壱の段 拾壱 『雨降る夜』 | 仮面ライダー響鬼・異伝=明日への夢=

壱の段 拾壱 『雨降る夜』

 兄が死んだ──


 それは、威吹鬼──「伊織」がまだ中学生になるかならぬかという頃だった。

 猛士の本山であり『鬼』達の総大将──
「宗家」の三男として生まれた伊織には二人の兄が居た。

 長兄は宗家の後継者として厳しく育てられ、歳の離れた伊織にとっては怖い存在だった。
 だが、次兄──先代の『威吹鬼』は三男の伊織に優しく、伊織もよく懐いていた。

 次兄は誰よりも優しかった。
 生真面目で実直で強く、でも心優しく柔和な笑顔を絶やさない、誰からも愛される人。
 ──そんな人『だった』

 だが、任務の中。 魔化魍『ウブメ』討伐の最中に、相打ちとなって還らぬ人となってしまった。

 兄は強い人だった。
 でも──優しかった
 そう──優しすぎた。

 威吹鬼は次兄の事を思い出す度に、あの夜のことを思い出す。

 それは、兄が亡くなる一月前の土砂降りの日。 ずぶ濡れになって『任務』から帰ってきた兄の表情からは笑顔が消えていた。
 いや、笑顔が消えたのは、その『任務』を父より授けられた時からだったように思う。

 ある日のこと、次兄『威吹鬼』は父から呼び出しを受けた。 ちょうどその時、伊織は両親を亡くして和泉家に引き取られたあきらと一緒に、次兄の武勇談を目を輝かせて聞いていたところだった。 それを長兄が遮って、次兄を父の元に呼びつけたのだ。

 そして──父の元から帰ってきた次兄の顔から笑顔が消えていた。 それどころか青ざめ、肩を震わせてすらしていた。
 まるで、何かに追い詰められたかのように。

 そんな次兄が怖くて、伊織は「どうしたの?」と聞くことが躊躇われた。 あきらもまた、そんな次兄の様子に怯え、伊織の後ろに隠れて震えていた。

 そして翌朝──次兄『威吹鬼』は二人の前から姿を消した。

 ただならぬ次兄の様子に、伊織は両親と長兄に問い詰めた。 魔化魍を退治に行くのとは、明らかに様子が違うことに気付いていたからだ。

 だが父も兄も「宗家の義務を果たす為だ」と怖い顔で繰り返すばかり。
 伊織とあきらは心配になって、優しい次兄の帰りをいつまでも待っていった。

 一週間が過ぎても次兄は帰ってこなかった。

 二週間。伊織とあきらは日が暮れるまで門の前で待ち続けた。

 三週間。伊織は眠れずに未だ帰還せぬ次兄を想った。

 そして──四週間が過ぎた激しく雨降る夜。 次兄は帰ってきた。
 傘も差さず、全身濡れ鼠のようになって。

 でも、伊織の顔に安堵の笑顔が浮かぶ事は無かった。

 兄の顔からは表情が消え、まるで生気すらも消えかかっている。 そんな様子だったからだ。
 一体何があったのか、聞きたいことは山ほど有ったはずなのに──
 伊織はそんな兄に問いただす事が出来なかった。

 だが、あきらが持ってきたタオルを恐る恐る渡した時、初めて次兄の口から言葉が漏れた。

 ──永劫にも似た僅かな間をおいて。
 恐るべき言葉と共に。

「伊織……僕は
 僕は、人を殺してしまったよ」

 ──と。


『鬼祓い』と呼ばれる任がある。

『鬼』となった人間。
 猛士の管轄下にある『鬼』達には魔化魍を倒す代償に様々な便宜が図られる。
 と同時に決して破ってはならぬ『戒律』に縛られる。

 それを破った者には『鬼祓い』という罰が与えられるのだ。

『鬼祓い』というと呪術的な臭いがする言葉だが、その実体は組織内での『処刑』だ。
『鬼』が、戒律を破り罪を犯した『鬼』を裁くために殺す。 それは秘密の組織である猛士の『闇』の部分を顕著に表したものだ。

 次兄『威吹鬼』がその任を負った相手は『闇鬼』という銘(な)の『鬼』だった。

 この『鬼』は猛士に属していながら、その傍ら密かに裏社会に通じて『鬼』の力を以って『暗殺』を請負い、多額の報酬を受け取っていた事実が発覚したのだ。
 しかもこの闇鬼には常に黒い噂が付きまとっていた。 魔化魍を倒しはするが、何故かその事件に係わった人間で生存者が一人も居ないというのだ。
 それもそのはず──『闇鬼』は目撃者を同時にことごとく抹殺していた。「守秘義務」の名を借りて、己自身の殺戮願望を満たすために。

『鬼』の力を得て『鬼』の力に溺れる者は過去枚挙に暇(いとま)が無い。 闇鬼もそうして『鬼』の力に溺れた一人なのだ。
 こうして道を外して『外道』に走った『鬼』を粛清するのは、主に宗家の血筋やそれに連なる者達に課せられた義務だった。

 今回はその事実が発覚し、次兄の『威吹鬼』に『鬼祓い』の白羽の矢が立った。
 そういう理由だ。

 そして『威吹鬼』は見事その責を全うした。

 だが、その代償は大きかった。 ──大き過ぎた。

 その日を境に次兄から笑顔が消え、『禊(みそぎ)』と称して離れに引き篭る日々が続いた。

『鬼祓い』の事を知らされていなかった当時の伊織は、ありったけの勇気を振り絞って次兄に会いに行ったが、次兄の笑顔を見ることはついに出来なかった。

 ──そして一月が過ぎて、『威吹鬼』に再び魔化魍討伐の任が下された。

 宗家としては、体面もあったのだろう。 仮にも宗家の人間がいつまでも腑抜けていては、他の猛士の構成員に会わせる顔が無い。 それに本来の任につけば、『人を守る』という責任感から、きっと『威吹鬼』も立ち直るに違いない……
 父と長兄の思惑は、宗家の立場と次兄を想っての事だったのだろう。

 ──だが
 次兄『威吹鬼』は、それっきり還らぬ人となってしまった。

 威吹鬼がその事を知ったのは、一人立ちして次兄の『威吹鬼』の名を次いでからの事だった。
 ──今でも思い出す。次兄の最後の笑顔を。

「じゃ、いってきます」

 そう言って、再び魔化魍討伐の任についた旅立ちの朝。

『威吹鬼』は、次兄は、蜉蝣(かげろう)のような笑みを浮かべていた──



「何故、お前が生きているっ! 闇鬼ぃいっ!!」

 闇鬼の斬撃をかわして『烈風』を連射する。
 だが闇鬼はあろう事かその銃弾をことごとくかわし、手に持った武器で弾き飛ばした。

「なっ……?!」

「なんで生きてるか? とか言ってたよなァ……」

 闇鬼は気だるそうにぐるりと首を回して嘲笑した。

「あぁ、確かに殺されたよ? 俺は。手前ェの兄貴になァ。
 痛かったぜェ? あン時は。 あの莫迦、ブルって手元が狂いやがるモンだから、何度も何度も俺にブチ込みやがってよぉ……」

 そう言いながらユラリ……とにじり寄ってくる。

「──地獄だったぜ」

「……そのまま地獄に居ればいいものを。 どうやって生き返った?」

「死人が『黄泉返る』方法…… 宗家のボクちんなら知ってるだろ?」

「?! まさか……っ!」

 一つ、その方法を威吹鬼は知っている。彼が知る、一人の男が自らに施した禁断の呪術。

「『返魂の術』……?!」

 ──『返魂(へんごん)の術』

 それは死期を悟った『鬼』が、自らが死しても魂を肉体に繋ぎ止める為に施す呪術だ。
 だが、そのかりそめの『生』の代償に、時が来ればその魂は輪廻から外れ、永遠の闇の中を彷徨うと言われる。 
 死してなお浮かばれぬ、禁忌の呪法。

「外れ。 ま、似たようなモンだが。 ──『捨てる神あらば拾う神あり』ってな?」

 では、返魂の術では無いのか?
 いや、そもそもどこに、そんな自然の摂理を捻じ曲げるような呪法を使いこなせる者が居るというのだろうか。
 まさか──

「お喋りはコレくらいにしとくか。
 つかよぉ……お前ェの面(ツラ)見てると、はらわたが煮えくり返りそうなんだわ。ご丁寧に、俺を殺した兄貴と同じツラしやがって……っ!」

 闇鬼の身体から、どす黒い瘴気が噴出す。
 それに呼応するように手に持った武器がカチリと鳴り、二つに分かれる。更には切っ先が直角に折れて、まるで二つの鎌のように変形した。

 闇鬼はその場から跳躍し、ツチグモが倒された場所に降り立つ。そして驚くべき行為に走った。 自らの手首を掻っ切って、どす黒い血を周囲に振りまき始めたのだ。

「いつまで死んでやがる、このクソ蜘蛛がっ」

 ──異変が起こる。

 瘴気が渦巻き、時間が逆に「再生」されていくかのように、木の葉が集い、一つの巨大な塊を作り上げていく。

「はははは………
 ひゃっはははははははははあああっ!!」

 闇鬼の耳障りな哄笑と共に、倒したはずのツチグモが更に凶悪な姿となって再生していった──