序之段 壱 『変わり行く刻(とき)』 | 仮面ライダー響鬼・異伝=明日への夢=

序之段 壱 『変わり行く刻(とき)』

 東京の空気が汚れているなんて嘘だ。


 ほら、この朝日が昇る時の冷たい空気は

 こんなにも清々しい。




 胸一杯にその空気を吸い込み、目覚めたばかりの体をときほぐしていく。

 腕の筋肉を伸ばし、足を何度も屈伸させ、深い呼吸とともに背を伸ばす。

 それだけで、うっすらと汗が滲んでくる。




「よしっ…と」




 その少年は鋭く息を吐くと、シューズの紐を結びなおし、3年間愛用してきた─砂がぎっしりと詰まったペットボトル5本が入った─オレンジのリュックを背負い、軽快に河川敷を走り出した。


 母の故郷、屋久島で「魔化魍」と呼ばれる魑魅魍魎と、それを「音」で清め、倒す「鬼」と呼ばれる青年─響鬼─と出合って丁度3年


 少年、「安達 明日夢」は、18歳の春を迎えようとしていた。




 小柄なのは相変わらずだが、それでもあれから少し背が伸びた。

 そして、彼が「師」として慕う青年から「マシュマロの様」と呼ばれた頬も、青年らしく引き締まってきている。

 スエットに包まれた身体も、以前とは比べ物にならないほど鍛えられ、研ぎ澄まされていた。




 これを始めて、もう丸2年。




 朝の五時半には、目覚まし時計より早く目を覚まして、10kmのランニングを始め、その後は軽く筋トレをして朝食採り、今度はランニングで登校。



 授業が終われば、バイト先のクリニックで看護補助や雑用をこなし、後は夜の25時まで勉強。
 そして時々ボランティアでパネルシアターに参加し、子供たちの笑顔を見る…


 同年代の子とはまた違った、濃密な日々を彼は送っていた。



 一時期彼は、彼が「師」と仰ぐ青年と同じ、「鬼」の道を歩もうとしていたことがある。
 だが彼は、ある少女との出会いによって、自分が本当に「鬼」に成りたいのか疑問を抱き、自分自身と向き合う機会を得た。




「師」から冷たく突き放され、自分自身で選んだ道。




 彼が、彼自身が望み選んだ「人助け」の道。



彼は、「医師」になる決意をした。


「鬼」への道を断念した今も、こうして身体を「鍛え」ているのも、「医師」になる為に必要だと感じていたからだ。


 医師への道は、あるいは「鬼」になるのと同じ位過酷な道だ。
 6年間医学生として学んだ後、更に今度は「研修医」として長い時を過ごさねばならない。
 薄給の上に過酷な労働条件。加えて「医師」として学ぶ時間も必要だ。
 生半可な体力と意志では到底乗り越えられない。
 だから、「鬼」になることを断念した今も、こうして「鍛えて」いるのだ。
 若い肉体は、充分にそれに応えてくれている。



 くじけそうな時には、「師」である青年の生き様を思い出し、歯を食いしばって立ち上がった。


 こうして明日夢は、心身ともに逞しく成長し続けていたのだ。


 医師になるといっても色々な生き方が有る。

 明日夢はまだぼんやりとだが「救急医療」への道を進みたいと思っていた。
 一分一秒が生死を分ける、医療の最前線。
 そこに自分が求める「人助け」の道があるような気がしているのだ。

 実は一年前、彼が彼の「師」と和解してから、彼は「師」が所属する「鬼」達の組織、「猛士」に所属することに決めた。
 無論「鬼」としてではない。




「猛士」とは、「鬼」達の活動を支援し管理する、長い歴史を持つ組織だ。
 加えて言えば、「秘密の」組織である。


 そこには「鬼」達─組織内では将棋の駒になぞらえて「角」と呼ばれているが─だけでなく、彼らをサポートするいくつかの部署がある。

 彼らを統括する「王」をはじめ、現地でサポートする「飛車」、「魔化魍」のデータを解析し伝える「金」、現地で草の根的に活動する「歩」

 そして、技術や医療など専門職の集まりである「銀」



 明日夢は、この「銀」に配属されることになる。


 もっとも、組織の構成員の殆どは「表の顔」を持っている。それこそ農家から会社員。 学生も少なからず存在する。

 明日夢もその「組織」の息がかかった病院に配属され、彼ら「鬼」達をサポートすることになるのだ。



「鬼」達の生き方は過酷だ。


「魔化魍」と呼ばれる超常の存在と、文字どおり「命をかけて」戦っている。
 時には破れ、重症を負うこともある。
 非常時にはそんな彼らの「命」を守る。それが明日夢の組織の中での役割になる。
 無論「普通の医師」として、人の命も守っていかねばならない。




 只でさえ過酷な医師の道であるのに、更に過酷な道を選んだのにはいくつかの理由がある。

 一つは極めて現実的な話なのだが、「学資」の問題だった。


 医師になるには、たとえ国立とは言え、かなりの学資が必要になる。
 母子家庭の明日夢の家では、その費用を捻出するのにかなり負担が大きかった。
 母は「ローンでも保険でも、何とでもなるから」と笑顔で言ってくれたが、流石に生活が苦しくなるのは目に見えていた。無論奨学金という手もあるのだが、それでも十分とは言えない。
 そんな折、「組織」の方から誘いがあったのだ。「学資を負担する代わり、組織に参加しないか」と。

 重ねて言うが、「猛士」は秘密の組織である。その組織に深く係わった者を、ほいほいと野放しには出来ない、というところだろう。

 無論、明日夢の人となりにも期待してのことではあったのだろうが。



 後で聞いたが、そのことを知って、彼の「師」は猛然と反発したという。
 それこそ「本部」のある、関西の「吉野」に怒鳴り込みに行きかねないくらい。



「あいつの未来を、金なんかで縛らないで下さい」



 彼の「師」が、上司である「王」にそう嘆願したと後で聞いた。
 いつもは飄々として、泰然自若としている、あの「師」がである。


 それを聞いて明日夢は嬉しくもあったが、やはり組織に参加する事にした。


 最大理由として、やはり彼は、彼の「師」と共にありたいと思っていた。



 それが「鬼」としてではなくとも。



 それにもう一つ、彼が「組織」に参加した理由がある。


 彼と同い年の少女が居た。彼よりも遥かに先に「鬼」への道を目指していた少女だ。
 だが、その少女も彼と同じく「鬼」への道を断念し、自分なりの「人助け」の道を歩もうとしてる。
 実は彼は、少女に尋ねたことがあった。なぜ「鬼」になるのを止めたのかと。


 その経緯を少女は話してくれたのだが、その中で彼女を救ってくれた─今は故人となった─ある「鬼」が遺した言葉が、心に強く刻み付けられたのだ。



「鬼の仕事は『命』を守ることだ。
『鬼』の命も、『人』の命も」



 その「鬼」のことは、彼も知っていた。
「師」と同年代で、実力は師をもしのぐと言われていた「鬼」だ。「師」とは正反対に寡黙で、しかし包容力のある人柄だった。


 合う回数こそ少なかったのだが、「師」同様、その故人にも尊敬の念を抱き、憧れた。

 だから彼が亡くなったと随分後になって聞いた時、明日夢は自分の身内が亡くなったかのように、泣いて泣き崩れた。



 その話を聞いてからだった。彼が「組織」に参加することを決めたのは。


「鬼」には成れなくても「鬼の生き方」は出来る。


 だから、明日夢は「猛士」の一員になる道を選んだのだ。