゃない。

『鬼』である自分はまだしも、生身の人間である香須実の体が持つはずも無い。
 香須実は──香須実だけは死なせるわけにはいかない!

 威吹鬼はわが身を捉える「死」にあらん限りの闘志で抗い、香須実への負担を軽くしようと足掻いた。

 だが、そんな威吹鬼の様子は闇鬼の嗜虐心を刺激しただけだ。

「そのまま握りつぶせェ!」

 闇鬼は勝利と確信して喜悦に満ちた嘲笑を上げた。
 そうだ、この『力』に抗えるものなど存在しない──っ!

 ──その時

「だっっせいいい!!」

 突如、やたら気合の入った雄叫びと同時に闇鬼の身体が吹っ飛んだ。

「ぶげらっ?!」

 背後から途方も無い衝撃を受けて、間抜けな格好で闇鬼の身体が宙を駆けていく。
 そしてその闇鬼の眼前に山肌が見る間に接近し──土砂を撒き散らしながら、その身体はものの見事にめり込んだ。

「と、轟鬼さん?!」

「威吹鬼さん、今助けるッス!」

 闇鬼を蹴り飛ばした轟鬼は鬼蜘蛛の身体から跳躍し、烈雷で威吹鬼達を握りつぶさんとする鬼蜘蛛の「腕」を切り飛ばした。
 鬼蜘蛛の魔の手から逃れて着地した威吹鬼の元に、轟鬼が駆け寄って深々と頭を下げる。

「スンマセンっ! これ探してたら、援護が遅れてしまって……」

 そう言って、轟鬼は手に持った烈雷を威吹鬼に見せた。
 どうやら威吹鬼が現れた時、轟鬼は好機とばかり手元から離れた烈雷を探していたようだ。
 ──もっとも見つけたのはあきらだったのだが。
 随分離れた木に突き刺さっていたため、回収するのにえらく手間取ったらしい。
 轟鬼は軽々と扱っているが、烈雷は優に3~40kgはある代物である。そんな代物が大木を貫通して深々と刺さっていたのだ。
 これには流石の轟鬼も難儀したようで、散々力任せに引っぱってようやく取り戻したと言う次第だ。
 
 そしてようやく戦列に復帰したら、ツチグモが更に禍々しく変化し、更にはその上で見知らぬ鬼が馬鹿笑いしているではないか。

「で、なんなんスか? あいつ。
 なんか悪そうなヤツだったんで、とりあえずぶっ飛ばしましたけど」

 そう言って、轟鬼は愉快な格好で山肌にめり込んでいる闇鬼を指さした。


 悪そうだから

 とりあえず ぶっ飛ばした。


 威吹鬼が軽く目眩(めまい)を起こしたのは、鬼蜘蛛の攻撃の後遺症だけではあるまい。

「あ? まさかオレ、とんでもない事しちゃいましたかっ?!」

「あ、いえ。 ……慧眼です」

 威吹鬼の様子を見て慌てる轟鬼に、とりあえずそう答えておいた。 他に言いようが無いし、事実だから良しとしておくことにする。


──それよりも


「おとーちゃんっ! 後ろ後ろっ!!」

「へ?」

 日菜佳の声に轟鬼が振り向くと、そこには腕を斬られて暴れまわっていた鬼蜘蛛が、轟鬼に向かって喰らいつかんと大顎を開いて突進してくるのが見えた。

 その顎が轟鬼を捉える。

「おとーちゃん!」

「轟鬼さんっ!」

 だが──

 ガ、ガァアアア──

「ぬぅおりやああっ!」

 轟鬼は烈雷をつっかえ棒の要領で鬼蜘蛛の顎を封じていた。
 眼前には、鬼蜘蛛の口腔がてらてらと滑(ぬめ)りを帯びて輝いている。
 
「威吹鬼さんは香須実さんを!」

 踏ん張る轟鬼に威吹鬼はうなずき返すと、気を失った香須実を抱きかかえて明日夢達の方へ走り去った。



 何があった、ド畜生。

 無様に突っ伏した闇鬼はふらふらと立ち上がった。 パラパラと身体から泥や枯葉が落ちる。 脳震盪を起こしてしまったのか、半ば夢現(ゆめうつつ)のようだ。
 そして振り向くと、鬼蜘蛛の攻撃を烈雷で凌いでいる『鬼』の姿があった。

(あいつは──)

 闇鬼はその鬼が持つ烈雷を見て、ある『鬼』の事を思い出していた。 かつての同門で、烈雷の継承争いをした一人の男を。

 烈雷は『弦』の『鬼』の中でも特に優れた者に継承され続けてきた名器だ。
 烈雷を継承するということは、『弦』の『鬼』の誉れでもある。
 それは闇鬼とて例外ではなかった。

 だが、よりにもよって烈雷を受け継いだのは同年代 ──しかも暗鬼より実力は劣るとされていた男だった。
 
 忘れもしない、その男の名を。

「……斬鬼ぃいい」

 記憶が妄執となって浮かび上がる。  闇鬼は武器を構え、轟鬼の背ににじり寄った。

 殺してやる

──屈辱が蘇る

 殺してやる

──挫折が殺意となったあの日のことを。

「殺してやるぁああ!!」

 闇鬼が武器を振りかぶったその時だった。

(いつまで遊んでいる、闇鬼)

 闇鬼の脳に、直接声が響く。
 重く、圧倒的な、質量さえ備えた声が。

(こちらの用は済んだ。 お前も充分役目を果たしたことだ。 ──もう引け)

 あの男だ。
 蘇った闇鬼の前に居た、あの男に良く似た面差しの男。

 その声で闇鬼の意識は回復した。
 今では斬鬼の姿に被っていたその鬼の姿を、はっきりと認知していた。

 確か、轟鬼と言ったか? 
 なるほど、今の継承者はこの鬼というわけか。

 ならばなおのこと──

「──冗談じゃねぇ。 目の前に烈雷があるってのに、みすみすっ…!」

(機会を待て)

「……ちっ」

 闇鬼はその場から跳躍して、鬼蜘蛛の背に乗った。


「!?」

 轟鬼は頭上を飛ぶ、黒い影を見た。
 その影は鬼蜘蛛の上に降り立つとユラリと立ち上がり、物憂げ手を振った。

「……よぉ。 はじめまして、になるかぁ?
 烈雷の継承者」

「……お前っ?!」

 ぶちのめしたはずの怪しい鬼が、何事もなかったかのように轟鬼を見下ろしている。
 その自分に良く似たその『鬼』は、呪詛を吐くように叫んだ。

「今回は引いてやるが、……いいか、覚えとけ。
 烈雷は俺がいただく。 手前ェの様な野郎に……っ
 それまで預けておくぞ!」

「何?!」

 轟鬼は一瞬動揺したその隙を狙うかのように、鬼蜘蛛からどす黒い瘴気が噴出す。
 禍々しいその瘴気は轟鬼の眼前を漆黒に染め、鬼蜘蛛と闇鬼の姿を覆い隠していった。
 その漆黒が突然爆ぜる。

「がはぁああっ?!」

「轟鬼さん!」

 威吹鬼の眼前で轟鬼が瘴気に吹き飛ばされ、大木に叩き付けられた。そしてその瘴気が晴れた跡には、いかなる技か、闇鬼の姿が忽然と消え去っていた。

 威吹鬼は吹き飛ばされた轟鬼に駆け寄ろうとしたが、傍らに香須実と明日夢達が居る事を思い出す。

 一瞬の躊躇。 だが轟鬼のタフさは良く知っている。 あれしきの衝撃でどうこうできる人ではない。
 そう決断した威吹鬼は、まず3人を安全な場所に移動させようと振り向いた。

 そして振り向いた途端、威吹鬼の動きが驚愕で硬直した。

 いつの間に居たのか、明日夢達との間に一人の『鬼』が佇んでいた。

 鉄色の胸甲に弦をあしらった装甲。
 そして木漏れ日に照らし出されたその顔は──

「ざ、ザンキ……さん?!」

 威吹鬼が呆然としていたのは僅かな時間だったかもしれない。
 だから、自分の脇腹に熱い痛みが走っていることに気がついたのは、その拳が自分の腹から引き抜かれた時だった。

「え……?」

 その拳から突き出た鬼爪から、赤い血が滴り落ちている。
 威吹鬼の身体が力を失い、膝が折れて大地に跪(ひざまず)いた。
 その拳の先。 そこにはいつの間に居たのか、一人の女性タイプの鬼が傲然と立っていた。

「──急所は外してあります」

「き、君……はっ」

 その名を口にしようとするが、鬼爪で引き裂かれた筋肉と内臓が悲鳴をあげる。
 だが、呼びかけられたその鬼は、威吹鬼を一瞥したきりで、何も言わなかった。

「……行くぞ、殺鬼(サツキ)」

 そう言って、その鬼 ──ザンキと同じ顔の男は明日夢を軽々と肩に乗せた。
 そして殺鬼と呼ばれた鬼も、楽々とひとみを肩に担ぎ、悠然と立ち去っていく。

「ま……待って下さい、ザンキさん!」

 威吹鬼の懇願にも似たその言葉に、男が──ジャキが僅かに振り向く。
 ……ただ、それだけだった。


 二人を連れ去ったジャキ達の姿が一陣の風に包まれ、──そして、消えた。

 後には、香須実を抱えて叫ぶ威吹鬼だけが残された。